終わってる話

もう寝ようと今、PCを消して思った。動画しか見てないな、って。YouTubeとPrime Videoしか見てない。終わってるな、って。

別に、Twitterはてブがより高尚なものだったかといえば、ぜんぜんそんなことない。まったくない。ないんだけど、文字を読むことすらせず動画しか見てないの、どう考えたって終わってる。

どう考えたって終わってるんだけど、本当か?という気持ちも湧いてくる。動画を見ることは、文字を読むことより本当に終わっているんだろうか。動画より文章が優れているだなんて根拠なくね?

つまりはこういうことだ。動画を見ることは文章を読むより劣っているという無根拠な観念を抱いていることがまず終わっているし、そんな観念を持ちながらもそれに従うことすらせず動画を見ているというのも終わっている。二重に終わってる。

唯一救いがあるとすれば、無根拠な観念に気付いて、でも"終わってなんていなかったんだ"と開き直ることなく、終わっている自分をしっかり直視できたことかしら。

ラーメンが獣臭くない

まずは大勝軒に向かったけども、案の定もう閉まっていたので、ばんからへと行った。ばんからは豚骨系のかなり脂っこくやんちゃなラーメンを出す店で、その名を冠したばんからラーメンは、脂味が強すぎて私は苦手で、いつも豚骨を食べていた。*1

それで久しぶりのばんからラーメンだ。久しぶりと言っても、10年ぶりだ20年ぶりだというわけではなく、何年かごとには通っていて、改元以降にも行っていたはず。元気なおばちゃんがまだ働いていたことに懐かしく思ったような記憶がある。

今日も豚骨を頼んだ。ねぎを乗せて、餃子まで頼んでしまった。久しぶりのばんからに少し昂ぶっていた。

そうして豚骨ラーメンが出てきた。

 

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え。

何これ。

いや、わかるよ。豚骨ラーメンだよね。豚骨ラーメンであることは間違いないよ。でも、違うじゃん。ばんからの豚骨はこんなんじゃなかったじゃん。もっと白かったじゃん。天一の次くらいに泥かったじゃん。もっと尖ってて、獣臭かったじゃん。それがうまかったんじゃん。

店もキレイになっちゃってさ。もっと蛮カラな掲示が貼られてたじゃん。あれどうしたの? えまるじょんって貼ってたじゃん。スープに油を溶け込ませることで、それがうまくなるんだって言ってたじゃん。無いじゃん。エマルジョン無いじゃん。分離しちゃってるじゃん。分離してるから油を直に喉を通過してベタベタするじゃん。エマルジョンどうしたんだよ。思い出せよ。

そうだよな。同じレシピで作ってるはずの柏店があの有り様なんだ。つまりは、作る人が変われば、すぐに味が変わってしまうんだ。そう考えると、いつどこで食べても同じ味のする一風堂とか舎鈴とかってどうなってんだ。

 

*1:つけ麺も同じくらい食べていたかも

個人的にはさ、政治に裏金くらいそりゃああるだろうし、もちろんそれは悪いことなんだけど、そんなにも目くじら立てなきゃならない巨悪なんだろうかという思いがそもそもあった。だから、自分は知らなかった、事務員が勝手にやっていたことだ、という議員の証言ばかりが出てくることのほうがよほど大きい問題であるように思えてしまう。

つまりは、そんなに無能でいいのか、ということだ。

もちろん人には得手不得手があるから、誰もが自分の政治活動資金の流れをすべて把握していなくてはいけないとは言えない。特定の分野には明るいかわりに会計には疎い、だから会計はすべて事務員に任せていて一切把握していない、という議員がいてもいいだろう。でも、そんな議員しかいないというのが問題だ。自民党には、あるいは清和会にはでもいいけれど、自らの政治活動費をきちんと把握できている議員はいないのか。自身の活動費すら把握できていない人間の集まりが、国家の予算を、政策を決めようとしているのか。そんな人たちでこれまでの政治を決めてきたのか。

それぞれ事務員が不正を行っていたという話ではないのだ。清和会が制度としてキックバックを行い、それは不記載とするものだとしていたのだ。その方針すらどこかの事務員が勝手に決めたのだとでもいうのか。もし本当にそうなのだとすれば、ただの無能の集まりでしかない。そんな無能が政治を動かしているくらいなら、もっとずる賢い集まりであったほうがまだマシじゃないか。

岩盤浴に行った(490年ぶり2回目)

たまに行くスーパー銭湯岩盤浴があるのは知ってた。けれども+600何十円だかかかってそれなりに高い。それほどの魅力を感じられなくて、だから一度も使ったことがなかった。

