文意を考えることもせずに他人を馬鹿にしている態度が気に入らない。
「分からない、分からない」と豪語するのって、どうなのよ - Togetter
十分わかりやすいのに、こういうことを言ってくる人は必ずいる。困ったもんだな。 RT @toufu8: @fukushimakokugo で、わかりやすく一言で言うと何なのよ?
— 福嶋隆史@ふくしま国語塾さん (@FukushimaKokugo) 1月 8, 2013
これ ow.ly/gDBtj を読んで、「体罰より知性でこそ子どもを変えるべきだ」という程度の要約をできず、しかも恥ずかしげもなく「もっと分かりやすく言え」と言ってくる人がいるのは、やっぱり国語教育の責任でしょうね。
— 福嶋隆史@ふくしま国語塾さん (@FukushimaKokugo) 1月 8, 2013
「分からない」という言葉は恥じらいながら言うべきだろ、普通は。なんでみんな、それを偉そうに豪語するの(笑)。特にネット民はその色が濃いよね。子どもたちはみんな恥じらいを持っているよ、ちゃんと。分からないと声が小さくなるとかね。そんな当たり前の感覚を、取り戻したらどうかね。
— 福嶋隆史@ふくしま国語塾さん (@FukushimaKokugo) 1月 9, 2013
そんなに自信持ってわかりやすく書いたって思ってるんだったら、どうしてそれでも「わかりやすく一言で」って言われてしまうのか考えろよ。
考えもせずに、あるいは考えたにもかかわらず、相手が馬鹿だと結論してしまうのは自分が馬鹿だと言っているようなもの。もう幼児性しか感じられない。
知らないよ。この質問者がどんな意図で質問しているのか、俺には知り様もない。ただ考えて、想像することしかできない。考えに考え抜いて出した結論が、彼の意図とは全く別のものになってしまうかもしれない。もしかすると本当に馬鹿な質問者だったのかもしれない。その可能性は否定出来ない。
それでも考えるよ、普通は。どこか自分に悪いところがあったのかもしれない、って。どうしてわからないって言われてしまうんだろう、どういうときにわからないって言うだろう、って。
「体罰は子どもに畏怖を与える。それが現場の秩序を保つ。教師の威厳を保つために必要だ」というのが体罰容認派の言い分だが、それに対して私はこう答える。「教師の威厳を保つのは、知性である。子どもに畏怖を与えるのも、知性である。それが現場の秩序を保つ」。
— 福嶋隆史@ふくしま国語塾さん (@FukushimaKokugo) 1月 8, 2013
彼の言葉は、たしかに文章の構造も表現も難しくない。彼の言うとおり単純、シンプルな文だ。全て枝葉を切り落とし、明快な言葉で綴られている。でもその反面、物事を一般化し過ぎている。彼の言葉には具体性がない、少なくとも彼自身が貼りつけたtweetには。そんな誰にでも言える正論だけを述べられて意見した気になられても、「知性ってなんだよ」って思うのは俺だけじゃないはず。だから具体的にどうすればいいんだ、結局何が言いたいんだ、って。で、わかりやすく一言で言うと何なのよ?質問者は具体的な解決策を示して欲しかったんじゃないか。
わからないことを「わからない」って言うことはさほど恥ずべきことじゃない。そりゃあ多少の恥じらいは持つべきかもしれないけど、少なくともわかっちゃいないのに「わからない」とも言わずに、もしくは自分がわかってないことに気付きさえもせずに、相手を馬鹿にする方がよっぽど恥ずかしい。こんな奴が教育だ知性だのと偉そうに語るのが許せない。不愉快この上ない。