今週末は忙しいから休めないぞと宣告され、今日が休みになった。久しぶりに天気のいい休日となったので、布団を干した。というか、そもそもこの布団を干すという作業だ。布団を干すのならシーツやカバーも洗いたくなるのが人情というものだろうが、どう考えても我が家には同時に大物をそんなに干せるスペースは無い。きっと我が家だけでなく都市部に住まうほとんどの単身世帯が同じことなのではないかと思うのだけれど、人々はこの問題とどのように戦っているんだろう。やはり部屋の中にスズランテープを引っ張ってシーツを干しているんだろうか。実に悩ましい。今回は掛け布団カバーに破れがあったこともあり、新しいものを購入するというソリューションがとられた。ちなみにここ数年、寝具は無印良品で買い揃えていたけれど、思いの外の暑さに無印良品まで足を運ぶことは断念を余儀なくされ、近くのイオンで買うこととなった。なぜイオンに無印が出店していないのか悔やまれる。そうしてイオンに着いたはいいものの、何故かシーツが見つからない。いや、あるにはある。だけど6,000円もするお洒落シーツしかない。そうじゃないんだよ。私がほしいのは1,000円とか2,000円とかで買えるシーツだよ。かわりに敷きパットとかいうものが売られている。何だよ敷きパットって。シーツはどこだよ。なんで無いんだよ。そんなことをイオンの寝具売り場でぶつぶつ言っているのを見かけた人がもしいたなら、それが私です。Google先生にお伺いを立てると、敷きパットとはマットレスの上に敷くものだとおっしゃる。つまりシーツのことなのかなとページを開くと、敷きパットはシーツのさらに上に敷くのだという。率直に言って意味わからないよね。リンスの後にトリートメントをしてコンディショナーをつけるみたいな。ぜったいそれ役割重複してるよね。そんなんやる人いないでしょ。近所の神社行ったら二礼二拍手一礼してる人がいてちょっとビビる感じでしょ。もっと簡略的な、デファクトスタンダードが知りたいんだ。要するにシーツなんでしょ。そう、お前はシーツだ。今日から我が家ではシーツと名乗ることを許そう。そうして事実上のシーツを購入した。それから家に帰って、布団を取り込んで、シーツと布団カバーをセットしたんだけど、なんか違うんだよね。以前のシーツも単色だったんだけど、色が違うからなのか、すごく子供部屋っぽくなった。水色のシーツに、水色の布団。すごく子供っぽい。何の違いでこんなに違ってくるのかわからないんだけど、すごくイメージが変わって驚いている。これが神は細部に宿るってやつなのかしら。
食べるという字は人を良くすると書きます
何日間かはわからないけど、それなりに長いことカレーを食べてきて、何か総括的なものを残したほうがいいような気がした。
・そんなにカレーが好きではない
一部でカレーの人みたいな認識が生まれているようだけれど、まあそれは別所哲也がハムの人と呼ばれるようなものだから仕方がないのかもしれない。だけど、もし間違った認識を持っているのなら改めていただきたいのだけれど、私はカレーが大好きだから毎日食べていたわけではない。もちろん嫌いではない。カレーは日本人の国民食だとも言われ、多くの人がカレーを好きでいるだろうが、私も同程度に好きであるに過ぎない。好きな料理を5つ挙げろと言われても、カレーはその中に入らないだろう。
ではなぜカレーを食べ続けたかといえば、それは自炊のコストパフォーマンスが高いからである。まとめて作って、食べるときに温めなおせば美味しく食べられる。冬場は毎日熱を加えてさえいれば傷むこともない。材料だって、一週間分に1000円かかるかかからないかくらいだ。この安さ、手軽さで、得られる満足感は最良のコスパだ。
ただ、その最小のコストで済むのは寒い間に限られる。私の経験上、GW明けあたりからは要注意だ。過去にカビを生やしたのは2回とも5月だったと記憶している。模範的なブロガーであれば、カビが生えるまでカレーを見守るべきなんだろうが、私はそこまでエンターテイメント精神に長けてはいないし、そんなことをしても1円の収益も得られない。カビの生えたカレーを捨てて鍋を洗うことの憂鬱さには抗えなかった。
・最強の具材は鶏テール
