一人暮らしを始める奴は、カレーを食え。マジで

一人暮らしを始める奴は、ピザを食え。マジで。

最近はグラノーラにカレーかけて食べるのが一番コスパいいように思ってる。鶏ももにトマトジュースかけて市販のルーを溶いただけ。

2020/03/17 17:36

b.hatena.ne.jp

 

そういうことです。

 

まずこのレシピで一番面倒なところは、肉を解凍すること。

時間があるときは冷蔵庫で解凍したいのだけど、油断すると破れた袋からドリップが流れてくるのが業務スーパークオリティ。

時間がないときには流水か、さらに急ぐならお湯に漬けるのもあり。

 

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肉が解けたら鍋に入れる。

最近は既に一口大に切られた肉が売っているから便利。

鶏2kgが鍋に入ったら、今度はトマトジュース1Lを入れる。

容量上限の線を越えるけど、気にしなくても大丈夫だということに最近気付いた。

 

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たっぷりの肉とトマトジュースだけで煮込むと、出汁的なものを入れなくても十分に旨みも出てくる。こんな安物でも。

蓋をして、5〜6分加圧する。

加圧時間が5〜6分なので、加熱時間はもっとずっと長い。

 

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カレーのルーを投入して適当に混ぜればだいたい溶けてくれるので完成。

最近はご飯よりもグラノーラにかけて食べるのがマイブーム。

白米はエンタメ性に乏しいけれども、グラノーラは十分の歯ごたえと、味の違いもあり、食べた満足感が違う。

 

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 残りはタッパーに入れて冷凍保存。

フレッツで買ったやつが使い勝手良かったのに、潰れてしまって、ダイソーでもセリアでも同じものが置いていない。同じサイズの不透明容器すら無い。悲しい。

何かタイトルをつけたい

きっと他の多くの人がそうであるように最近は仕事がなかなかダイナミックで、いろいろと書きたい欲が高まっているんだけど、
だけどどこでどんな仕事をしていてどんな状況であるということを公開するつもりはないので、そうすると何も言えなくなるので、何も言わない状態が続いている。

ブログ上では何も言っていないけれども、何も言わないでい続けることができる性分でもないので、最近はTwitterに張り付いているのが現状。
Twitterばかり見ていることが、それはあまり健全でないなという気持ちがあって、
そんな中でシロクマ先生のブログを読んだので、少し文章を書いてみようと思ったところ。

そうは言っても、仕事も私生活も書くつもりはないので、頭の中のことを書き出してみるくらいのことなんだけど、
入ってくる情報は新型ウイルスのことばかりで、だけどそれについて今書くのもなんだかなあというところであり、
だからといってブログ論を書くのもなんか嫌だ。
もう少し書きたいことを書いていた頃ならばブログ論も積極的に書けたけれど、もうめっきりそんなことも書いてないし、
いや、はじめからブログをそんな懸命に書いていたころもなかったか。

結局は何も無いのだ。
何の知見もなく、大した経験もなく、クリエイティビティだってありやしない。
ただの日記ですらない。
日記すら書けない私は、それでも何か書きたい衝動だけがあり、書くべき内容も無いのにただただ文字を打つ。
本当は家族や友人とコミュニケーションを取ることで解消されるべき何かを、そんな相手もいない私はただただ文字を打つことで解消しようと試みる。

インターネットには陰キャぶる人たちが散見される。
でも彼らは持っているんだ。家族を。恋人を。友人を。趣味を。特技を。才能を。金を。
わかっているつもりではいる。誰もが持っているわけではなく、持っている人が強いので、そういう人が容易に観測できるというだけのことだ。
持っていない人は観測されにくいというだけだ。何も持っていない人だってたくさんいるんだ。
そうやって自分より"下"の人間を探しては、そんなことを考えている自分にまた嫌悪する。

せるふまとはわるいぶんめい

数日前の話題。

 

  

 

はじめにこのツイートを見た。

どうやら孫氏が何やら始めようとして叩かれているようだった。 

 

 

 

 

新型コロナウイルスの簡易検査を可能にしようという働きかけ。

別にいいじゃないか、と思った。

 

 

 *1

 

このとき私は、検査キットを開発しようという話だと思い込んでいた。

でもそうではなかったのだ。なぜ氏のツイートをもっとさかのぼって読まなかったのか。

 

 

 

 

既に存在しているもので、それが推奨されていないのであれば、何か問題があるわけで。

というか偽陽性などが問題となり得るという話は既に一周した話題でもあった。

にもかかわらず、なぜ今さら孫氏がそんなものを配ろうと言い出したのか謎だし、

そして認識が甘いのは氏だけでなく、私も同じだったことを思い知る。

 

 

 

 

 

 

 

 

なんでそんなこと言いだしたのか謎なほどお粗末な発案で、そりゃあ早々に撤回したほうがいいよねとしか思えない。他人事として見ると。

まさかそんな発案だったとは思いもせず、そこまでずさんなわけがないだろうと高をくくって、内容を確認しないままいっちょ噛みしてしまい、もはや他人事ではない。

これは記録に残しておくべきなんじゃないかと思って更新。

最近私ははてブより、増田より、もちろんPawooやTumblrよりも、Twitterにいるのです。

 

