よくわからない

読んだ。

anond.hatelabo.jp

持ち手の部分をアナルにいれて
勢いよく傘を開くと振動が前立腺にひびく

 

ちょっとこれ状況がよくわからなかったわけですよ。

だって、傘が、だよ。

 

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この湾曲した持ち手の部分を尻穴に入れようとすると、どう考えても傘の柄と自分の体がバッティングしてしまうじゃないか。

 

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これはたぶん無理だよね。内径10cm程度の持ち手のアールの中に収まるコンパクトボディの持ち主でもない限り、持ち手が湾曲している傘では不可能だろう。持ち手が真っ直ぐな傘が必要になるはずだ。

 

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持ち手が真っ直ぐなら尻穴に挿入することまではできそうだ。だけど次には、傘を開閉しなければならない。

 

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ほとんどの人の尻まわりには胴と両足がセットでついているので、それらと十分に距離を取らなければ、傘を開閉することができない。「持ち手の部分をアナルにいれて 勢いよく傘を開くと振動が前立腺にひびく」という、たった33文字を実現するのがどうしてなかなか難しい。

好きな女の傘でオナニー

足とか床とかの位置関係がうまくイメージ出来ない。まず傘の持ち手は曲がらずまっすぐのものだという理解でいいんだろうか。

2016/04/13 16:58

b.hatena.ne.jp

 

それでようやくたどり着いた答えがこれだった。

 

f:id:hungchang:20160413201133p:plain

 

広げた傘が床にぶつかるリスクをなくすには、傘は上向きに開くのが合理的だ。すると足で体を支える必要がなくなるので、自由に開脚して、傘の開閉に足をぶつけることも避けられる。だけど、絵を描きはじめてから気付いたけど、そんなアクロバティックな動きをしなくても、腰をかがめて肛門の向きを変えればいいような気がしてきた。

 

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腰をかがめた時に肛門及び直腸がどういった方向を向くものなのか、知見がないので実際のところはよくわからない。

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民主主義に対する重大な挑戦

なんかこのすげえ面倒くさい構図の話好き。朝一番に眠い目をこすりながらSmartNewsで読んだときには意味がわからないでスルーしてた。

TBS「民主主義に重大な挑戦」 スポンサー圧力示唆に - 共同通信 47NEWS



まず、TBSが報道番組内で安保法改正に批判的な内容を放送する。
それに対して、「放送法遵守を求める視聴者の会」が、放送内容が不公正だと怒る。改めないならスポンサーに訴えるぞと主張する。
すると今度はTBSが、スポンサーに訴えるなんて酷い、そんなやり方は民主主義に反するんじゃないか、と発表したのが今回のニュース。わかりにくい。

で、TBSスポンサーに弱すぎだろとか、放送法遵守を求めるとか言いながら安保推進したいだけだろとか、どうでもいいツッコミどころはたくさんあるんだけど、主だった論点は大きく2つで、ひとつは"放送法は両論を対等に扱う義務を課しているのか"、もうひとつは"スポンサーの圧力は「民主主義に対する挑戦」なのか"だろう。


第四条  放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一  公安及び善良な風俗を害しないこと。
二  政治的に公平であること。
三  報道は事実をまげないですること。
四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

放送法

 

条文を読む限りでは、「政治的に公平であること」が放送事業者に義務付けられているように見える。賛否を均等に扱っていないテレビ局が法に反しているようにも読めてしまう。
しかし一般的な法解釈において放送法4条は、1~3条に引き続き、政府からの干渉を受けずに自律的判断で放送を行うことを明記したものであるとされる。実際に政府もかつてはそう解釈していたという。*1 ここで「かつては」ということは、つまり今は違うということだ。ではどちらが法解釈として正しいのかというと、それは司法が決めることである。
2005年11月、放送法4条をめぐった最高裁判決がある。

