バカとはてブ

fujipon.hatenablog.com

 

一理あるけど、言い過ぎだな、とは思った。普段はかなり慎重に言葉を選んでいるfujiponさんがたまに炎上覚悟ででかいこと言い出すときがあって、まあこのエントリーもだいぶ言葉を選んで書いてはいるんだけど、それでも誤解を恐れずに書いている印象は強かった。そして案の定に叩かれたわけだ。もちろん批判されるべき部分もあっただろうが、私には十分それは意義深い論旨に思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これからしばらくしてfujiponさんがもう一本書いたんだ。これがイケてなかった。

 

fujipon.hatenablog.com

 

内容に賛同できるかどうかはともかくとして、彼は、いつもとてもわかりやすい文章を書いている印象だった。だけど、このエントリーは違った。冷静さを失うほどに前のエントリーへの反響が気に入らなかったのかしら。それにしても随分と日にちも経っているのに。

まず前半部では米銃規制の現状と米国内での賛否についての本の内容がつづられる。武器を持つことによって弱者も強者と同等に権利を保持することができるのであって、その規制はエリートばかりを守るものであり、格差の拡大になるという考えが少なからず支持されているという。しかしそうした考えは弱者が自らの手で身を守らなければならない状況が存在しない日本人にはいくら言葉を尽くしても理解されにくい。

 

 銃規制に反対する人たちの大部分は、誰かを撃ってうっぷん晴らしをしようとしているわけではなくて、自分の身を守るためには、銃が必要だ、と考えているのです。
 日本のように、現時点で警察や自衛隊、あるいは一部の反社会的な勢力しか銃を所持していない国であれば、「銃を拡散しないほうが安全」だと多くの人が感じていても、アメリカのように、すでに銃が大量に出回っている社会では、いまさら銃を規制されても、「自分だけが身を守れなくなるのではないか」という不安が先に立ちやすい、というのも事実でしょう。
 それでも、僕は自分自身の価値観から離れることはできないこともあり、ずっと銃所持には反対なのですが。


 僕は、ネットで他者に話を聞いてもらうことの難しさを、最近あらためて痛感しています。

 

こうして後半部では、「廃止論」がきちんと読まれずに見当違いな反論がなされていることをつづり、説明しても理解を得られない構図が同じだとするのだが、それは流石に無理のある展開ではないか。

まずどの立場からの「理解されない」なのかがわからない。規制派である米エリートの立場から反対派である貧困層へのものなのか、あるいはその逆なのか、もしくは本の著者から多くの日本人へのものなのか。それを決定づけるものは見つからず、というのも「理解されない」ことの他に共通するものが存在しないからだ。少なくともブログ記事中にそう読み取れるようには書かれていない。

また銃規制について語った前半部ではそれぞれの主張がどちらも一理あるものだったはずなのに、後半部の「廃止論」への反応についてでは挙げられている例が反論たりえないものしかない。銃規制との類似はどこへいってしまったのか。きっとfujiponさんの頭に中にはもっと多数の類似があるんだろうけど、読んでいるほうは置いてけぼりだ。

 

置いてけぼりではあるんだけど、それでも彼が、自分の書いた文章が頭の悪いブックマークユーザーに正しく読解されていないことを嘆いているんだということはわかる。きっと彼の主張はそこだろう。そういうことはある程度理解できる。頭に血が上りながら書いた文章なのかもれないけれど、それくらいのことは容易に読み取ることができる文章がしっかりと書かれている。だけどブックマークユーザーの反応は違った。

もちろんすべてがそうではないが、前のエントリーが、その内容が叩かれたことが悔しくて、ブックマークユーザーが憎くて、はてなブックマーク廃止論を増強するためのエントリーだとして、その反論を書き込んでいるものが多くなった。冷静に読めば、今回の論旨がそこでないことはすぐわかるだろうに、自分が攻撃されていると思い込むと一気に好戦的になる様はあまりに憐れ。そうした振る舞いがかえってfujiponさんの主張の正しさを印象づけるものになっている。*1

 

 

nogreenplace.hateblo.jp

 

 

こちらの記事には同意するところが多い。多くの批判者は「リンチ」をしている自覚はないことだろう。それぞれのユーザーが各自で思ったことを書いているに過ぎない。そうすると叩かれた側や、ときには第三者からも、それがリンチに見えてしまう。結果的にリンチのように見えてしまうことは仕方ないこととはいえ、決して望ましいことではないだろう。

最近少し心配になることがあって、この「仕方ないけど望ましくない」という感覚は共有できるものなんだろうか。「仕方ないけど望ましくない」という状態が存在するということもそうだし、結果的にリンチかのように見える事態に陥っている現状が「仕方ないけど望ましくない」と思ってもらえるんだろうか。もしそこが共有できないものであるならこの先に書くことがすべて無になってしまう。インターネットに書き込まれがちな強い言葉たちを見ていると、そのあたりから心配になってくる。ここには馬鹿しかいないんじゃないかって。インターネットはバカと暇人のものとはよく言ったものだ。

 

もし我々がバカでなければ、必要以上に叩かれている人がいたなら、自分の言いたかったことをすでに言葉に記している人がいたなら、それ以上の同じ批判を重ねないという振る舞いを取ることができる。バカをバカだと罵ることはバカにだってできる。そうしたことは黙っていても勝手にバカがやってくれるのだ。しかし、バカには気付かない視点というものがある。私がはてなを好きなのは、そうした視点を効率よく集めることができるからだ。*2 だからそうした視点はできる限り発掘したいし、あるいは自分が気が付けば積極的に書き込みたい。強い言葉を使ったバカが群れている中で、自分のバカに混じって気が大きくなるようなことは避けていきたい。それもなかなか簡単なことではないんだけれど。

あるいは、本来はユーザーの自助努力ではなく、システムによって解決したいところ。ブックマークコメントは多くの意見が集まることに意義があるもののはず。それであるなら同じ書き込みなんてゴミでしかない。はてな社が自然言語処理に精力的に取り組んでおり、また秀でた技術力があるというのが本当であるなら、何らかの解析、処理を経て、無価値なコメントの表示を抑える仕組みが作られてしかるべき。少なくとも、ユーザーのよる評価であるスターシステムのみによって「人気のコメント」を決めて、それを優先的に表示させる仕組みは、強い言葉を積極的に評価する結果を招いてしまうことは明白で望ましくない。ユーザーはバカであるという前提に基づいたシステムを作り直す必要があるのではないか。はてな社はユーザーの善性を信頼しすぎるきらいがある。

*1:「どっちもどっち」といったほうが正確かもしれない。

*2:もちろんはてな全体にはバカのほうが圧倒的に多い。その中から有益なものを探すのだ。それが他のツールで行うよりもずっと効率的なのである。