それなりの解脱

それなりに自炊しようとすると、どうしても大量に作らざるを得ず、数日間同じものを食べ続けることになる。

もちろん毎食ごとにきちんと料理をするということだって不可能ではないだろう。しかし、コストがあまりに高すぎる。私は"それなりの自炊"のことを言っているのであって、趣味の料理や完璧な食生活について言及したいのではない。突き詰めればいくらだってできるだろうが、そんなことはしたくないのだ。楽をしたいし、金だってかけたくない。それなりに節約して、それなりに楽をしながら、それなりに美味しいものが食べたいんだ。

それなりに美味しいものが食べたい。だから自炊をする。そうするとそれなりに美味しいものが食べられる。そのときは。だがしかし、だ。それなりに美味しいものも作り置きすると、それは美味しくなくなっていく。熱を加えると、あるいは塩分に晒され続けると食品の細胞は破壊され、水分は流れ出し、旨味は溶け、食感は失われ、料理は味気なくなっていく。それを見越した調理というのもできないではないんだろうが、私は未だそこには至れないでいる。カレーとか、茹で鶏の醤油漬けとか、それくらいしか満足に味を保てない。業務スーパーでポテサラや筑前煮を買ったほうがいいじゃんってなってくる。

ぜんぜんうまくないような惣菜も、たとえばヨーイドンで調理して2時間後に食べ比べるような競技であれば、私の作ったものなんかよりもずっと美味しいんだろうなと考えるようになった。何食ってるかわからなくなるようなしつこい味付けも、きっと時間を置いて食べられることに最適化した結果なんだろう。食材の質や調理者の技術に頼らないオペレーションを築くとマクドナルドの味に収斂していくんだというような話を思い出す。マクドナルドを食べてまで生きていく意味とは。