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馬鹿に見つかったサービスはどう応じるべきか

村人が入植者を追い出そうとする光景はしばしば見られる。
小さなコミュニティが保守的になりがちなのは理解できる。ささやかな平穏が乱されることは誰にも喜ばしいことではない。よほど新しい風が求められる背景でもない限り、多少なりの衝突は避けられないのかもしれない。
入植者が一人二人でない場合、ある程度まとまった数の人たちが断続的に入植してきたら、不和が生まれるのも当然に思える。

自分たちとは違う者に対する嫌悪、そこから続く排斥の動きは特別に珍しいものではない。
韓国朝鮮人への積極的差別を撒き散らす在特会はその代表例と言える。上小阿仁村の医者イジメもそうだ。そこまで露骨なものでなくても、たとえば学校で2年生から新しい部活に入ることの気まずさを思い浮かべれば、新参者への扱いが概して冷淡なものになりがちであることは理解しやすい。また逆の立場で考えれば、新人に対して決して悪意を持って接しているわけではないこともわかると思う。あるのはコミュニティが侵されることへの不安であり、あるいは侵されたことに生じる被害者意識だ。



住民や利用者は新規参入者に冷淡になりがちだが、政府や企業は逆に歓迎し、あるいは誘致する場合も少なくない。
米国は海外から移民を受け入れることで成長を続けてきた歴史がある。労働力増加はそれだけ国力増強に結びつきやすい。多様なルーツの国民がいることがグローバル市場でのアドバンテージになっているのかもしれない。一方で増え続ける移民に対して、数世代前からの米国民の反発は強まっている。多くの対立を目の当たりにして、政府も移民受け入れの制限を強めるようになっている。
営利企業の対応はもっと露骨だ。新規ユーザー獲得のために既存ユーザーをかえりみない提供者は少なくない。携帯電話はMNPだけが優遇され、SNSはゲームサイトと化し、深夜TV番組がゴールデンタイムに移ると決まって残念な結果が待っている。パイを拡大しないと利益にならないのだから当たり前の対応とも言えるかもしれない。



ニコニコ動画はちょっと異質な対応かもしれない。もちろん彼らも必死で新規ユーザー獲得に励んでいる。だけどその一方で、既存ユーザーも大事に扱っている印象が強い。あるいは新規と古参の対立を最小限に抑えようとしているとも言える。
たとえば御三家の隔離政策だ。(情報が古い!)新規ユーザーが辿ることを想定した動線上に古参の生息するコアなコミュニティを表示させない、ランキングの新陳代謝を図る政策で、新規・古参の両者とも安心して利用することができる。新UI導入時にもニコニコ動画は一斉に切り替えたりせず、旧UIと好きな方をユーザーが選べるようにしている。(情報が古い!)

隔離政策を採用してきた国家は少なくない。隔離というとゲットーやアパルトヘイトばかりが浮かびがちだが、必ずしも弾圧的ななものばかりではない。
たとえば8世紀からのイスラム帝国の拡大には、イスラム教の普及と共に、異教信仰の自由と自治権の確保があった。キリスト教のコミュニティ内ではキリスト教を信仰し続けることは認められていたのだ。
現在の北アイルランドでも隔離政策が取られている。アイルランド人とブリテン人の住居区画は厳密に分かれている。そのことに対する批判も少なくない。もっと融和を進めるべきだと言われる。実際にそれを目指した地域もある。しかし、そこで育った子供たちが大人になると決まってその地を離れて行くという。隔離が最適解だと悟っていくのだそうだ。

隔離が必ずしも最良とは思えない。
それでも新規か既存か、どちらかを追い出すのと比べれば、圧倒的なアドバンテージがあるように思う。