家入的なあれ

猪瀬知事の突然の辞任から始まった東京都知事選挙も蓋を開けてみれば、というか開けるまでもなく当然のように舛添要一の圧勝で終わった。政治資金問題が原因となっての辞任選挙だったのにもかかわらず、よりダーティーな候補が最多得票というよくわからない民意が反映された結果になったけれど、これでようやく石原都政が終幕となったことの意義は小さくないようにも思える。

この数週間の中で、家入氏の記事が挙がる度に私は割合肯定的なコメントを付けてきた。もちろん私自身は彼に都知事に就任して欲しいだなんてこれっぽっちも思わないので、彼に投票するような愚行には及ばなかったが、この選挙期間中の彼の動きはとても興味深いものがあり、素朴に応援したいと思わせるものだったので、その辺りの思うところを綴っていきたい。

 

 

 

 

1000RT云々のときには、羽柴秀吉又吉イエスを見るのと全く同じ感想しか持っていなかった。おうおう、楽しそうだなあくらいに思って見てた。だから年末に芋引いても、公示日直前にやっぱり立候補すると言い出した時にも特に感慨なかった。

おやっ、と思ったのは、出馬会見の文字起こしを読んだときだ。

 

なんで、こんなに日本で自殺が多いのか。そういった質問になかなか誰も答えることができない。僕は居場所を作るという話のなかで、なんでそういう学校行かなくなった子の居場所がないのか。フリースクールとかもちろんありますけど、大々的に「フリースクールに行っている」と言えない状況だったりする。就活したくないけど、せざるを得ない空気があって自殺しちゃったりとか。

そういったこたちが多い中で、僕が自主的に行政に頼らずに自分たちで居場所を作ることで、そういった子たちが助けあう共同体をつくろうということをしていた。それをもっとネットを使ってやることがあるんじゃないかと。そういった質問、問いを自主的に、国とか行政じゃなくて俺らでやっていこうぜと思って居場所を作ってきました。

 

これは今年正月放送の「ニッポンのジレンマ」出演時にも語っていたことだ。番組を見て、しかしそれこそ行政に働きかけていくべきことだ、と私は感じたし、出演の学者陣もそれを訴えていた。自分たちの手で政治を作っていこうと語る学者陣と、政治の難しい話はエライ人に任せて、自分達は身近な人の幸せのために働くんだという家入氏を始めとした事業家陣の間には、大きな隔たりがあった。それはエンターテイメントとして番組を盛り上げたけど、日本の政治を考える上では絶望的な隔絶に思えた。ところが、その番組収録時とは彼の考えが変わってきたようだ。

 

ただシェアハウスの問題で、法律が厳しくなっていったり、そういうなかで共同体で居場所を自主的に作っていくとしても、政治に無関心でいられないと思った。

なんでもっと居場所がないのか、自殺が多いのか、就活するのか、答えられる大人がいない。ましてや、政治家の人たちは、「これが答えだ」といったりもしますが、それが果たして本当に政治家のいうことは正解なのか。そう考えるとそうは思えない。一人ひとりがそういう質問を持って、動き始めることにこれからの東京も含めて日本の未来もあるんじゃないかと凄く思っていて。

選挙とか政治が政治家のものになっている。そんなのは本当にダメで。本当は政治とか選挙とかもっと身近なものだったはずなんです。だけど、僕ら若い世代からするとすごく遠くに見えてしまう。言ってることも刺さらないし、よくわからないし、興味が持てない。だからもっと政治、選挙をみんなの小さな質問を集めて、身近なものにしていきたいと思っている。選挙とか政治を取り戻していこうぜと。

 

 

 

 

 ガバメント(統治)に対してガバナンス(自治)という言い方がある。一部の政治家や官僚によって行われてきた行政を、市民の手に取り戻そうという考えだ。よりキャッチーに「新しい公共」と呼ばれることもあるし、堅苦しく「協働」という言葉を使うこともある。本当はきっと少しづつ指し示すものが違うんだろうけど、大きなくくりとしては同じようなものだ。

 協働 - Wikipedia

 市民を主体とした街づくり。概念としては素晴らしいと思う。でもその実現は難しい。今でさえ精一杯の暮らしなのに、一銭の金にもならないグループワークの参加だなんてやってられるわけがない。そんなことは金と時間に余裕のある一部の人にしかできない。

そこに彼はインターネットを導入する。クラウドソーシングよろしく、より多くの人を巻き込むことで、ひとりひとりの負担を軽くする試みだ。そのひとつの形として、Twitterハッシュタグ#ぼくらの政策でつぶやかれただけの意見を集約して、妥当性は兎も角、それらしい政策集をつくり上げることができた。

 家入一真(いえいりかずま)東京都知事選立候補者 120政策決定

 

だから彼が都知事にふさわしいと言いたいわけではない。自らの創業会社さえ追い出されるような人間にどうして都政を託さなければならないのか。知事が彼である必要はないし、むしろ彼であってはマズいと思う。ただ、彼の手法はもっと行政に利用されていいと思う。

こちらのハフィントンポスト記事では都知事選の争点として市民参加を掲げている。名前こそ挙げられていないが、私にはこの記事は家入氏の応援にしか見えなかった。しかしライターには、家入氏が都知事候補として認知されてさえいないというのが実際のところじゃないかと思う。