毎日素カレーを食べ続けるのはつらい。何らかの具材が必要となる。特に求められるのは、脂(コク)と歯ごたえ。牛でも豚でも野菜でもまあ何だって好きなものを入れればいいんだけど、最大のコストパフォーマンスを誇ったのはぼんじり、鶏のテールだった。
ぼんじりは業務スーパーで1kg400円くらいで買える。これを同じく業務スーパーで500g100円くらいで買える刻みタマネギと一緒に電気圧力鍋で圧力をかける。その後にトマト缶とカレーのルウを入れてもう一煮立ちさせるともうそれだけで美味しい。脂身ばかりのテールもカレーの具材とすることでほどよい食べ応えを出してくれる。圧力鍋で煮ることで骨もそのまま食べられる。
次点でエリンギが素晴らしい。煮込んでも溶けることなく、しっかりと歯ごたえを与えてくれる。煮込まれ続けるカレーの中でいつまでも歯ごたえを保ってくれるのは貴重な存在。不揃いなエリンギは意外と安く購入できる。
・最大のメリットは食費が浮くこと
自炊のコスパが良いということはさっき書いたが、カレーを毎日食べ、それをインターネットに投稿することのメリットはそれだけではなかった。食費が大きく抑えられるのだ。
それはカレーの材料費が安いというよりも、外食費が激減したことが大きい。家に帰ってカレーを食べ、その画像をアップロードしなければならない。何の義務もないんだけれど、強迫観念に似た何か。カレーを食べないとやんややんやと言われてしまう。そうでなくても、どうせ外食をしたところでカレーが傷まないよう毎日温めなおさなければならないのなら、外で食べて帰るよりも、家でカレーを食べたほうが楽だ。外食が減れば、必然的に食費が減る。カレー生活は財布に優しいので、苦にならず続けることができた。
あとはまあ、カレーの人として認知されることにメリットを見出す人もいれば、デメリットととらえる人もいるかもしれない。
・増田互助会のハイク利用は一般的ではない
この前のエントリーでは、はてなハイクの使い方についての言及もいくつか得られた。*1 だけれど、私の周りでのはてなハイクの利用の仕方が一般的なものなのかどうかよくわからない。というかたぶん違うのではないかと思うんだ。
とはいえ私もハイクをくまなく観察しているわけでもない。どんな利用が本当に一般的なのか、正直なところよくわからない。だけれど、多くのユーザーはもっと他のユーザーとの交流を求めているように思える。
当初のはてなダイアリーがキーワードでつながるということを標榜していたように、はてなハイクはお題でつながるミニブログだ。Twitterでいうところのハッシュタグに近い役割だが、お題の入力ボックスが用意されていることからか、毎投稿にお題を入力している人も少なくない。それはハッシュタグとして利用されるのはもちろん、お題を入力した投稿ははてなハイクのトップページに表示されるので、より多くの人に読まれる。また、知らない人の投稿に対しても気軽にリアクションを取りやすいスターというシステムが用いられていて、新しい交流が生まれやすい仕組みが整えられている。そのためなのかどうか、はてなハイクでは日々盛んな交流が繰り広げられており、他のはてなサービスとは少し毛色が違う。
ところが、増田互助会は少し様子がおかしい。たしかに交流は盛んかもしれないが、それはあまり開かれていないコミュニティの中でのことに限られる。増田を好きこのんで読み、ブックマークしがちな人たちの集まりであり、投稿される内容もコンテクストを必要とするものも多い。返信という公式機能があるにも関わらず、彼らは空リプを多く用いる。お題を用いないことも多く、あるいは自分一人しか用いないお題を設定したりもする。彼らは大脳が壊れたメンヘラであり、もう手遅れなのかもしれない。今は良い薬も多くあるので、どうか自らのハイクをプリントアウトして病院に持っていってほしい。
・転載記事にしかブクマがつかない
前回のカレーエントリーには想像だにしない数のブクマが集まったものだけれど、振り返ってみると、この数か月でいくつかの2桁以上のブクマを得たエントリーがあるがそれらはいずれも私が文章を書き綴ったのではなく、ハイクやTwitterなどを転載しただけのものだった。
