社会は過度に政府に管理されるよりも、可能な限り自由であるべきで、政府に管理されるのは最小限であるべきだと私は思っている。
これはたぶん大多数の人が賛同するもので、「可能な限り」や「最小限」がどの程度であるかという部分に違いがあるだけじゃないかと思う。
そしてどうやら「最小限」の範囲が私よりも大きく、政府による管理を認める人がかなりいる、少なくともインターネットではそうした人の声が大きいように見える。

というのも、COVID-19、所謂新型コロナウイルスに対する政府の対応が遅かったという声がかなり強い印象がある。
たしかに政府の対応が迅速で素晴らしかったとはいいにくい。
初期段階で目立った対応を取った印象はない。
しかし、政府が何らかの大きな対応を取るためには、それなりの根拠が必要となる。
移動の制限などを行うのは、それは個人の自由を奪うことになるからだ。
しかし今回の初期段階では、中国政府からの情報が制限されていて、的確な判断を行うための情報が欠如していた。
不確かな情報をもとに人々の自由を制限するのは良いことではない、と私は思っている。

ただこれは、私がそう思っているというだけであって、そうではないという考えもあり得る。
安全性が確かでないなら、自由を制限してでもリスクを回避すべきだという考え方だ。
だから、情報が不確かである間、政府の対応を批判する声にも、私とは見解が一致しないけれど、それも一理あるものだと思って見ていた。

中国での感染が日に日に拡大していき、危機感を強めた中国政府も情報を隠さないようになってきた。
中国政府からも確からしい情報が開示されるようになり、またそれらを分析する専門家の声も届くようになってきた。
どうやら当初想定したよりも感染力は強いらしい。
死者も数多く出ている。
しかしそのほとんどは高齢者と持病を持っている人のようだ。
中国で医療保険制度は無いに等しく、都市部でも医療体制が整っているとは言い難い。
つまり、健康な人であれば感染しても重篤化しにくく、医療体制が整っていれば被害は相当程度抑えられそうだということがわかってきた。
結果論ではあるが、日本政府は国民の自由を制限してまで、リスク回避策をとる必要はなかったことがわかってきた。

しかし、不思議なことに、これだけ情報がそろってきてなお、日本政府の対応の不備を責める声がとどまらない。
逆に声が強まっているような気さえする。
たしかに医療が整っていれば重篤化が抑えられる保障はない。
インフルエンザのように季節性のもので収まるのかどうかはわからないし、温暖な気候でより広まりやすいのではないかという声もある。
今なおすべてが解明されたのではなく、判明している以上に危険である可能性だって無いわけではない。
とはいえ、そう高いリスクが隠れているとは考えにくい。
少なくとも、確かな情報のなかった数週間前よりかはずっとリスクは低くなっている。
にも関わらず、日本政府の初期対応を批難する声が以前より強まっているように見えて、私にはそれが不思議なのだ。

日本政府の対応は、ベストではないのかもしれないけれど、最低限の措置はできているように見える。
中国でのような、半ば人権を奪うかたちでの感染を防ぐ措置を、日本でも取るべきだとは私には思えないのだ。
だけど世間の、あるいはインターネットで声の大きい人たちの意見は違うようだ。
何故なのか。
可能性がふたつ考えられて、
ひとつは、彼らは馬鹿で情報を理解できないから。
新型ウイルスの話題を毎日見聞きすることで、実際よりもその危険を高く見積もってしまっているんじゃないか。
もうひとつは、つまり彼らが馬鹿でないとすると、私が考えているよりもずっと、人間の自由より社会秩序を重視しているから。
リスクが完全に取り除けていないのなら、自由を制限してでも社会を守るのが当然だとする傾向が強い。
そんな管理社会は私は嫌いなんだけど、どうやら相当数の人たちに望まれているようで、なんだかなあというところ。