*1:「自分のアタマで考えよう」は私の最近お気に入りの侮蔑表現

社会は過度に政府に管理されるよりも、可能な限り自由であるべきで、政府に管理されるのは最小限であるべきだと私は思っている。
これはたぶん大多数の人が賛同するもので、「可能な限り」や「最小限」がどの程度であるかという部分に違いがあるだけじゃないかと思う。
そしてどうやら「最小限」の範囲が私よりも大きく、政府による管理を認める人がかなりいる、少なくともインターネットではそうした人の声が大きいように見える。

というのも、COVID-19、所謂新型コロナウイルスに対する政府の対応が遅かったという声がかなり強い印象がある。
たしかに政府の対応が迅速で素晴らしかったとはいいにくい。
初期段階で目立った対応を取った印象はない。
しかし、政府が何らかの大きな対応を取るためには、それなりの根拠が必要となる。
移動の制限などを行うのは、それは個人の自由を奪うことになるからだ。
しかし今回の初期段階では、中国政府からの情報が制限されていて、的確な判断を行うための情報が欠如していた。
不確かな情報をもとに人々の自由を制限するのは良いことではない、と私は思っている。

ただこれは、私がそう思っているというだけであって、そうではないという考えもあり得る。
安全性が確かでないなら、自由を制限してでもリスクを回避すべきだという考え方だ。
だから、情報が不確かである間、政府の対応を批判する声にも、私とは見解が一致しないけれど、それも一理あるものだと思って見ていた。

中国での感染が日に日に拡大していき、危機感を強めた中国政府も情報を隠さないようになってきた。
中国政府からも確からしい情報が開示されるようになり、またそれらを分析する専門家の声も届くようになってきた。
どうやら当初想定したよりも感染力は強いらしい。
死者も数多く出ている。
しかしそのほとんどは高齢者と持病を持っている人のようだ。
中国で医療保険制度は無いに等しく、都市部でも医療体制が整っているとは言い難い。
つまり、健康な人であれば感染しても重篤化しにくく、医療体制が整っていれば被害は相当程度抑えられそうだということがわかってきた。
結果論ではあるが、日本政府は国民の自由を制限してまで、リスク回避策をとる必要はなかったことがわかってきた。

しかし、不思議なことに、これだけ情報がそろってきてなお、日本政府の対応の不備を責める声がとどまらない。
逆に声が強まっているような気さえする。
たしかに医療が整っていれば重篤化が抑えられる保障はない。
インフルエンザのように季節性のもので収まるのかどうかはわからないし、温暖な気候でより広まりやすいのではないかという声もある。
今なおすべてが解明されたのではなく、判明している以上に危険である可能性だって無いわけではない。
とはいえ、そう高いリスクが隠れているとは考えにくい。
少なくとも、確かな情報のなかった数週間前よりかはずっとリスクは低くなっている。
にも関わらず、日本政府の初期対応を批難する声が以前より強まっているように見えて、私にはそれが不思議なのだ。

日本政府の対応は、ベストではないのかもしれないけれど、最低限の措置はできているように見える。
中国でのような、半ば人権を奪うかたちでの感染を防ぐ措置を、日本でも取るべきだとは私には思えないのだ。
だけど世間の、あるいはインターネットで声の大きい人たちの意見は違うようだ。
何故なのか。
可能性がふたつ考えられて、
ひとつは、彼らは馬鹿で情報を理解できないから。
新型ウイルスの話題を毎日見聞きすることで、実際よりもその危険を高く見積もってしまっているんじゃないか。
もうひとつは、つまり彼らが馬鹿でないとすると、私が考えているよりもずっと、人間の自由より社会秩序を重視しているから。
リスクが完全に取り除けていないのなら、自由を制限してでも社会を守るのが当然だとする傾向が強い。
そんな管理社会は私は嫌いなんだけど、どうやら相当数の人たちに望まれているようで、なんだかなあというところ。

名前を隠して楽しく日記

はてな匿名ダイアリーという、匿名で日記のようなものを投稿できるwebサービスがある。
そこである記事(以下増田。尚、当該記事筆者、及び当該サービス全体も増田と呼ぶ)に対して、増田なんだからもっと内容を具体的に書いてくれないとなにも判断できないじゃないかという旨のブックマークコメントがあり、多くのスターが付けられていた。
そこでちょっとイラッとしたので、このエントリーを書いているのだけど、
というのも今朝方ちょっと嫌なことがあって気が立っていたので、些細なことでも苛立ってしまったのだ。


相手方のちょっとした言い方の問題に過ぎないんだけど、私がそれを過敏に受け取ってしまい、怒りをあらわにした。
嫌な言い方をされたことよりも、自分がそんなに短気に振る舞ってしまったことに強くショックを受けている。
それじゃあいけないとリフレッシュするためにお気に入りの喫茶店に行ってみたのだけれど、
今日が祝日だということをすっかり忘れていた。
店は今まで見たことないような混雑ぶりで*1コーヒーもスコーンも美味しかったけれども、とてもリフレッシュできるような状態ではない。
ダメな日は何をやってもうまくいかないものだなと思いながら増田を読んでいたのである。


