一般論として

変わり続けないといけない。我々はより良い社会を求め、より良く変わっていかなければならない。社会が変わっていく中で、一人ドンキホーテではいられない。本来は常に、少しずつ、変わっていくべきなんだろう。だけども実際のところ、それはなかなか難しい。だから、時に「改革」が叫ばれる。私は「改革」という言葉があまり好きでない。変わり続けることを怠った末のガラガラポンのような印象を受ける。希望は、戦争、的な。

 

30〜40代男性には、戦乱でも生き残れる自信のある人が、他の年代より多いんだろうことは想像に難くない。所謂働き盛りという属性であって、しかしそれに見合った地位や所得を得ていない。少なくとも本人はそう自認している、という人たちが多いんだろう。だから彼らだけが合理的で左脳的な判断をしたわけでも、その逆でもなく、自らの置かれた環境に基づいた判断をした人が多かったんだろう。他方で、変わるべきだと考える人でも、ガラガラポンよりは現状維持のほうがマシだと考える人は少なくないだろうし、私もそう思う。

 

現実的な問題として、ガラガラポンすることなく、緻密な計画の上で変わり続けていくことが、我々にできるんだろうか。そんなことが可能なら、計画経済だって今でもきちんと機能していてるのではないか。変えるときにはヨイショで変えるしかないのかもしれない。うまくいかなくても、犠牲が出ても仕方がないのかもしれない。ロベスピエールを経て、ナポレオンを経て、仏革命がなされたように。恐怖政治は無理にしても、ある程度の瑕疵は許容していかなければいけないように思える。そして、我々は何を許容すべきかという問題。