私の文章を書く力が乏しいことはまあ今さらなことではあるんだけど、文章を書けなくてもTwitterやらを埋め込んでいけばアクセスを集めやすいんだとすると、そりゃあそういう糞ブログが増えていくよなあという印象。
面白いアニメ
アニメの面白さについて考えている。特に前回の続きというわけでもない。
今冬のアニメは豊作だったと言われる。たしかにそうだったかもしれない。私も昨期は最後まで視聴した作品が多かった。りゅうおうのおしごとだって他の期に放送されていれば切らずに見たかもしれない。そんな中で最もネットの話題をさらったのはゆるキャンとポプテピピックの2作品だった。たしかに話題をさらうに十分な優れた作品だった。でもそれらが最も面白い作品だっただろうか。
というのは私が好きだったアニメ、宇宙よりも遠い場所が、あまり話題に上がらなかったというのがある。*1 宇宙よりも遠い場所は女子高生が南極に行くという、冒険ものであり、それでいて彼女らの日常を丁寧に描いた作品でもある。軸足は笑いよりも感動に置かれているが、女の子たちがキャキャウフしているところをニヤニヤしながら眺められる作品だ。雰囲気としては花咲くいろが近いだろうか。あんなに鮮やかな画作りはされていないけれど。それより一番大きく異なる点は、主人公が何にも秀でていないところかもしれない。音楽や絵画などの才能を持っていないのはもちろん、誰にも負けない行動力や不屈の精神を持っているわけでもない。本当に何もない。そんな主人公なので、物語に派手などんでん返しも起こらない。結月と仲良くなり、南極行きを決めたときくらいか。もちろん南極に行くことそれ自体がドラマチックではあるのだけれど、ただそれはもう見始める前からの既定事実であり、物語に劇的な展開はほとんどない。なのでわざわざインターネットにコメントを書き込む動機が乏しい。そうでなくても全国ネットでの地上波放送はされておらず、インターネットで話題にされることはあまりなかった。
話題にしやすい、なりやすい作品と、そうでないものというのはどうしてもある。そして、話題になった作品というのは、人気(が出るのも当然の優れた)作品だと見なされやすく、さらに多くの視聴者を集める。ポプテピピックはそれが上手かったように思える。やりたい放題だと評されたおそ松さんを遥かに凌駕する奔放ぶりだ。あれで話題にならないわけがない。話題が話題を呼び、多くの視聴者の獲得に成功した。
インターネットで高い評価を得るということは、必ずしも視聴者の大半から高い評価を得たということではない。インターネットに感想を書く人は少数派だ。たしかにかつてほどインターネットへの投稿が珍しくなくなったとはいえ、たしかに多くの人がSNSアカウントを持つようになったとしても、それは程度の問題に過ぎない。レビュー投稿がごく少数派だという事実は依然として変わりない。サイレントマジョリティの評価がどうであったのか、我々には知りようがない。
アニメ産業というのはフリーミアムモデルだと言っていいだろう。テレビ放送それ自体では収益を得られない。テレビアニメはDVDや各種グッズの物販によって、あるいは映画やソーシャルゲーム、パチンコなどのコンテンツの売上によって、そうして利益を回収している。だからアニメの視聴者全員の高評価を得る必要はない。売上に繋がる一部の人からより高い評価を得られれば、そのほうがより高い利益を上げることができ、アニメはより成功したと言うべきなのかもしれない。*2 そう考えてしまうと、今期の覇権はどのアニメだと騒ぎ立てているのは、CMアワード的なものに沸く業界人たちと同じ奇特さなのかもしれない。いや、テレビアニメは商業的なものとは一線を画した崇高な存在である、とはまさか言えないだろう。
日記
ドンキホーテで1.8Lの電気ポットが1,480円と破格だったので買ってきた。
以前から使っていた0.9Lのポットが、年明けくらいから調子が悪くなって、少し前からはまったく使えなくなってしまっていたのでちょうどよかった。容量は以前のものの2倍になって、こんなにお安くていいのかしら。色はピンク一択みたいだけれど、まあ持ち出して誰に見られることもないんだから、気にすることもないか。そんなふうに考えていた時期が俺にもありました。
