意味を見出してしまう

駅ナカのカフェで昼食をとった。カフェというよりはパスタ店といった印象だけれど、店名にカフェと書かれているのでカフェなんだろう。ありがちな小綺麗な店だ。

店内に入ると、アルコール消毒と検温を求められた。キッチリした店だなという印象を受ける。そうして席に通されて、テーブルの上にはiPhoneより少し大きいくらいの機械が置かれる。

 

機械についての説明はない。湯気が出ている。加湿器を置くとも思えないし、アロマらしい匂いもしない。恐らくは、空間除菌だろう。

空間除菌に効果はない。だとしても店舗がそれに頼ろうすることは理解できるつもりでいる。御守りだ。役に立つのかどうかわからなくても、できることはやっておきたいという気持ちは、人間にはどうしても出てくるものなのだ。客だって、それを見て安心することもあるだろう。だから、科学的な効果は認められないかもしれないけれども、それでも頼りたい気持ちというのは意味のあるものだと思える。

だからこそ嫌悪した。それがこれから食事をとろうというテーブルに置かれることが嫌だった。害が出るほどの濃度ではないといえ、毒なのである。それを食べ物の横に、食卓の上に、置く必要があるのか。せめて目に見えないところに置くべきではないのか。見せることが目的だとしても、エントランスに置くなどもできるのではないか。それが何の機械であるかの説明もなかったので、見せることが目的とも考えにくいが。

 

さらにより強く嫌悪したのは、ジンジャーエールだった。瓶で出てきた。ラムネのような瓶ではなく、イチゴジャムが入っているような瓶だ。蓋を閉める用の溝のついた瓶に入って出された。それは保存容器であって、食器ではない。何故グラスを使わないのか。そういう奇をてらったお洒落が存在することは理解する。ただそうしたことをする店は概して店構えからしアバンギャルドなものだし、そうあるべきだと思っている。小奇麗な店構えから、まさかそんな瓶でドリンクを出されるとは思いもよらず、この店ムリだなあと思った。

 

実際のところ、何も害は無いのだ。卓上に置かれた機械が空間除菌であったとしても、直接吸い込むでもないのだから、人体に影響するとは考えにくい。瓶容器に飲み物が注がれてきたところで、そもそも害が出ようもない。本来は存在しない意味を、私が勝手に見出しては嫌悪しているに過ぎない。非科学的な発想だ。けれども、どうしても気持ち悪いのだ。