財布を買った話

みんな大好きポールスミスの長財布も10年以上使い続けているとさすがにダメになってくるのです。

 

 

 

ところがぎっちょんお金がないのです。コロナ禍の減給&減給でお金がないので、カードのポイントでうまいことやりたいと思い、仕事で吉祥寺に行ったので、帰りにマルイに寄ったんだけど、そこはもう私の知っているマルイじゃなかったよという話を書こうか、どうしようか。これを書き始めると財布を買ったなんて話よりもよっぽど長くなるぞ。長くなるところまではまだしも、これといってオチもないし、元に戻すのも面倒になってくるから、今回はいいか。マルイ大丈夫かという気持ちが沸き上がったという話です。メインカードも変えたほうがいいのかしら。

 

ということで、どうせ帰り途中にある新宿でマルイに寄り直したのです。メンズ館1Fにはポールスミスもあり、今まで使ってきたのとよく似た財布も扱われていて、値札には2万ちょっとと記されていた。*1

ちなみに今回の予算は15,000円。ポイントが15,000円分あったから。足りるかな、足りなそうだよなあ、と思っていたので、20,000円を少し超えるくらいというのは、私の相場観がそう間違っていなくて安心する。10年前よりも予算が少ないことは気にしてはいけない。

そうして様々なショップをチラ見しながら巡っていくのだが、ここで問題が発生する。多くのショップで値段が書かれていないのだ。これは困った。店員に確認すればいいだけのことではあるんだけど、でもいい歳しておいて、2万円じゃあ高くて買えないとか言えなくない? 何そのちゃちなちゃちなプライド、そんなもの捨ててしまえというのも正論ではあるんだけど、ワープアがちゃちなプライド捨てたらもうどこまで落ちるかわからないよ? このぎりぎりの生活は、ちゃちなプライドで保たれているようなところも正直あると思うんだ。だからどうにか1万円くらいの値札のついている財布を探しているんだけど、ひとつの店で7,700円のタグがついた長財布があまりにしょぼくて、これはもしかしたら1万円程度で見つけ出すのは相当に困難なのではないか、という懸念が浮かんだところでやっと見つけた。

 

革製品を扱うブランドだった。ちょっとゴテゴテした、オールドアメリカンなグッズが並ぶ中に、シンプルな長財布があって、これは悪くないなと思った。15,800円の札が付いている。悪くない。手にとって、中を開いてみる。特別にどうということはない。それなりの数のカード用スペースがあり*2、それなりの小銭用スペースがある*3

そうしていると店員が話しかけてきて、お札の収納スペースが3箇所あって、たくさん入れられますと言う。そうだね、そんなにたくさん入れる札があったらいいよね、と心の中で返す。店員は続ける、最初は固くて使いにくいかもしれませんが、すぐに柔らかく使いやすくなります、と。使っていると色も変わってきて、5年使うとこうなります、と言って見せられた革が格好良かった。惚れた。曰く、革の色は変わるけど、縫い糸はそこまで変わらないので、使い込むと刺繍が浮き上がってくるのだと。でも正直こんな味わいが出るように大事に扱えないよね、手入れとかぜったいしないじゃん。いえ、逆に何もしないでください。雑に扱ってください。オイルも塗らないでください、と言う。

ここまで自信をもって「何もしないでください」と言えるのは、これが予め用意されたことばで、つまりセールストークなんだろうと思われる。ということは、多少は盛っている可能性があるにしても、まったくの出任せではないということだ。詐欺師でもなければ予め嘘の言葉を用意したりはしない。彼自身の知識や経験から出たのか、あるいはマニュアルによるものなのかはわからないけど、相当程度知見から出た言葉であることは間違いなさそうだ。なるほどそれならばと思い、ここで財布を買うことにした。

 

カードを移し替えてみると、なるほどたしかに固くて使いにくい。しばらくはカードの出し入れに苦労しそうだ。それ以外には今のところ特別に言及すべきところもなく無難。奇抜なデザインにでもしなければ、長財布なんてそんなものだろう。

 

 

*1:さすがに「ちょっと」と記されちゃいないけど、具体的にはいくらだったか忘れた

*2:でもどうせ入りきらない

*3:小銭入れを持ち歩くのでどうせ使わない

建設的コメントハック

はてなブックマークが人気コメントを調整するようになったのは良い施策だと思っている。

 

bookmark.hatenastaff.com

 

