ちょっと前のブコメにスターが付いたついでに付近のブックマークを見ていたら、未読があったので読んでみたら面白かった。
最近、意味を伝達するメディアとしての「物語」の役割が、ある種の終焉に向かってるんじゃないかと思うことがある。
— 岡安モフモフ@アーガイル/スプラトゥーン (@shields_pikes) 2015, 11月 2
「物語」の役割が終焉に向かっている。その根拠が、CMとニュースとゲームと漫画とバラエティ番組とアダルトビデオだ。
— 岡安モフモフ@アーガイル/スプラトゥーン (@shields_pikes) 2015, 11月 2
いずれもバブル期〜90年代には、映画的な「ストーリー」が、メディアに魅力を与える最重要な要素を担っていた。それが今は「リアリティ」か「世界観」に取って替わられている。
80〜90年代の広告業界華やかなりし時代に流行った、まるで映画のようなCMも、演劇仕立てのコントも、卒業アルバムから勝手なプロファイリングするワイドショーも、エピソードを丁寧に描くギャグ漫画も、重厚なストーリーを語るRPGも、貞淑な妻の日常を演技するAVも、今はどこかサムいのだ。
— 岡安モフモフ@アーガイル/スプラトゥーン (@shields_pikes) 2015, 11月 2
かつてメディアの根幹にあった「物語」を解体し、コモディティ化したものが「キャラ」と「世界観」であり、それをより自然で刺激的にしたものが「写真」「動画」「生放送」「シェア」「同時プレイ」であり、「リアリティ」なのだ。これは、絵画の持つ役割を写真が代替して行った過程によく似ている。
— 岡安モフモフ@アーガイル/スプラトゥーン (@shields_pikes) 2015, 11月 2
「物語」は、かつて「サルまん」が生みだした「死亡フラグ」に代表される「お約束」のネット民による集合知化により、分解され過ぎてしまったのではないか。その遊び半分の集合知は、まとめサイトとソーシャルメディアの普及により猛スピードで完成し拡散した。無論、物語の死因はこれだけではないが。
— 岡安モフモフ@アーガイル/スプラトゥーン (@shields_pikes) 2015, 11月 2
例えば昨今のソーシャルゲームにおいて、「継続プレイのための習慣化と課金構造」の次に重要なのは、「物語」でも、ましてや「ゲームシステム」でもなく、「世界観」である。キャラクターもまた、世界観の一部として八百万の神々のように林立しているに過ぎない。
— 岡安モフモフ@アーガイル/スプラトゥーン (@shields_pikes) 2015, 11月 2
漫画においても同様で、今の漫画がヒットするための要因は「あっと驚くストーリー展開」とか「感動の物語」ではない。「人食い巨人を恐れて、高い壁の内側で暮らす人類の話」や「地球破壊を予告した怪物が担任教師として、生徒の暗殺の標的になる話」などの「設定の面白さ」すなわち「世界観」である。
— 岡安モフモフ@アーガイル/スプラトゥーン (@shields_pikes) 2015, 11月 2
「物語」が解体され、解析され、コモディティ化され、単なるテンプレートになってしまった時代。時間軸に沿って、毎回ゼロから語られる分かりきったストーリーを追うことに飽き飽きした「飽話」の時代には、物語の残り香たる「世界観」と、それを裏付けるバックストーリーだけで充分なのではないか。
— 岡安モフモフ@アーガイル/スプラトゥーン (@shields_pikes) 2015, 11月 2
あとひとつ気になるのは、この感覚が時代によるものなのか、世代によるものなのか、年齢によるものなのか、の判別だ。
— 岡安モフモフ@アーガイル/スプラトゥーン (@shields_pikes) 2015, 11月 2
この3つは、非常に賢い人であっても、本当に混同しやすい。
とある現代の事象を論じる時、それが2010年代という今の「時代」に由来する事象なのか、自分が属するポスト団塊ジュニアという「世代」に由来する事象なのか、アラフォーという「年齢」に由来する事象なのか。この3つの視点を混同せずに分解して考えることが重要だ。あと自分の所属クラスタもね。
— 岡安モフモフ@アーガイル/スプラトゥーン (@shields_pikes) 2015, 11月 2
物語よりもキャラや世界観が求められるようになったのって、たぶんその方がわかりやすいからだよなあとか思っている。別に消費者が馬鹿になったとか言いたいんじゃない。多すぎて選べないんじゃないかと思う。漫画も小説もレーベル数は増え続け、Webではアマチュアの描いた作品も消費されている。マスの力は弱まり、趣味は多様化したと言われるが、誰しもが自分の趣味嗜好に造詣があるわけでもない。無数にある同じような作品の中から選ぶのは、どうしても奇抜な設定のものになってしまう。
あとちょっとズレるけれど、この前に読んだ 女子はこう楽しんでいた:なぜ「おそ松さん」はTwitterで祭になる? 月曜深夜にトレンド入り連発のワケ (1/5) - ITmedia LifeStyle が面白かった。なんでおそ松さんを見るようになったか、どこが面白いのかという問いに、Twitterで話題だったから、二次創作が盛り上がっているからという答えがあって興味深い。それってもうコンテンツの面白さじゃなくない? そこまで含めておそ松さんの面白さだという主張があってもそれは決して間違いではないんだけど、ライブパフォーマンスが上手いのは歌唱力とは呼ばないのと同じようなイメージ。それはコンテンツの面白さじゃないよね。でも、ヒットするにはそういった要素こそ必要なんだ。
それと、もうひとつ。最近は私も物語ってそんなに重要じゃないんじゃないかって思い始めた。私がメディア作品に世界観を求めているのかと言えば、それは明確にNOだし、世界観 < 物語 であることは間違いないんだけど、でもそんなに物語が何より大事かと言えば、それもまた違うような気がする。たとえば私の好きな映画に「ロックンロールミシン」というのがあるんだけど、アパレルブランドを作って頑張ったけど上手くいかないっていう話で、そんな大層な物語じゃないんだよね。同じ物語を描いている小説も読んだけど、原作の小説よりも映画のほうが私は好きだった。その違いが出てくるのは、きっと演出によるものだと思う。演出というのは映画製作における職種を指しているわけではなくて、国語辞典に載ってるような意味での演出。どう見せるかの工夫。そういうのが大事なんじゃないかって最近思う。ワンパンマンなんてどんなに敵が強くたってサイタマが出てくれば余裕で倒しちゃうのはじめからわかっているのに、それでもあんなに面白いってすごいよ。ああいう見せ方ができる作品が好き。
それから最後に、近傍ツイートが表示されるChrome拡張がめっちゃ便利という話。
近傍ツイート検索で出されたページを開くと該当ツイートがハイライトされて、前後のツイートも続けて読めるようになるのがめちゃクソ便利。RTされてきたり、はてブされてきたりしたけど、前後の文脈がわからないものとか、これを使えば一発で見渡せる。まだ使っていない人は今すぐ落とすべき。近傍ツイート検索で表示されたURLをはてなブックマークすると、Twitter連携している場合は必然的に相手にメンションが届き、怒られることもある(経験済み)ので、ブクマするならTwitter連携は外して使ったほうが無難。