この頃は妙に忙しぶっているけど、そんなに忙しいわけがないのだ。しかし何をするにも時間がないかのような錯覚があり、いったい今まではどうやって過ごしていたのか謎でしかない。果たしてこれは老化によって、つまりは思考や作業が遅くなったことによって生じている現象なのか。あるいは知恵の実を食べたことによって初めて自らが裸であったことに気づいたように、人間とはこのような生活を送るべきものであって、かつての多忙な暮らしこそが神に騙されていただけなのか。ここで「神」とは何らかのメタファーであろうが、それが指すものとはいったい。
相変わらず文句を言いながら冷凍惣菜を買い続けている。*1 何も考えなくても、毎日違ったものが食べられるというのは、それなりに便利なものなのだ。食べ物のことを考えることは嫌いじゃないけれど、予算や手間や栄養素などの制約があって、望んだものが食べられるわけではないので、望んでは捨てなければならないことのストレスは小さくない。冷凍惣菜の定期購入がそれを克服してくれる。
だけれど、もちろんすべてがうまくいくわけではない。
すべての食事を冷凍惣菜だけで済ますわけではないので、それでも何か考え、用意し、作らなければならない。ここで以前のようにカレーを作り置きしておく*2、という案があった。が、残念なことに我が家の冷蔵庫、というか冷凍室は小さい。買い溜めた冷凍惣菜と同時にカレーを保存できるスペースは無い。
それならば鍋に作り置いて、食べるときに温めればいいのではないか。毎日必ず朝はカレーを食べて、夜には冷凍惣菜を食べるという規則的な食生活を送るのならばそれもいいだろう。しかし現実にはそうではない。たまには他のものを食べたいときもあるし、外食せざるを得ないときや、食事を摂る時間のないときだってあるだろう。それでも鍋のカレーが傷まないように温め直さなければならないし、決して十分に早いとは言えないカレー消費速度で、一日一回熱を加えるだけで安全性を保ち続けることができるのか不安がある。
冷凍惣菜と併用することで消費速度が落ち、安全に消費しきることができるかどうかに不安が出る。これはカレーに限らず、たとえば鶏胸肉であっても同じことだ。胸肉を焼くために開いておくにしても*3、あるいはボイルたものを漬けておくにしても*4、それをメインに消費していたときのように食べきることはできない。一週間以上前の肉は果たして安全に食べ切れるだろうか。少量ずつ購入すればその心配は薄らぐけれど、それでは購入単価が跳ね上がり、作り置きの手間も増すことになる。あちらを立てればこちらが立たない。
とりあえずは一鍋のカレーを食べきり、さてどうしたものかと悩ましい週末を迎える。