これが特にうまいなと思ったのは、内製せずにYahooのAPIを使用しているところ。このAPIはてな社独自のものであったらユーザーの不満噴出は今の比でなかったことは想像に容易い。きっと悪意はないんだろうが、何故か彼らははてな社や、自民党、日本のものは欠陥であり、他社や、野党、欧米のものであれば優れていると無意識に考えがちなバイアスがある。だからこのシステムが、実際には技術が未熟で外部に頼らざるを得なかっただけだとしても、外部から調達したことは比較的良い結果につながっているんじゃないかと思える。


他方で、やはりはてなブックマークユーザーは愚かだなあとも思うし、はてな社がそうしたユーザー層を誘導しきれていないのもまた残念に思う。
というのも、ブックマークユーザーの間でアルゴリズムハックが目指されていることだ。承認欲求に飢えた彼らが、どうすれば排除されずに「人気コメント」に表示されるようになるのかを渇望するのは当然だ。そうでなくても、自ら利用するサービスの仕組みを理解したいと考えるのは自然なことだろう。本来であれば、それを知りたいと思っても、実際に知るに至るのは困難だ。しかしはてなブックマークは、多数のブックマークコメントを残すことの容易さと、アルゴリズムを知りたいと思い協力することもできるユーザーのコミュニティの存在がそれを可能にしてしまっている。排除の基準が知らしめられれば、そのギリギリが狙われ、制度設計の意図にそぐわない結果が生まれることになる。望ましくない。しかしブックマークの無駄撃ちは容易で、既にコミュニティは作られている。それらを廃することはソーシャルブックマークサービスの根幹を揺るがすことになる。どうしようもないのだ。

とはいえもちろん無いより有ったほういい。完璧ではないけれど、ヤフコメほどの効果は得られないかもしれないけれど、それでも良くなった、良くなっていくんじゃないかと信じたい。

眠るのにも体力がいるとよく言われる。だから歳を取ると長時間眠ることができなくなる、と。

たしかに長時間眠り続けることはできず、概ね6時間前後で目が覚めることになる。しかし、今までになく眠るようになったのもまた事実だ。休みの日には一日中ベッドの上で過ごすことも多くなった。以前はそんなことなかったのに。十分な睡眠時間が取れて満足するということがほとんどない。だいたいいつも眠たい。いったい何なんだ。

もしかするとベッドが良くないのかもしれないなとも思う。春に買ったロフトベッドはよく揺れるし、よくきしむ。これが睡眠の質を低下させているのかもしれない。部屋が広くなってもこれでは元も子もない。

もっと堅いマットレスでも使えばかわってくるのかしら。ちゃんとしたマットレスを買おうとすると、安いベッドと同じくらいの値段になってくる。それが原因かもわからないまま支出できる出費ではない。お金が欲しい。

燃えるゴミ

え、今日ゴミの日じゃん。今朝ゴミ出してなくない? ということを仕事帰り唐突に思い出して、少しブルーになりながら寄った近所のスーパー。

ブルーだろうとピンクだろうとイエローでも関係なく週に3日くらい通っている。今日は水沢うどんと、豚スライス、プリンを買ってレジで会計を済ます。セミルフレジなので、店員が打ったら精算はタッチパネルで行うシステムだ。そこでクレジットカードを差し込むと、「取引終了の合図で出るまでカードを抜かないでください」というメッセージが表示される。数秒の処理の後に「カードを抜き取ってください」という音声案内とともに、画面にも同様のメッセージが出る。なので当たり前にカードを抜いて財布にしまっている最中に初めて気付いた。「取引終了の合図」が出ていないのだ。
誰だよこの糞システム作った奴は。自分で決めたルールを自分で守ってないじゃないか、と脳内で文句を言う。このときにはまだ、ルールを守れていないのは精算機だと思っていた。でも、そうじゃないんじゃないか。つまりは、「取引終了の合図で出るまでカードを抜かないでください」と記されていたにも関わらず、「取引終了の合図」が出る前にカードを抜いたのは私だ。ルールを守れなかったのは私のほうなのだ。けたたましいアナウンス音が流れようと、「取引終了の合図」が出るまできちんと待つべきだったのではないか。ついさっき言われたばかりなのに、カードを抜かずに待つ、ただそれだけのことなのに。それすらできなかった。レジスターの期待を裏切ってしまった。
この代償は大きい。もう気づかれてしまったのだ。こいつは30文字足らずの文すら正しく読み取り、実行することができないぞ、と。それはつまり、3割くらいプラスして請求しても、きっとバレないということじゃないか。もしかすると、そうして馬鹿リストを収集しているのかもしれない。そう考えるとやっぱりまた腹が立ってきた。誰だよこんな糞システム作った奴は。
とそんなことを考えながら家に着く。そして部屋に入って驚いたことには、ちゃんとゴミ捨ててるじゃん。いつの間に。これが阿頼耶識というやつだろうか。

