SLAPPというヘイト

いくらこの国の司法が頼るに足りないものだとしても、その人権意識が中世のままだっとしても、それでも私刑よりかはずっとマシだ。
だから私たちは国会に立法を、行政に取り締まりを求めてきた。だからワタミが議員になるのを危惧してきた。







公明正大に無実を訴えればいいと言う。しかし小沢一郎が無実を訴えたとき、どれだけの人が彼の言葉に耳を貸しただろう。
話せばわかる、という言葉がある。たしかに話せばわかることもある。だけど話すことはわかるための十分条件にはならない。いくら話したって伝わらないときは伝わらない。相手が聞く耳を持たないなら尚更だ。本当に今まで柳井の話に耳を傾けようとしてきたんだろうか。

火の無いところに煙りが立つ事例はいくらでも見てきた。豊川信金が、潰れるとされる十分な理由があったか。スマイリーキクチは女子高生に何をしたというのか。痛くもない腹を探られることがどれだけ不快であることか。
それを訴える場として司法がある。私たちが勝ち取った権利だ。
しかし彼らは言う、社会的に強い立場にあるものが司法にすがるのは横暴だ、と。
黙れシャラップ!そんな理屈があるもんか。それでは私たちは永遠に鼠小僧を捕まえることができないし、安重根の行いを裁くこともできない。司法は誰もに開かれた最も公平な手段だ。
もちろん裁判制度も完璧じゃない。至らないところ、不公正な部分も多々あるだろう。それでもまだ他の紛争解決手段と比べればずっとフェアな方だ。
もし不満足な点があるなら、私たちはそれを改善していかなくてはならない。利用するものを責めるようなことはあってはならない。
それとも企業は別だとでも言いたいのか。日本は中世だから、法人格に人権はないということか。

必要なのは裁判制度を改めること。
かかるコストを軽減することや、被告に対する偏見をなくすこと。
間違っても紛争解決手段として裁判を放棄するではないし、ましてや起訴するものに私刑を行うようなことがあってはならない。