解脱したいという執着から逃れることができずに解脱できないの、どう考えても制度上の欠陥だとしか思えない。解脱したいっていっても、そのためにわざわざ修行するほどには執着していないのに、それでも解脱できないでいる。もはや56億年待ち続けるしかないのか。弥勒ですらまだ悟ってないとかどうかしている。
本の感想 (追記あり)
- [増田]
あとで書こうと思ったときに思っていることすらいずれ忘れてしまうので、読んでいる最中とは違っても書き残して損はない。
2020/12/13 12:05
なんかそれっぽいこと書いたけど、自分では最近めっきりブログも書けてないなと思って書いてみている。感想も書くほどの鑑賞もあんまりしてなくて、ハルヒの2巻も買ったまま読めていない。映画も見てないし、増田だって大して読めていない。スマホゲームも、パズドラやFGOも飽きて、アークナイツは最低限のノルマをこなすだけで、ろくにイベントも進められていない。最近私はいったい何をしているんだろう。
特別に仕事が忙しい訳ではない。別府から取り寄せた湯がなくなってからスーパー銭湯へ通う足も遠のいた。夏場ほどに自炊に精も出さなくなった。散歩はしていないこともないが、ここ一週間くらいはできてないな。いったい私は何をしていたんだろう。
こういった特に何をしたでもない時間はどんどん忘れ去られていく。だからブログを書くべきだ、というのも一理あるかもしれない。けれど一方で、そうした記録を残すことに意味はあるんだろうか、という疑問も浮かぶ。有意義なことをしたのであれば記録を残すことに意義もあろうが、無為な時間を記録することに意義はなかろう。むしろそのまま曖昧な存在であり続けたほうが、やがて時間の中に溶けて宇宙と一体になれるのではないか。
若い頃は自分を失うことが怖かった。就活イベントで、大量のスーツの学生が一斉に駅から会場へ歩くのが気持ち悪くて、その中に混ざるのが我慢できなくて、途中で帰ってしまったことは今でもよく覚えているけれど、そうした気持ちを抱くことはもうないんだろう。執着が減ったとは思う。でもそれは、必ずしも良い変化でもないんだろう。