市民の大半が馬鹿である、という論には共感できる。
パレートの法則に近いものがあると考えるのは自然なことだ。
だが、馬鹿が選んだ馬鹿な政治なのに、馬鹿が不満を抱いているという点が納得いかない。
大衆が本当に馬鹿なら、もっと馬鹿らしく騙され続けているはずだ。
パチンコやソーシャルゲームに湯水のように金をつぎ込み続ける馬鹿のように、今だに民主党を友愛し続けているはずじゃないか。
でも、彼らはそうじゃない。
大衆は筋の通らない政治行動を取っているようではあるけれど、いわゆる馬鹿とは違うように見える。
たしかに馬鹿もいる。
でもきっと、大半の市民はフツーだ。
ただ俺とは、そしてきっとあなたとも、考え方が違うからその行動が馬鹿に見える。
同じように彼らから見れば、俺も馬鹿に見えていることだろう。
大衆は馬鹿じゃない。
馬鹿に見えるのは自分の視野が狭いからに過ぎない。たぶん。