Tweetdeckがオオアリクイに殺されて半年が過ぎました

 

 

Tweetdeckが死んでからTwitterを見なくなった。一切開いていないというわけではなく、何かでリンクが貼られていれば迷いなく開くし、特にログアウトもしていないので、たぶん所謂アクティブユーザーに数えられてはしまっているんだろうけど、意図してTweetdeckやTwitterホームなどを開くことはもうなくなってしまった。もう数年くらい開いていないかとも思ったけど、実はまだ半年だったことに少し驚く。

Twitterを見なくなったことでインターネットの話題にはいくらか疎くなった。けれどもインターネットの話題を誰かと話すことなんて、インターネットでしか起こらない現象なので、インターネットの話題に疎くなることに問題はひとつも発生しない。より問題なのは、インターネットの話題に疎くなった替わりに得たものが、何一つ存在しないということだ。マスな話題、ポップな話題に強くなることもないし、より深い知識を得られたということもない。よりクリエイティブな活動ができるようにもならなければ、ビジネスに力を注げたわけでもない。もちろんリアルな人間関係を築けたりもしていない。人間である意味がない。

 

blueskyが人気だという話は聞く。招待制を廃止して誰でもアカウント作れるようになったことは知っている。だから、まあ、アカウントを作ってもいいとは思うし、近いうちに作るだろうとも思っている。けれども、そんなに魅力を感じられない。それは、新しいものに興味が湧かないというよりも、タイムラインを追いかけることなんてもういいじゃないか、もう十分だろうという気持ち。

そんなことを言いながら、またThreadsを見ている。

Threadsには、(あの頃の)Twitterと比べて明確に優れている点がひとつある。面白くないことだ。タイムラインを眺めていてもぜんぜん面白くない。あるいは、面白い人がThreadsには少ない。だからタイムラインを無駄に追い続けることがなく済む。時間を浪費しない。もっと有意義なことに自分の時間を使うことができる。理論上は。なのに何故。

 

せめて、何か書いたほうがいいんだろうな。書いたところで何が得られるわけではないけど、書かないよりは書いたほうがいいんだと思う。死んでいるよりは生きていたほうがいい。