岩盤浴自体は、学生時代に友人と一度行ったことがある。そのときには、ただの低温サウナだという感想しか得られなかった。こんなものに金を払う意義はないなと思った。だけども、まあそれも遠い昔の話だ。この年になって得られる何かがあるかもしれない。そう思って行ってはみたけど、結局のところ低温サウナでしかなかったという話。

 

近所のスーパー銭湯岩盤浴を利用するにあたって、まず、手順がわからない問題。スパ銭の入場券を買うときに、同時に岩盤浴の入場券も買う。入場券といっても電子タグなので、見た目にその違いはわからない。別途にレシートのようなものは発券される。そこにはきちんと 平日大人+岩盤浴 みたいな文言が記される。でも、それだけだ。岩盤浴を利用するにはどうするべきといったような記述はない。記述はないけど、カウンターで岩盤浴着をもらわないといけない。そして岩盤浴着にはどこで着替えるのかもわからない。何の説明書きも無い。どうやら正解は浴場の脱衣所であったよう。何故なら他に着がえる場所は存在しないからだ。webサイトを見ると、岩盤浴前に入浴しておくことが進められている。

入浴を済ませ、岩盤浴着を着る。下着をつけずに直接着ることも、webサイトには書かれているが、それ以外には説明もない。荷物をまとめて、岩盤浴場という呼び方が正しいのかよくわからないが、行く。電子タグをかざして入場する。ロビーのようなスペースには思っていた以上に多くの人がいる。あたりを眺めて、気づいたことがひとつある。荷物を持ってきたらいけなかったやつだ。再度脱衣所に向かって、ロッカーに荷物をしまい、再び岩盤浴へと行く。浴場はいくつかに分かれている。何らかのコンセプトによって照明や内装が変えられている様子だ。きっとそれ以外の、何か本質的な違いはないだろうと決め打ちして一カ所にしか入っていないので、もしかすると何か驚くべき差異があった可能性もなくはない。

私が入ったのは、薄暗く、青っぽい照明の、それ以外にこれといった特徴をあげられない部屋だった。通路部分はツルツルとした石かタイルかで、そこから数センチ高くなった寝る部分はもう少しザラザラとした石だった。そこにカウンターでもらったタオルを敷くのだと、webサイトには説明があった。なぜ現地に説明書きがないのか。あるいは着衣やタオルといっしょに説明書きを渡せばいいのに。webにあった説明書きでは、タオルは枕にまで掛けるのだ書いてあったけれど、枕にかけると今度は足までタオルが届かない。どちらか一方を諦めるなら枕だろう。貸し出された着衣にはフードがあったので、枕に直接触れることが望ましくないのならフードを経れば十分だろうと考えた。そもそも枕に頭が直接触れることが望ましくない理由が浮かばないが。

これは低温サウナだな、と思った。

以前にもそう思ったことを思い出した。実際に岩盤から熱が発せられているのだとしても、それが実感できないのでは意味がないのではないか。これを岩盤浴だと呼ぶのであれば、岩盤からの熱を実感できるべきであり、室温はもう少し抑えるべきなんじゃないか。しかし、以前に体験した岩盤浴もこのようなものであったことから考えて、すでに岩盤浴のスタンダードはこの形なのだ。岩盤からの熱を実感できる気温を抑えた岩盤浴を実装したところで、こんなものは岩盤浴ではないと言われてしまうのも目に見える。そもそも岩盤からの熱を実感できる気温を抑えた岩盤浴があったとして、それに魅力があるのだろうか。

そもそも論で言ってしまうと、岩盤浴というものはどこに魅力があるんだろう。施設のwebサイトでは、汗をかくことがその魅力であるかのような書かれ方がされていたが、それが一般的な発想なのかしら。どうして汗をかくことが魅力なんだろう。運動して汗をかくのであれば、運動が気持ちいい、運動することが健康にいい、ということにもつながるが汗をかくことそれ自体が気持ちいい、あるいは健康にいいということはないだろう。あるいは一日中デスクワークをこなし、一切運動することのない現代人にとって、生命維持のための代謝ですら体にいいことと見なされてしまうのだろうか。

 

たっぷり汗をかいて岩盤浴を出る。汗をかいているので、もう一度入浴する必要があるだろう。施設から出ない限り何度でも繰り返し入浴することができるのはありがたい。だがしかし、だ。さっきも入浴したので、タオルはすでに濡れている。つまり、濡れたバスタオルで体を拭うしかない。それでも濡れたバスタオルがあるだけまだ良かった。家からバスタオルを持ってきていたので、濡れたままのバスタオルを持っていたけれど、タオルをレンタルしていたら体を拭き終えたときに返却してしまっていただろうから、そうするともうもう一度体を拭くタオルは無かった。そうした説明が一切ないままに、先に入浴してからの岩盤浴を勧めるメンタリティが強い。

