5000兆円欲しい

俺は10万円欲しいし、なんだったら布マスクもお肉券もお魚券も欲しいけどまあそれはいいとして、だからってそんなに10万円を配ることが必要なのか、喜ばしいのかという思いがある。
もちろんやらないよりはやったほうがいいし、じゃあどれくらいいいのかというのを定量化することは難しいからどうにも実のない話にはなってしまうんだけど、それほどなのかという気持ちがある。
そもそもなんで一律給付が望ましかったのかいうと、手っ取り早いからだったはずじゃないか。
配る基準を定めて、当てはまる人が手続きをして、それを精査してからの給付になるのでは、困っている人に現金が渡るまでに時間がかかるからだったはずじゃないか。
だけどもう基準はだいたい固まって、細かい調整はあるにしてもだいたい決まったからこれから法制化しようってところになって今からひっくり返して一律給付に変えるんだなんて言われたって、それはだいたい定まってた枠組みで配るよりも早く行き渡らせることができるの? できなくね?
しかも収入が激減して困っている人は、一律給付になることによって受け取れる給付金が30万から10万に減るわけだ。困窮している人のためだっていう大義名分には無理があるよね。
いや、そうじゃなくて、という人もいる。感染リスクのある中で働き続けている医療関係者に給付金を行き渡らせなくてはならないという。
医療関係だけじゃなくて、物流とか、スーパー・コンビニとか、なんかいろいろ挙げられているけど、彼らは所得が減ったわけではないけれども、その分リスクを冒して働いているんだから給付されるべきなんだという。
であるならば彼らには事業主を通して給付する形にすれば、さほど複雑な手続きを経ずに行き渡らせることができる。事業者がどんな事業を行っているかは行政が把握できているし、事業者は国民の数よりはるかに少ないからだ。
だけどネット世論に望まれているのはそうではなくて、一律給付に固執するというのが納得いかない。
現金給付の総額を増やすことに意義があるんだという人もいる。私にはこれを否定できる根拠がなくて、だからこれが一番正当性をもった理屈じゃないかと思ってはいる。
でも、それにしたって、多くの経済活動の止められた社会の下で現金を配ることが、経済を動かすことに有益なのかというのが疑問として残る。
生活に困窮しているでもない人に今現金を渡したところで、使える先は限られている。それで経済が活性化されるものなんだろうか。
もちろん何もしないよりかは現金給付したほうが経済は回るだろうけど、それは今やるべきことなのかという疑問。
つまりは、経済活動を無理やり止めているところで現金を配っても波及効果は乏しいんじゃないかということであり、一部の業種だけは潤うけれど現状として困窮している業種にはやはり金は回ってこないだろうということであり、経済活動を活性化させることができたとしてそれは感染拡大防止に反することにはならないだろうかということだ。
だけれども、財政出動は速いほど効果が高く、遅くなるとより多くのコストがかかるというのはセオリーであって、それならば今回も、たとえ経済活動が事実上制限されている中であっても早急に配る必要があるのかもしれなくて、そのあたり私には知見が不足していてわからない。
だからマクロ経済に長けている人が経済を守るために財政出動が必要なのだと訴えているのを見ると、納得できない部分もあるけれど、それなりの理解を向けることはできる。
だけど、困っている人に早急に配るために一律給付が必要だとか、現環境で働き続けている人に配るために一律給付なんだとか、そういうもっともらしい綺麗事がどうしても気に入らないというだけの話。