でも、開けてみたら違ったんだ。まさかこのパッケージから、青いポットが出てくるとは思わなかった。
いやね、別に色にこだわりはないんだ。むしろ選択肢があったなら青を選んだと思うんだ。
でもね、この箱の中からまさか青いポットが出てくるとは思わないじゃん。
驚くよね。
えっ、って。
思わず箱を閉じちゃうよね。
なんでこんなことになってしまっているんだ。
そうしてようやく気がついたわ。
いや、これさすがにレベル高くない? 矛盾塊かよ。
てかこれもしかして、工場の片隅でポットの箱にレ点を付けていくだけの簡単なお仕事が存在するということなんだろうか。それは2通りのパッケージを作るよりも安くあがるということなのかしら。
本当にガルパンはいいのだろうか
結論から言えば、良かった。想像していたよりずっと良かった。危惧していたようなことはなかった。
おやおや、うっかりAmazonプライム無料体験をお試ししてしまったようだぞ。メールが届いてて気がついたわ。
— 近田(鴨) (@chikada06) 2018年3月30日
白米を切らした。そのためAmazonでいつものあきたこまちを購入したのだけど、その際にうっかりとプライム無料体験を申し込んでしまったのだ。まあ、直ちに金がかかるわけでもないし、試しに使ってみようと思った。月に400円足らずのサービスなら、場合によっては継続利用してもかまわない。そうして見たのがガールズ&パンツァー 劇場版(セル版) | 動画 | Amazonビデオだった。
試合場面から始まった。何の説明も無い。しかもなんだ。カチューシャとダージリンが同じチームだ。これが何なのかわからないけど、楽しそうだからまあいいか。
楽しそう、というのはガルパンの大きな魅力だ。戦車という強大な武力を用いて敵を打ち砕く話なのだから、もっとおぞましい世界が描かれてもおかしくない。でも決してそうはならない。作品世界にも「危ない」という概念は存在するようだが、それが差し迫って描かれたところを未だ見たことがない。勇ましい砲撃音が鳴るも、どこか間の抜けたポップなマーチがそれを和らげる。本来は命をかけているはずの戦車戦だが、そんな様子は微塵もない。試合が終われば、誰も怪我を負った様子さえなく、笑顔で健闘を讃え合う。実に楽しそうだ。
概して男の子は派手なアクションが好きだ。プロレスが好きだったり、戦隊ヒーローが好きだったり、SFXが好きだったりしがちだ。でも、それが派手であればあるほど、危険が伴う。ダメな映画を盛り上げるために簡単に命が捨てられていく。違う。僕らが見ていたいのは、希望に満ちた光だ。そう、光だ。そこには光がある。まぶしい笑顔がある。輝く青春がある。戦車道がある。私たちは誰も傷つけることなく、派手な戦闘と、かわいい女の子を見ることができるのだ。
映画の短い尺の中で、試合の時間がその大半を占めるのもすごいなと思った。スポ根作品であっても、試合になかなかここまで大きな尺を割けない。スポ根作品ではストーリーがより重視されるから、余計にそうなるのかもしれない。ガルパンにもストーリーが無いわけではないが、作品における重要度はいくらか落ちる。計ってはいないので印象論にすぎないけど、エキシビションと試合外のパート、大学選抜との試合が時間にして 1:1:2 くらいだったように思う。なかなか大胆な采配だ。こうした、物語よりもドンパチに重きを置いた構成が、脳が溶けると言われるひとつの所以だろう。
だけどガルパンが、頭を空っぽにしたまま満喫できる映画かといえば、それも少し違う。
まず、楽しむためには若干のコンテクストが必要だ。というかキャラが多い。テレビアニメに出てきた多くのキャラクターが、何の説明も無しに次々と出てくる。劇場版から見始める人なんていないだろうに野暮ったい説明から始まる謎映画とは違って、潔さを感じさせる構成だ。
さらには、戦車を知っていると理解が深まる。作中で出てくる型式や砲の大きさに対して、私は無知故に登場キャラクターと同じリアクションをとることができなかった。本編終了後に流れる秋山殿の解説でいくらか知識を得ることができるが、それを基にもう一度見直すとまた違った理解があるのかもしれない。あるいは、戦車の違いを理解し、誰が乗っているのかすぐにわかるようであればもう少し緊迫感を持って見られたことだろう。つまりは、何度も足繁く劇場に通っていたガルパンおじさんたちにも、それなりの意義があったと言っていいのではないか。
