得体の知れない怖さ - 殴る壁
続きというとちょっと違うけど、思ったことをもう少し書いてみる。自分の記事だと気兼ねなく言及できていいね。なんだか段々と他人の記事に言及するのが億劫になってきている自分がいる。

で、相手が話しかけてきたときに、その目的がわからないのって面倒だなという話。もう少し突っ込んで言えば、相手の悪意を確認するためには騙される以外に方法がないことの理不尽さへの苛立ち。
突然に話しかけてきた見知らぬ相手に対して、私たちが取れる選択肢はいくつかあって、例えば無視したり、あるいは敵対的に応じたり、もしくは丁寧に応答してもいいだろう。おそらくそれは相手の振る舞いによって変わってくるものではないかと思う。もし相手が上品な態度で接してきたときに、それをぞんざいに扱うことはなかなかできない。
しかし相手が丁寧な物腰だからといって必ずしもそれが善意に基づくものとは限らない。セールス・勧誘や詐欺がそれだ。セールスは別に悪意に基づくというわけではないけど、こちらが望んでいるものでない場合がほとんどだという意味ではそう遠くない。そうした人たちの目的がわからないままに第一印象で拒絶することは、幾分不道徳であるように思えてしまう。もしかすると彼らはセールスではなく、マンション管理会社の人かもしれないし、引越の挨拶に来た隣人かもしれない、通り魔の目撃者を探している遺族かもしれないし、資産家だった本当の父親が死に相続手続きのために私を探してきた弁護士かもしれない。そうした人たちを無視したり、睨みつけたり、追い返したりというのはすべきとは思えず、やはり一旦は相手の話を聞いた上で判断することが誠実な態度だろう。だけれど、そうした誠実な態度を取ることがすでに、悪意ある人たちにとっては目的を一部果たしてしまっているし、私たちにとっては時間と判断コストを浪費してしまっている。さらにこれが対面ではなくインターネットにおいては、相手の話を聞こうとリンクを踏むことで相手の目的を完全に成就させてしまっていることも少なくない。それがアフィリエイトリンクであればまだマシだけれど、ウイルスやスパイウエアが仕込まれている可能性だって十分にある。そうした世界において私たちは、見知らぬ訪問者がどんなに親切丁寧であっても、自衛のためには完全に無視する以外の選択肢を選びにくくなってしまう。
インターネットでそのリスクは大きくなったけれど、根本的には対面であっても抱える問題は変わらず、だけれど有史以来未だに解決されていない問題なんだからきっとコミュニケーションが持つ原理的な脆弱性なんだろう。強いて言えば、閉鎖的なコミュニティを形成して知らない人とは関わらないというのが最大の自衛策なんだろうけど、それは包丁は危険だから禁止するに近いものを感じるところでもある。原理的に悪意ある行為者が得をするという現象にどうも納得がいかないけれど、誰かが作り上げたシステムというのではなくそれが摂理なのだからどうしようもないのだけど、だけどやっぱり納得がいかない。