読んだ。
一般論として働く時間などに絶対的な制限のある人は中小企業で働くことには向かない。その人の穴を埋めるだけのバッファを持つことが不可能だからだ。大企業ならそれがいくらか容易になる。一人の空いた穴を10人で埋めるのと、1000人で埋めるのとではどちらが楽かは明らかだ。1000人いれば常にどこかしらでは穴が空いているだろうことを思えば、1人余計に人員を確保しておくということもできる。
だから不自由のある人は本来大企業で働くべきなんだ。
でも大企業はそんな人を雇わない。他にもっとしっかり働ける人がいくらでも働きたいと言ってくるんだから。同じ条件で雇うのなら、なにも制約のない人材を働かせるに決まっている。まっすぐに育ったキュウリばかりが大企業に揃っていく。味の良し悪しにかかわらず、不揃いの素材は中小に流れる。しかし中小には余剰を抱えるゆとりがない。それでも誰かが補わなくてはならない。運悪くその役割を担った増田が愚痴を書く。奴隷の鎖自慢だと村人に石を投げられる。誰も幸せにならない。
これはミクロの問題ではない。社会全体が抱えるマクロの問題だ。大企業が不自由を持つ人材を雇うことにメリットの生じる仕組みを作らなければならない。
それは政府の補助金かもしれない。でも増田の事例が、どうやら補助金目当てに雇って失敗している事例のようにも見える。仮に補助金という制度が正解だったとしても、その見直しは必要そうだ。
大企業の抱える人材のスペックがミスマッチであることを啓蒙すべきかもしれない。企業は条件を妥協さえすれば、もっと安価に人材を調達することができる。もしかするともっと高い専門性を持つ人材を集めることもできるかもしれない。ただそうした人材で仕事を回すには、管理職のより高いマネージメント能力が必要になる。そうでなくてももっと高いマネージメント能力が必要であることには違いないが。