最高裁第1小法廷は,放送法表現の自由の下で放送の自律性を保障し,健全な発達を目指すものであるとし,番組への他からの関与を排除することで表現の自由を確保することが放送法の理念であるとした。そして,第4条の規定は法の全体的な枠組みと趣旨をふまえて解釈する必要があり,他からの関与を排除して表現の自由を保障する放送法の理念からして,訂正放送規定は放送局が自律的に訂正放送を行うことを義務づけたものであり,被害者が裁判で訂正放送を求める権利を認めてはいないと判断した

「訂正放送は放送局の自律的な義務」 最高裁が初の判断 | 調査・研究結果 - 放送研究と調査(月報)メディアフォーカス | NHK放送文化研究所

 

放送事業者に放送内容を強制することはできない。放送法4条は、憲法21条放送法1~3条に反しないように解釈する必要がある。これが司法判断だ。TBSも十分に「放送法遵守」していると考えられる。

(2016年4月9日追記)ブコメで指摘ある通り、2005年判決は当時の放送法4条に基づくもので、現在の9条に当たる部分のものでした。

 


で、もうひとつの"スポンサーの圧力は「民主主義に対する挑戦」なのか"という問題。
まずこの「民主主義に対する挑戦」って言い回しが巧み。言いたいことは「民主主義に反している」ということなんだろうけど、「反している」とは言わないで「挑戦」という言葉を使う。それは実際に民主主義に反してはいないからだろう。少なくともスポンサーの圧力を禁止する法は無い。これは法的な問題ではなく、倫理的な問題なのだ。
では何が「民主主義国家に対する挑戦」なのか。それは民主主義とは何かという問いと表裏になる。

デモクラシー(民主主義・民主制・民主政)とは、諸個人の意思の集合をもって物事を決める意思決定の原則・政治体制だが、これらは歴史的に発展してきた概念であり、その時代や論者によって内容の異なる多義的な概念である

民主主義 - Wikipedia

 

民主主義は諸個人の意思の集合によって決められる何かである。それをどうやって決めるのかいうのはさておき、民主主義には個々の意思が必要であり、尊重されなければならない。これが大前提。個々の意思決定を権力で屈服させてはならない。
ここからがいくらかトリッキーになる。TBS側の主張に立てば、自社スタッフの意思に基づく言論を、「視聴者の会」がスポンサーという権力を用いて、屈服させようとしている、これは民主主義の理念を打ち壊すものだという理屈になるんだと思う。私たちには強大な権力と思えるテレビ局にとっても、スポンサーはさらに大きな権力なんだ。
さらに厄介なことには、ここで権力とされるのはスポンサーだけではないかもしれない。企業としてそう明言することはないだろうけど、「視聴者の会」も権力と見なされている可能性もある。「視聴者の会」は放送法に基づいた政治的に公平な報道を求めているようで、その実は政府批判を控えて政府の主張の通りの報道をしろと言っているのではないか。活動報告 | 視聴者の会を見る限りでは、安保法改正における報道に対して以外の主張はなく、安保推進の主張を報道することを求める団体のようにも見える。つまり、「視聴者の会」は政府と結託した権力側なのではないかという疑念だ。とはいえ形式的には市民団体としての体裁が整っている中で、それを基に反論を行うのはあまりに筋が悪い。
話を戻すと、権力による個人の意思決定の妨害があってはならない。たとえばファストフード店でアルバイトをしていると、事務所に署名用紙がおいてあるわけだ。何の署名かといえば、社保拡大に反対の署名だった。法改正によってアルバイトも社会保険の強制加入となり、企業と従業員がともに保険料を負担しなければならなくなることに反対しての署名活動だった。お前も署名しとけよと店長に言われ、ちゃんと書いたかとSVに問われるも何とか適当に誤魔化すわけだが、そうやって雇用者が署名を強制するようなことは許されざる行為だ。署名活動は自発的なものでないと、本来署名としての意味を成さない。直接請求でもなければ署名活動自体に法的根拠が無いので、おそらくはその強制にも違法性は無いだろうが、これは民主主義の理念に反するものだし、「民主主義に対する挑戦」と言ってもいいだろう。
企業が従業員に対するのと同様に、スポンサーが報道機関に対して強い力を持っているのなら、その力を行使して報道内容を変えさせることは「民主主義に対する挑戦」と言えるかもしれない。実際に原発事故の後は、東京電力電事連がスポンサーであるから事故の詳細が隠された報道が、あるいは原発運営に好意的な報道がされてきたのではないかとの疑惑が度々囁かれた。その真相はともかく、仮にスポンサーであることを武器に報道内容に干渉していたとしたら、それは多くの人に正義に反すると判断されるのではないだろうか。
一方で、仮に力ない我々がマスメディアに対抗しなければならないとしたら、持ち得る武器は不買運動だろうし、それはメディアそれ自体の不買よりも、スポンサー企業への不買のほうが効果的となる。そして今回「視聴者の会」が言っているのはまさにそうした戦い方だ。果たして我々はその戦法を否定してしまっても良いのだろうか。
きっと「民主主義」として望ましいかたちとしては、スポンサーはそうした脅迫的交渉に応じず、報道機関の自律性を守っていくことだろう。もしそうした企業が現れたら、批難するのではなく、賞賛し贔屓にしていきたい。

