面白いコンテンツがあったので、久しぶりにブログを更新してみる。1000ブックマーク記事なので、こんな零細ブログを読むような人ならとっくに読んでいるだろう記事。
こんなのデマだ、いいや真実に違いないといういつもの応酬が繰り広げられているけど、そんな不毛な争いに終始するよりも、「嘘は吐いていないけど必ずしも正しくもない」というスタンスで読んだ方が面白いよね、って話。
なんで嘘だ真実だの論争になるかというと文章の脇が甘いからだ。好意的に読む人はそんな甘さを気にしやしないし、もしかすると身を守るためにフェイクを入れたとかまだ書けない秘密を握っているからだとか考えるかもしれない。逆に批判的な人はそれは虚偽だからだ設定を詰めきれていないからだと言っている。でも私は好意的且つ批判的に読むから、それは筆者がうっかりさんだからだと考える。ここで「好意的」というのは「わざと嘘を吐いたりはしていないだろう」程度の好意だ。
たとえば部長のことを「直属の上司」としっかりと太字で記しているが、また別の箇所を読めば、彼と部長の間には「グループマネージャー」なるポストの人がいることがわかる。これが創作だとして、つまり本当は部長が直属の上司でなかったり、もしくはグループマネージャーなる役職者が存在しないとして、彼にはポストを捏造する必要性がまったく無い。新しく物語を作るよりも終始部長を悪者として描いた方がストーリーはすっきりする。事実を脚色するのでなくゼロから話を作っているとしても同じことだ。出てくる必要のない煩雑な(そして結果的に自分で間違えた)設定を作るインセンティブなんてどこにもない。だからこれは捏造ではないはずだと考える。これは彼がうっかり間違えたことによるものじゃないか。うっかりと部長のことを「直属の上司」って言っちゃったけど、本当は間にはグループマネージャーもいたよねテヘッ。
筆者はうっかりさんである。そう考えると15年前は小学校の謎も解けてくる。
任天堂を退職しました | 破竹の勢い
小学生で任天堂に入社して初任給でアーロンチェアを買ったと考えれば矛盾しない http://gyazo.com/8a29928580ec06699bc52b4aef1437d5
2015/06/26 13:51
彼の任天堂入社は15年前だけど、別記事では15年前の彼は小学生だったことになっている。このとんでもない矛盾も彼がうっかりさんであるということを考えるとすっきり収まるし、逆に彼がうっかりさんであるという確信が強まる。
orzレイアウトのおかげで、親指シフトをマスターすることを決めた | 破竹の勢い
2000年に親指シフト薦める富士通社員も想像しづらいので25年前のミスタイプなんでは。
2015/06/26 13:07
彼はうっかりさんだから、勘違いも多い。彼には聴覚障害者が同じ部署で働くだなんて「常識的に考えて」「ありえません」ということなのだが、しかし実際に彼女はしっかりと働けていた。どうやら彼は聴覚障害者に対して、実際以上に能力が劣ると考えがちであるようだ。なぜ彼がそう考えてしまうかといえば、聴覚障害に間違った知識を持っているからというのが理由のひとつにありそうだ。
彼は文章を書くのが苦手である聴覚障害者の女性のことを、それは「9歳の峠(壁)」によるものだと考えている。恥ずかしながら私は「9歳の峠(壁)」という言葉を知らなかったので検索してみた。すると、どうやらそれは聴覚障害者が言葉を扱う能力に劣るというものではなく、抽象的思考を身につけるのに遅れを取る子が出がちということであり、聴覚障害者の教育時に発見されたものではあるが、決して聴覚障害者の特徴ではないらしい。9歳の峠 - Google 検索 これは彼のうっかりした勘違いであり、うっかりした障害者差別だ。決して障害者が憎くて差別しているわけではなく、彼のうっかりした勘違いと、それに基づく強過ぎた正義感が彼を差別に追いやっている。だからこそたちが悪いのである。
ここまでくると、彼女の自殺未遂の件も彼のうっかりを疑った方がいいような気がしてくる。救急車を呼ばなかったのは本当に隠匿のためなのか、ということだ。
たとえば現場には睡眠薬の入っていた銀のシートが残っていて、薬に詳しい部長は、この量であれば健康に影響はないということを知っていたのかもしれない。あるいは救急車を呼ぶよりも車で向かった方が早いというグループマネージャーの判断だった可能性もある。急患であれば救急車で運ばれなくても同様の処置を受けられることを知っている大人は多い。より急いで病院に向かった結果、受付で緊急性がないことを諭されたのかもしれない。これまで見てきた彼の数々のうっかりを考えれば、これくらいの思い違いなら十分にあり得る。
こんなところで、彼は故意に嘘を吐いたりはしていないけれども事態はさほど大きな問題を孕んでもいない、という結論に落ち着くことができた。これで推理ゲームはひとまず終了となる。もちろんこれは私の解釈に過ぎず、もっと色んな解釈の余地があるだろうし、依然として真実は藪の中にある。本当のところなんて我々には知りようもないことだ。だけどひとつだけはっきり言えるのは、正義感の強い馬鹿はたちが悪いということである。