パスタばかり食べてる

ヤオコーで売ってる生パスタとトマトソースが最強なんじゃないかという気持ち。

生パスタが400gで300円くらいと、トマトソースが280gで200円くらい。どちらもヤオコーのオリジナルではないので、きっと他の店でも売っているんじゃないかとは思うんだけど、いつもヤオコーで買ってるから本当にあるのかどうかはわからない。

 

 

 

まず、マンチーニの2.4mmというお気に入りがあった。ごんぶとパスタで、歯ごたえが強く、しっかりと小麦の味がして、ソースもよく絡む。つまり、美味しい。しかしマンチーニにも難点が2つあって、ひとつには価格が高い。1kgで2,000円近い。それと茹で時間が長い。17分って……。

それを克服したのがこの生パスタ。400gで300円。マンチーニの半額以下。茹で時間は3分。もう何分の一だよ。もちろんマンチーニみたいな麦の香りとかはないんだけど、それでも十分に美味しい。てか茹で時間3分はマジで神い。

 

 

 

そして、トマトソースだ。アラビアータと、プッタネスカ、トマト&バジルの3種類がある。適正な量は正直よくわからないんだけど、だいたいいつも麺を200g茹でて、そこにソースを1/3瓶くらい使ってる。がっつりソース味に頼るならその倍くらい必要なんだろうけど、十分香りと旨みが強いので、適当に伸ばして塩味を補えば問題ない。

たとえばナスとベーコンを炒めたところに、麺とソースをぶっこんで茹で汁で伸ばしながら混ぜれば、もうそれだけで勝てるわけよ。余裕があれば卵と粉チーズなんて混ぜちゃえばもうさ。ねぇ。

 

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Tweetdeckがオオアリクイに殺されて半年が過ぎました

 

 

Tweetdeckが死んでからTwitterを見なくなった。一切開いていないというわけではなく、何かでリンクが貼られていれば迷いなく開くし、特にログアウトもしていないので、たぶん所謂アクティブユーザーに数えられてはしまっているんだろうけど、意図してTweetdeckやTwitterホームなどを開くことはもうなくなってしまった。もう数年くらい開いていないかとも思ったけど、実はまだ半年だったことに少し驚く。

Twitterを見なくなったことでインターネットの話題にはいくらか疎くなった。けれどもインターネットの話題を誰かと話すことなんて、インターネットでしか起こらない現象なので、インターネットの話題に疎くなることに問題はひとつも発生しない。より問題なのは、インターネットの話題に疎くなった替わりに得たものが、何一つ存在しないということだ。マスな話題、ポップな話題に強くなることもないし、より深い知識を得られたということもない。よりクリエイティブな活動ができるようにもならなければ、ビジネスに力を注げたわけでもない。もちろんリアルな人間関係を築けたりもしていない。人間である意味がない。

 

blueskyが人気だという話は聞く。招待制を廃止して誰でもアカウント作れるようになったことは知っている。だから、まあ、アカウントを作ってもいいとは思うし、近いうちに作るだろうとも思っている。けれども、そんなに魅力を感じられない。それは、新しいものに興味が湧かないというよりも、タイムラインを追いかけることなんてもういいじゃないか、もう十分だろうという気持ち。

そんなことを言いながら、またThreadsを見ている。

Threadsには、(あの頃の)Twitterと比べて明確に優れている点がひとつある。面白くないことだ。タイムラインを眺めていてもぜんぜん面白くない。あるいは、面白い人がThreadsには少ない。だからタイムラインを無駄に追い続けることがなく済む。時間を浪費しない。もっと有意義なことに自分の時間を使うことができる。理論上は。なのに何故。

 

せめて、何か書いたほうがいいんだろうな。書いたところで何が得られるわけではないけど、書かないよりは書いたほうがいいんだと思う。死んでいるよりは生きていたほうがいい。

「お知らせ」なんかのためにページごと開き直させるなよ

昨日くらいから鼻水が氾濫しそうたったのが、今朝ついに決壊した。鼻がやられることで痰が回り、また呼吸も口でせざるを得ず、すぐに喉も死んだ。

なので、まずは鼻だ。ベンザブロックか何かの鼻に強いやつを買おうとすると、販売員の説明が必要な薬だとか言われて、面倒くさい。だったら棚にそう書いておいてくれれば、他の薬を選んだのに。

それと、鼻腔拡張テープなるものを買ったんだけど、これがなかなか悪くない。絆創膏のような包装で箱に入っていて、これを鼻に張るわけだ。中には針金のようなものが入っていて、それがまっすぐに戻ろうとすることで、鼻の穴が広げられて、呼吸が楽になるという寸法だ。こんなローテクなものが悪くない。悪くはないんだけど、それでもテープで鼻がむずかゆいのと、鼻をかむときに痛いというほどでもないけど少し違和感がある。通知を見るためにページをまるっと開き直されるほどの違和感ではない。