「視聴者の会」はサイトに会見の書き起こしらしきものがって、なかなかツッコミどころが多いので、気が向いたらまた書いてみたい。

 

 

静岡県にお住まいのid:dobonkaiさん42歳男性の方からお便りいただきました。

近田さんこんばんは。いつも楽しく拝見しております。私は料理を趣味としておりますので、先日のステーキを焼かれた話はとても興味深く読ませていただきました。ところで、そんな私でさえも使ったことのないグレープシードオイルを、どうして近田さんはご自宅にお持ちなのでしょうか。もしかして料理上手の彼女さんがいらっしゃるのでしょうか。リクエストは宮崎吐夢で「みんながうた あの女のハウス」でお願いします。dobonkai のコメント / はてなブックマーク

 

www.youtube.com

 

グレープシードオイルが家にあるのは、西友でオリーブオイルよりもグラム単価が安かったからですね。今思うと、安物だから臭いんだという可能性もあり得る。

ロースだったか肩ロースだったか忘れた

どうしても肉が食べたいときが誰にでもあるだろう。昨日の夜がそれだった。強い肉欲に襲われ、スーパーマーケットに駆け込んだ。閉店間際のスーパーでは、オーストラリア産ステーキ用に50%引きのシールが貼られていた。180gで500円が半額で250円(税別)。悪くなかった。

