児童ポルノ規制は表現の自由以前の問題




表現の自由は大切だし、尊重されなきゃいけないというのは確かにそうだ。
それに表現の自由に関わる問題であることも間違いない。
でも、児童ポルノとか、クラブ規制でも思っていたんだけど、これって表現の自由を出すまでもない問題だと思っている。
規制なんてない方がいいに決まっている。

大原則として、規制は無いに越したことはない。
これは誰もに共有されている一般教養だと思っていた。
だけど、そうでもないらしい。
利害関係にない者が、規制賛成に傾きがちだという事実に驚かされる。
反対するのはやましいことがあるからだという理屈に唖然とする。
なんだ?おかしいのは俺なのか。

だって歴史を学んだだろう。
焚書坑儒で豊かな国は育まれたのか。
中世ヨーロッパはどうして暗黒時代と呼ばれたのか。
鎖国で日本はどれだけのハンデを背負ったか。
どうしてファシズムが勢力を拡大したか。
ソビエトはどうやって限界を迎えたか。
マクロ経済から政府の失敗を引くまでもなく、中高で学んだ知識で十分だ。
政府は規制を控えるべきだ、という共通認識さえ得られず、何のために歴史を学んできたというんだ。

もちろん自然に帰れと言いたいんじゃない。
あるべき規制は少なくない。
刑法がないと治安は保たれないし、税を取らないと福祉も再分配も提供できない。
最低限の規制が必要なのは言うまでもない。
問題は何がその「最低限」かということ
であって、主義思想によってその範囲は異なる。
異なりこそすれ、規制が最低限であるべきというのは、右も左も関係なく共有している大前提だったはずなのに。

だから規制すべき理由を示さなきゃいけないのは規制を推進する側だ。
その理由が妥当でないなら、規制があってはならない。
反対側に反対する理由を示させるまでもない。
表現の自由なんて掲げる以前の問題だ。

なのに現実にはそうなっていない。
規制は無い方が良いという前提条件が共有されていない。
無関心層が反対派を嘲笑している。