君は2ヶ月間カレーを食べ続けたことがあるか
近田
近田
近田
近田
メーカー修理になるので週明けにもメーカーから連絡させるとのこと。
それまで鶏肉がもつかどうか。
近田
近田
今日のカレー
今日のカレー
今日のカレー
近田
今日のカレー
今日のカレー
今日のカレー
今日のカレー
今日のカレー
今日のカレー
近田
近田
どうやら私はカレーとライスの位置に微塵も関心が無いらしいことがわかる。
今日のカレー
今日のカレー
今日のカレー
今日のカレー
今日のカレー
というか以前の画像を使いまわしたところで誰も気付かないのでは。
今日のカレー
今日のカレー
今日のカレー
今日のカレー
近田
今日のカレー
id:sabacurry
https://www.ohsho.co.jp/info/2018/120531_250.html
昨日は王将行こうかと思ったんだけどやたら混んでたので日高屋で餃子食べてました。
近田
今日のカレー
近田
そんなことよりも、カレーと餃子は別々に食べたほうが美味しいという学びが得られた。
今日のカレー
今日のカレー
面白さとは
まず「ゆるキャン△」は危ういバランスの上に成り立っているなあという印象だった。それは今期もう一つのきらら枠である「スロウスタート」と比べての印象である。「スロウスタート」は完成されたバランスの上にある。確固たるキャラクター設定がなされており、それに似合った造形をしていて、それに応じた役割を担っている。すごくよく作り込まれている。
一方で「ゆるキャン」だ。これは危うい。主人公の二人だけ見ても、普通はこんなキャラクターデザインをとらない。各務原なでしこ。あのヴィジュアルでアホキャラだ。別にアホキャラはショートかツインテールかゆるふわロングじゃなきゃいけないなんて決まりはないんだけど、でもやっぱりどこかしっくりこない。もう見慣れたけど、第一印象の違和感が強かった。しまりんの髪も、キャンプ時には団子で確定なんだけど、学校では下ろしていることが多く、そうするとキャラクター性が弱まるので普通はわざわざそんな設定をとらない。こうしたキャラクター設定からして危ない橋を渡っているように見える。
物語中で描かれるネタもなかなか危うい。というか、ネタと呼ぶべきネタはかなり少ない。ごく日常的な会話の中に、クスリとする程度のネタが潜んでいるに過ぎない。野クルパートを除けば、わかりやすいボケ‐ツッコミの構図はほとんどない。日常会話での面白みというものは本来そういうものではあるんだけど、その面白みをメディアを通して伝えるということはそう簡単なものではない。ボケ‐ツッコミの構図があったほうがずっと伝わりやすい。だけど「ゆるキャン」ではそうしない。普通の会話の中で面白みを伝えることに挑戦し、そしてそれは上手くいっているように見える。絶妙なセンスだ。
ところで作者のあfろ氏の作品を追ってみると、Amazonにこんなレビューがあった。
作者様の作品出ている限りひととおり読ませていただきました
まどかをある程度知っている
オレンジ>不明局>たむら>>>ゆるキャン以外
たむら>オレンジ>不明局>>>ゆるキャンおもしろい順番ではなく、ぶっ飛んでいる順番はこんな感じではないかと
不明局の合う合わないで次にいくべきか判断つくんではないかとちなみに自分は全部好きですAmazon CAPTCHA
なるほどこれは興味深い。早速「シロクマと不明局」を購入した。するとどうだろう。これは私の想像とは違った。「不明局」のほうがはるかにわかりやすい。「不明局」は基本的に四コママンガであり、「ゆるキャン」よりもずっと笑いの構図がわかりやすいのだ。もしかするとレビュワーの言うわかりにくさとは、単にネタがスベっているだけなのではないか。いやしかし、レビュワーはあfろ氏のファンで、氏の全作を読破しているようだ。作者の意図するものが刺さらなかったというわけではないはずだ。ではわかりやすさとは、面白さとは何なのか。その謎を解明すべく我々はAmazonの奥地へと向かった。