たとえば、テレビなんて夢の箱だった。
どうやってテレビが映っているのかまったく理解できない。空き地に捨てられていたテレビは画面が割れていて、中には無数の針金のようなものが詰まっていた。今ならあれがブラウン管だったんだろうと想像は付くが、それでも映像を映し出す原理はわかっていない。
その上、あの映像は電波によって伝えられるという。電波!その目に見えないなんらかの仕組みを使いこなす人類の科学技術に大いに感動した。
そして、番組だ。私の知らない情報をまさに湯水のように垂れ流していた。放送の次の日の学校では誰もがウリナリの話をしていたし、目がテンの知識を語れば注目を浴びた。
また、そんな番組を作るのには、30分番組でも1週間はかかるということに仰天した。ほんの数分のVTRを作るのにも数時間から丸一日かかると聞いた。それじゃいつまでも一日分の番組ができないじゃないか。だから何百人、何千人もが手分けして作っているんだと聞いて、大人の社会はすごいんだと思った。
そんなテレビも今では下火で、時代はインターネットに向かっている。
インターネットはすごい。テレビ放送が地上波でせいぜい10チャンネル、衛星を入れても100チャンネル程度しかないのに対して、インターネットには常時何億というサイトが待っている。その多くは時間にとらわれることもなく、いつでも好きな時に、そして今や好きなところから情報にアクセスできるようになった。
たしかにそれはすごいことだ。
でも、小さい頃の俺が思っていたすごさとは違った。そこにあるのは規模の経済であり、必ずしも高尚なシステムではなかった。
インターネットが浸透すれば営業職なんて不合理なものはなくなると思っていた。
でもなくならない。
インターネットの加入者を増やすための訪問営業があるくらいだ。
どんなに演算技術が進んでも、経理はなくならない。建築技術が進んでも、土方はなくならない。
もっと社会は複雑に管理されているものと思っていた。
リモコンのボタンを押せばチャンネルが変わるように、タイムカードを切れば残業代が支払われるものと思っていた。
法律とは厳格に運用しないといけないものだと思っていた。政治家はもっと頭が良いものだと思っていた。学者も、社長も、もっとすごい人たちなんだと思っていた。
きっと改革主義者や陰謀論者はまだ信じている、世界はもっと素晴らしいはずだと。もっと素晴らしいはずの世界があいつらのせいで、と。
でも実際の世界はまだ未完成で、人間はもっと不完全だ。
このITの時代に汗水垂らして働く職人さんたちを見ていると強く思う。