科学的な話

今さらのことでしかないけど、最近またモヤる言説が増えてきたような気がして。

たとえば「五輪開催で感染拡大のリスクが高まる」というのは"科学的"かもしれないけど、「だから五輪は開催すべきでない」というのはちっとも"科学的"じゃない。もちろんここで言う「科学的じゃない」というのは、「科学の知見と合致していない」という意味であって、「科学の知見に反する」ということを意味するのではない。科学とは関係なく、その人の意見に過ぎないよね、ということ。

「専門家」という言葉もすごく雑に使われている印象が強い。数理モデルの専門家がモデルについて、防疫の専門家が防疫について語るのなら、それは紛れもなく専門家の意見なんだけど、彼らが語る政治政策は、それは果たして専門家の意見なんだろうか。彼らの訴えが叶わなかったとき、しばしば「専門家の意見を無視して」などと言ってしまいがちだけれど、閣僚・国会議員・首長こそが政策に関する専門家なのではないかしら。

もちろん医師というだけでCOVID-19に詳しいわけではないように、政治家にもそれぞれ得意とする分野がある。政治家であるというだけで専門家であるとみなすのは無理があるかもしれない。であるならば医療行政に長けた専門家に存分に腕を奮っていただきたいところであるのだけど、そういう人はいったい今どこで何をしているんだろうか。

沼の意味

たまに沼を作っている。沼というのは、池よりも大きく、湖よりも小さい、水の貯まった土地のことで、よくわからなかったら「沼 炊飯器」とかでググってもらえば間違いないはず。要は脂肪分をほとんど含まず、しかも大量の水でかさ増ししているので少ないエネルギー摂取でも満腹感を得やすい食事であり、減量食に最適だとも言われている。

 


だけど私はそんなに意識高い減量には励めないので、つまりは本来であれば鶏胸肉を使うべきところにぼんじりを使うので、そこそこに脂肪分を含むようになる。また米は雑穀ブレンドを使っていて、雑穀も本来は白米1合に対してスプーン数杯でいいところを、私は白米と雑穀を1対1で使うので、金銭的にも割増感が強い。だけどその分、肉のうまみもしっかりと出て、雑穀の歯ごたえも味わえて、十分に美味しいものができている。


だがしかし、だ。十分に美味しい沼ができたとして、だけど沼だけで一食を済ますのしんどくない?という話だ。


ラーメンだけ、パスタだけといった単品であれば、それだけで食事を済ますことには何の問題もないのだけれど、一方で沼だけとなると、それは無理じゃね?となる。必ずしも沼の味が劣るというわけでもないんだけど、どこか抵抗感が出る。

 

chikada.hatenablog.com


幸いにも我が家には冷凍惣菜が常備されているので、どこか物足りない沼+物足りない惣菜=ちょうどいい という式が成立するわけだけれども、果たしてこの食生活に意味があるんだろうか。

うどん日記

最近はうどんばかり食べている。近所のスーパーで水沢うどんの生麺が置かれていて、これが美味しい。どうしてすべてのうどんが水沢うどんでないのか。武蔵野うどんなんて淘汰されるべきだったんだ。

難点はお値段がそこそこにすることと、茹で時間が長いこと。乾麺でもないのに10分以上茹でるとかちょっとどうかしてる。まだ早いかとも思いつつ、試しにちょっと食べてみると、するとどうやらしっかり茹だっていて、これでいいじゃんって思ってしまうけど、十分に冷やして食べようとするとやっぱりまだだいぶかたい。やはり表示時間どおりに茹でるべきなのだ。

 

 

 

はてなブックマークはかつてとは違うかたちに変化し、はてなブログは衰退していっているように見える。所謂はてな村的なものは、もう見る影もない。そこに強い思い入れ持っていた人にとってはきっと淋しいものだろう。それはわからなくもない。

だけれども、だからこそブログを書きやすくなった感覚がある。治安の悪かった村は沈み、はてブからの虫害もほとんどない。安心してのんびりと耕すことができる。

あの頃よく読んでいたブログが更新されなくなった哀しさはあるけれども、とはいえ更新され続けたところで全部読むような時間も気力ももうないのだ。