フライパンに油を敷き、火にかける。温まるまでのあいだに肉に塩コショウを振る。筋を切ったり肉を叩いたりしなくちゃいけないみたいな話を聞いたこともあるが、筋らしい筋も見えないし、「ステーキ用」を謳って売っているくらいだからそれくらいの処理は既にしてくれているんだろうと信じることにした。信じる。責任を転嫁しているだけのことがとても美しい響きに聞こえる。熱したフライパンに牛肉を入れる。ジューと美味しそうな音を立てる。ジュー。先ほど振っていなかった面にも塩コショウを振りかける。鍋は美味しそうな音を立て続ける。ジュー。ジュー。1分ほどその音を聞いて、肉を裏返す。こんな肉塊を焼いたことがないので、今ひとつタイミングがわからないが、どうやら悪くはなかったようだ。これは料理ブログではないので画像など無い。裏返した肉の上に、刻みネギを乗せる。長ネギを刻んで油に漬け込んだものだ。ネギを刻んだときに家にあった油がたまたまグレープシードオイルだったのでそれに漬け込んだが、グレープシードオイルは意外と匂いが強く、ネギ油も使いどころがかなり限られてくる。これは誤算だった。しかし今回は絶好の機会。チューブのおろしニンニクを出し、肉の上でネギ油と混ぜ合わせ、薄く伸ばしていく。肉を裏返したときに火を小さくしていたのだが、いつの間にかジューの音が聞こえなくなっている。どうやら火を弱めすぎたことに気づき、もう少しだけ大きくする。美味しそうなジュー音を確認して、フライパンにフタをする。たぶん3〜4分ほど放置した。
肉はほどよく色付いているが、表面には赤い肉汁が湧き出ており、中まで火が通りきってはいないことを示す。初めてにしては良い塩梅ではないか。しかし油がすごい。はじめに多めに敷いた油と、牛肉から溢れ出てきた脂が加わり、半ば揚げているのに近い状態だ。キッチンペーパーで油を拭き取る。拭けども拭けども新しく出てくるので、適当なところで諦めて、鍋肌に少しめんつゆをこぼして火を止める。
さて、この肉はどうやって食べるんだろう。調理ハサミがあれば良かったんだろうが、そんな気の利いたものは持ち合わせていない。もちろんテーブルナイフなんてある訳もない。齧り付くという選択肢が一瞬浮かぶも必死で振り払う。肉を包丁で切っておく必要があるだろう。思い出すのはほっかほっか亭でのアルバイト。忌まわしきダブルステーキ弁当。ベタベタのまな板。自宅に一枚しかないまな板が、ああなるのは嫌だ。まな板にラップを巻き、キッチンペーパーを敷き、その上にステーキ肉を置いた。焼かれた肉を箸で押さえ、肉に包丁を入れる。ほっかほっか亭での様子を思い出しながらの刃を落とすが、右手に伝わる感触はダブルステーキのそれとは大きく違った。ステーキ肉を切るには勢いよく包丁を押し当てないといけなかったはずが、意外なことに簡単に包丁が通る。柔らかい。肉が柔らかい。期待が一気に高まる。
口に入れてもやはり肉は柔らかかった。そこそこに厚みのある、見た目にはなかなか凶暴そうな牛肉が、意外にも柔らかい。不思議な感覚であったが、決して悪くない。美味しい。これは美味しいと言っていい出来だろう。だけどもう少しだけ歯ごたえがあってもよかった。もっと猛々しい味わいがあってもよかった。肉々しい臭みがあってもよかった。少しだけ物足りなさがあった。270円と考えると素晴らしい出来だったけれど、540円だと思うと少し残念に思える。540円といえば並盛り生野菜セットと同額だ。それなら並盛り生野菜セットを食べるだろう。美味しさはプレミアム牛めし380円と同程度だった。

今日から4月だということは今年も既に一年の25%が過ぎ去ったということじゃないか

4月1日はエイプリルフールということでいろんな企業が面白ページを立ち上げてはスベっていると私のタイムラインではもっぱらの評判。私のタイムラインだから、映画.comすげえwwwって人よりかはもっと斜に構えた人が多いので、世間一般でどう見られているのかまでは知らない。
企業のエイプリルフールネタを作るのって地獄だろうなあとは思う。嘘を吐いて良いというような形にはなんとなくなっているけれど、だけど嘘だと誰でもわかるようなネタじゃないと絶対誰かに怒られるんだと思うんだ。
ジョークなんて誰にでも伝わらなくたって分かる人が何人かいれば十分だと私は思っている。というか、誰もが面白いと思うネタを作り上げるなんて無理だよね。絶対的に不可能というわけではないだろうし、巧みなジョークだってたくさんあるんだけど、一介のweb担当者・広報担当者に為せるようなものじゃないよね。ごく一部の才能ある人が数多くの仕事を手掛ける中で年に何回生み出せるかというレベルの話であって、エイプリルフールネタをやりたがる企業の数ほどその才能は無いし、あっても狙って出せるものでもないだろう。
だから本来は、もっとターゲットを絞るべきなんだ。伝わるか伝わらないかギリギリの線を狙って、それを見た半分以上の人が目を点にするけど一部の人には大ウケするようなそんなネタを狙いたい。いや、大ウケしなくたっていい。たとえばトップページのスミにあるニュースリリース欄にこっそりリンクを貼ってあるだけのPDFで、社長の不倫が発覚し懲罰委員会に掛けるだとかが極々真面目な文体で書かれていたら、果たしてそれは本当か嘘か、嘘だとしてもいったいどこまでが嘘なのかわからなくて、それを見てゲラゲラ笑うようなネタではないけど、絶対面白いと思うんだ。でも余程の大企業でもなければ更新情報が日常的にチェックされることなんてまずないだろうし、そんな大企業の真面目な欄で真偽不明の怪情報を流したりしたら色んなところから怒られそう。上場企業だとしたら風説の何とかで刑事責任さえ問われかねない。そもそもネタを披露するのは広報的意味合いが強いのに、気付かれにくいネタでは誰にもアピールすることができない。ハイリスク・ノーリターン。誰がやるんだよそんなこと。
だから結局誰が見ても嘘だとわかるようなネタじゃないといけないし、企業のイメージも損ねるわけにはいかないし、不謹慎ネタも禁じ手とされてしまう。そうするともう馬鹿馬鹿しいことを派手に言うくらいのことしかできないんじゃないか。ならいっそネタなんて仕込まなきゃいいのに、それさえ許されず担当者にさせられてしまったら地獄だろうなあ。

