田舎の人口減少がヤバいという記事。
2050年、全国の6割が人口半分…2割はゼロ : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
俺はいわゆる田舎に住んだことがないので、それがどれだけ悲惨な状況なのかよくわからない。世界的に見れば、比較的日本は山間部にもまんべんなく人が暮らしている方でもあるし、都市に人口が集中した方が経済活動が合理的になるのも明らかなので、田舎はもっと人減ったっていいんじゃないかなという気さえする。
ただ、一部の都市に人口が集中するのが、中央集権の当たり前の結果だというコメントが複数見られて、いやいやお前それは違うだろと思わずにはいられなかった次第。
大都市に比べて、田舎の行政に金が無いのは自明だろう。大工場によって潤っている一部の地域を除けば、田舎には大きな産業もなく、法人税収入が圧倒的に少ない。その上人口の割に行政地域が広いので、行政運営も都市部と比べて非効率なものになってしまう。だからどうしても田舎の自治体は予算不足に陥ってしまう。
それを補うのがいわゆる地方交付税だ。地方交付税は一旦国税として集められた財源を、国が地方公共団体に再分配する。その分配に明確な基準があるのか、それとも財務省のさじ加減次第なのかどうか知らないが、わざわざ知事や市長が中央官庁に挨拶回りに行くことを考えると、交付基準はあったとしてもかなり曖昧に融通の効く基準なんじゃないかと思ってるけど本当のところは知らない。兎に角、それは大都市からの税収を、田舎に分配する仕組みだ。国が強い権限を持っているからこそできる政策だ。
これが中央集権体制を改めて、たとえば道州制になったらどうだろう。今は東京からの税収を秋田に割り振ることもできているが、国家の担っていた予算の再分配が州の担うところとなれば、せいぜい房総に割り振るくらいしかできなくなる。それじゃあ男鹿の予算はどうやってまかなうのか。秋田や仙台の予算を回すしかないが、もちろんそんな余剰は無い。予算がなければ道路も病院も作れないし、維持することも難しくなる。工場やショッピングモールの誘致もできないし、町おこしだってできない。下手したら上下水道や健康保険を保つことさえできなくなるかもしれない。そんなところに住みたいと思う人なんてまずいない。現在の田舎がジリ貧の状況を保てているのは、中央集権制による再分配があって辛うじてのものなんだ。
それでも地方分権の推進を求める声は小さくない。三鷹や船橋が言うならわかるが、何故か田舎からほどよく挙がるような気がする。俺は東京に住んでいるからそれでもいいんだけど、お前ら本当にそれでいいのか。
以前ドワンゴの夏野が言っていたが、東京は、東京だけが独立したならシンガポールや香港、マカオになんかに負けない国際競争力を持っている。だけどそれじゃあダメなんだよ。日本はそこそこ広い国土を持って、その7割を山地が占めて、そんな住みにくいところにもしっかり人が生活している。それこそが日本の国土だし、国民なんだ。それを切り捨てての経済成長じゃ意味が無い。だからといって田舎にも都市と同じ暮らしやすさを提供する財源なんてもちろんどこにもないわけで、必ずどこかに妥協点を見出さないといけない。だから利害関係のプレイヤーが互いに綱引きしていかないといけないのに、田舎の人間の方から地方分権だとか大きな声で叫びやがって、おい本当にそれで大丈夫なのか。