読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ぼくらのイルカ漁戦争

ケネディ大使発言以来、色んなところで捕鯨・イルカ漁について語られている。

米政治に詳しくない俺は彼女の政治スタンスなんてまるで知らなかったもので、数々の発言には失望したところもある。だけど、俺が考えている以上に彼女の発言は大きな波紋を広げていて、大きく広がれば当然に論点は反れていってしまう。というか、これ始めから反れていたように思えて仕方ない。

 

 

何度読み返すまでもなくケネディ氏が、というか米国政府が、反対しているのは捕鯨・イルカ漁一般ではなく、「イルカの追い込み漁」なんだ。なのにどうしてかインターネット上では捕鯨の是非がこんなにも熱く語られている。

 

 

 

捕鯨が非人道的か?鯨食が野蛮か?その問いには俺は明確にNOと答えることができる。

でも、主語が追い込み漁となると、断言することができなくなる。俺も映像でしか見たことないし、他にどんな漁の仕方があるのかもしらないけど、追い込み漁は残虐に見えるところは確かにある。他に選択肢があるなら他を選んだほうが良いんじゃないかと素朴に思える。

捕鯨派が攻めるべきところはまさにここだ。かつては環境保護の観点から攻め込んでいたけれど、どうやら鯨の過剰な保護は逆に生態系に悪影響を与えそうだとわかってきてから、ターゲットを漁の残虐性に向けてきたのは素晴らしい戦略だと思う。そして作られた映画『The Cove』は大成功だった。そうして鯨・イルカ漁全体に厳しい目が向けられつつある。

とはいえ世間もそこまでお目出度い人たちばかりではない。ケネディ氏は、捕鯨推進派からは憎き敵にしか見えないだろうが、それでも捕鯨一般を批難したりはしなかった。あくまで追い込み漁に限定しての批難だった。逆に言えば反捕鯨派にも、追い込み漁の残虐性以外にはもはや攻める手がないということだろう。なのでここを守り切れば(もしくは明け渡せば)、鯨食は守りきることができると言えるんじゃないだろうか。

 

それなのに捕鯨推進派は、どうも自ら不利な戦いに臨んでいるように見える。わざわざ大きな敵を作り出してしまっている。

どうも彼らは追い込み漁をめぐった攻防を宗教戦争に仕立てたいらしい。たしかに創世記で人類が支配を託されたのは、海の魚と空の鳥、地上のすべての生き物であって、海洋哺乳類はその中に含まないと解釈することも可能かもしれない。でもそれは、どう考えても後付の理屈だ。感覚的に支持されるものでなく、捕鯨に反対する理由を探していたらたまたまあったものに過ぎない。第一普通のクリスチャンが聖書の字句をそこまで丁寧に読み込んでいるはずがない。普通の日本人が南無阿弥陀仏の「南無」が何を意味するかわからないと同じように。

 

ただそうすると今度は、それじゃあ捕鯨・イルカ漁への嫌悪はどこから湧いてくるものなんだろうという別の疑問が上がってくる。その疑問をうまく解消してくれたのがこの増田だった。

http://anond.hatelabo.jp/20140119001755

19世紀、ニューイングランドへ入植してきた人々は鯨の油やひげが高く売れるため鯨漁を行いましたが、鯨肉は先住民に分けるか捨てるなどしていたのです。鯨漁師(というよりは捕鯨業者)は海の上では食料に困り、鯨肉を食べることもありました。しかし彼らやその家族日記に、本物の肉が食べたい…という趣旨の記録があるとのこと。つまり鯨肉は彼らにとって「肉」ではなかったのです。入植者であった捕鯨業者は鯨肉を食べる人々を牛肉を買うには貧し過ぎる(too poor to buy beef)と考えていました。端的に言えば所謂皆さんが思い描く現代の「米国人」の鯨肉食に対する嫌悪感はこういう由来もあるのです。我々とは違う先住民(primitive other)が食べるものなんて食べられるものか。

私達はやっと牛肉が食べられるようになったんだ!という誇りの裏返しとして、鯨食への嫌悪があるというのはすごく腑に落ちる説だ。日本人が居住空間に土足で上がることに対して抱く感覚に近いのかもしれない。もちろん我々は、多くの国では土足で室内に上がることが一般的だということを知識で知っているから、そのことで他者を野蛮だと考えることはまずないけれど。

 

 

 

話を戻す。イルカの追い込み漁の是非を論じる場で、鯨・イルカ漁一般を持ちだして語るのは、捕鯨推進派にとって不得手だ。仮に追い込み漁を守り切れなかった場合、捕鯨すべてを失うことになるからだ。

追い込み漁を失う可能性は十分にある。あれが野蛮だと言われると反論できない俺がいる。さらにまた、追い込み漁が仮に野蛮だったとして、野蛮な文化は廃するべきなのかという問いが生まれてくるが、俺はそれにも答えられない。世間一般に伝統文化が大切だとされていることは知識として理解はしているが、そもそも俺自身が伝統文化というものにこれっぽっちも価値を見出すことができていない。なのでこの問いはどれだけ考えても明確な答えを導き出すことはできないと思う。

だからこうした方面からの議論を他の人が繰り広げるのを観戦したいのに、まったく話が進まない。いつまでも論点を絞らずやんややんや騒いでいるだけで終わってしまっている。それが不思議で仕方ない。もしかしてこれは「きのこたけのこ戦争」のように観戦すべきもので、まじめに考えている俺が馬鹿なんだろうか。