想像の彼方 インターネットの自由

私の知る限りでは、「インターネットが自由」というのはリバタリアニズム的な自由であり、もっと言えば自然状態に近い自由だった。好き勝手に振る舞うことができるが、その一方で他人からも何をされるかわからない。何をされるかわからないとはいっても、インターネット上でできることなど高が知れている。リアル情報を掴まれさえしなければ、罵詈雑言を吐かれるのがせいぜいだ。心を強くさえ持てれば、事実上インターネットでは何をしても自由だった。

だけど、そうではなかったらしい。昔は違ったのだという。私がインターネットを使うようになったときには既にGoogleも、はてなも、2ちゃんねるもあったけれど、恐らくはそれ以前の話。かつてインターネットは批判されることなく自由だった。
 
 
そんなことがあり得るんだろうか。うまく想像できない。人がいれば意見対立は避けられない。夏がダメだったりセロリが好きだったりするのね。考え得ることとしては、礼節が重んじられていたから、ネチケットが行き渡っていたから批判されることがなかったということだろうか。でもそれって本当に「自由」なんだろうか。もしかしたら"私は"自由に振る舞っていたけど、"相手は"気を遣って言いたいことを抑えていたんじゃないだろうか。だとしたら前にfujiponさんに言われていたような強者の論理であって、インターネットが自由だったわけではない。
 
もしくは本当に意見対立がなかったのかもしれない。誰もが同じ趣味趣向を持っていたので、衝突することがなかった可能性。テキストサイト時代、あるいはそれ以前の時代はインターネットが狭かったという話は随所で聞く。現実社会にどこか馴染めないところがあり、電脳空間に楽園を求めてやってきたオタクたち。オタクじゃないにしても、黎明期のインターネットを利用して、積極的にコミュニティに参加する人なんて変わり者のマイノリティだろうし、その中でも趣味の近い者同士が集まりやすいだろう。似た者同士ばかりが集まっていたので意見衝突が起こらなかった。ただ仲間内だけで好きなことを語り合った。SNSはもちろん、検索エンジンさえ不十分な時代に、それが外に漏れて批判に晒されることもなかった。そういうことなら十分に考えられる。
 
でも誰もが同じ考えを持ったインターネットって絶対つまらないと思うんだ。これは完全にの主観だから、いいや絶対そのほうが面白いんだって人だってたくさんいるだろうけど、私は違った人がいっぱいいるインターネットのほうが好きだ。インターネットの楽しみ方って人それぞれだろうけど、私は自分と違う考え方を見つけるのが楽しいと思っている。前に書いた変態端末オフ実況とかめっちゃ楽しかったし、ああいう出会いがあるからインターネットが面白い。ニュース記事に思いもよらない角度から批判しているのなんて、絶対ネットでしか見られないし、そういう書き込みを目にするといいものが見られたと思う。
だから私は「誰にも文句を言われることがない」「自由」というのがまったく魅力的に思えない。もちろん文句を言われないことそれ自体は魅力だけれど、多様性が失われることとバーターならば、多様なインターネットのままであってほしい。排他的な言論空間を望むなら、会員制の非公開サービスでやればいい。