増田は解決策を模索して、アドバイスを求めて書かれたものではない。
少なくともそれを求めた記述はない。
もう過ぎたことであり、過去の事件に対して気持ちの整理をつけるために書かれたものじゃないかと想像できる。
あるいは愚痴と言ってもいいかもしれない。
原義的な意味で反省している様子で、改善点が見つかれば喜びそうではあるが、
それを他者に期待しているようには、少なくとも私にはそうは見えない。

それなのに、そこに付くコメントが「具体的に書いてくれ」「判断できない」である。

お前いったい何様なんだよ。
なんでお前に判断されなきゃいけないんだ。
判断されるために余計に労力を払って、リスクを負わなきゃいけないんだよ。
お前の判断なんて知ったこっちゃねえんだよ。
匿名なら何でも書けると思っているような奴の判断なんて糞食らえだ。

とか無駄に悪態がいくらでも出てくるので今から野菜400g買ってくる。

*1:今までも2回しか行ったことない

龍角散ダイレクト

喉が痛い。
腰が痛い。
体が痛い。
もうダメだ。
2回連続で体調が悪いだけのエントリーになってしまう。
別に他人がそうしていることにどう思うことはないんだけど、
私自身は、体調が悪いということをインターネットに書き込むことが苦手で、
自分が体調が悪いことをアピールしているかのように思えて、軽い自己嫌悪に陥る。
でもインターネットには、こうした個人の心情こそ書き込むべきだという、信念に近いものが私にはあって、
だから喉が痛くて咳が止まらないという事実の記述ではなく、
それを書き込むべきだと思いながら、書き込みたくないというアンビバレントな感情を綴ったエントリーはこちらですか?

すばらしい日々

全身がダルくて、二日酔いかな?と思った。二日酔いになるほど飲んでやいないけども、それだけ老いてしまったということなのかもしれない。
だが違った。
翌日はさらに悪化した。頭が痛い。体は動かすのもしんどい怠さ。熱がある。これはダメだと思った。
その日はこれといった予定もなかったので、仕事は休みをとった。できれば翌日も休みたいと相談してみたが、それはかなわず、午後からでもいいから出てこいとのことだった。
翌日も相変わらずだった。前日よりかはいくらかマシで、気合いで出勤することはできそうではあるが*1、やはり頭痛が酷いことに変わりない。身支度を整えて、駅前の内科が開くのを見計らって出発した。
結論から言えば、インフルエンザだった。熱こそ36.9度しかなかったものの、念のため、といってやってみた検査は陽性だった。出勤はダメだと言われたので、そのとおりに職場に伝える。休みが確定した。
帰りにはスーパーに寄って食べられるものを買う。前日にはポテトサラダしか食べていない。蒸しパンとプリンと野菜ジュースを買って帰った、ような気がする。

休みといっても、体調が酷いのだ。増田を読んでいくような元気はない。ただただ一日横になっていることしかできない。
食欲は無いけど薬だけは飲んでおこうと思って飲むも、強い寒気に襲われて、やがてすべて吐くこととなった。
そうして何日かが過ぎた。寝て起きて、とにかく何かを食べて薬を飲んでは、また寝るという生活をしていると日にちの感覚がなくなっていく。
熱は下がり、頭痛は治まったが、体調が回復したとは言いがたい。まだインターネットを読み漁る元気はない。文字を読むということが多くの体力を要することを思い知る。プライムビデオでモヤモヤさまぁ〜ずを見続けることしかできない。

インフルエンザでは、熱が下がってからはもう元気なのに、ウイルスが死滅するまで外に出ることができずに退屈だ、という話をよく聞く。インフルで暇だから長文を書いてるよみたいなブログも見かける。
どうして彼らはそんな元気なんだろう。あるいは、どうして私はいまだこんなに病んでいるんだろう。これが老いなのか。もう今後私の体調が「回復する」ことなんてないのではないか。そんな恐怖に襲われる。老いは65歳になって訪れるのではない。老いはすぐそこにある。老いという観念に囚われる。

体力もだいぶ戻ってきたとき、寿司が食べたいという気持ちが湧いてきた。しかし最寄りのセブンイレブンには置いていない。職場最寄りのファミリーマートには置いている握り寿司が、セブンイレブンには無いのだ。
仕方なく駅前のスーパーまで歩く。
時間が遅かったからか、スーパーにも期待していたものはなかったが、そのかわりに刺身が値引きされていた。普段はとても買おうとは思わないような所謂お高い鮪の盛り合わせだったが、半額になっていたので買ってしまった。そして、これがうまい。やはり高いものには高いだけの理由があるのだ。

出勤停止命令も解け、ウイルスも撲滅したはずが、まだ咳が止まらない。耳鼻科で咳止めを処方されるも相変わらずだ。咳以外はもうすっかり良くなったのに。
モヤモヤさまぁ〜ずも間もなく見終えてしまう。

*1:仕事ができるわけではない