夏が過ぎ 風あざみ 誰のあこがれにさまよう
青空に残された 私の心は夏模様
言わずとしれた井上陽水が代表曲のひとつ、『少年時代』。その一節、「風あざみ」とはいったい何を指すのか。どんな辞書にも記載のないその語をめぐって平成の世は混迷を深めた。『少年時代』発表の前年には3万8000円を越えていた日経平均株価は1万4000円台まで下がる。95年には東京都心で化学兵器を用いての無差別テロ事件が起こり、関西ではマグニチュード7.3の都市直下型地震が起こり甚大な被害をもたらした。『少年時代』の累計売上がミリオンに達した1997年には山一證券が廃業し、翌年には日経平均は1万3000円を割り込んだ。株価は未だにバブル期の水準まで戻るに至らず、やがて「失われた30年」と呼ばれるようになる。
「風あざみ」とは何なのか。「夏が過ぎ」と対のフレーズであることから、同じ構造の節だと考えるのが自然だろう。つまり、 風(主語)(格助詞"が"の省略) + あざみ(動詞連用形) と考えられる。ならば「あざみ」の終止形は「あざむ」だと推測できる。
「あざむ」をweb検索すると、主にふたつの語が参照される。まず、ひとつめには「あさむ」だ。
「あさむ」は「浅む」と表記され、近世以降では「あざむ」とも読むとされる。デジタル大辞林に示された意味は、「1 意外なことに驚く。あきれかえる」「2 さげすむ。あなどる」である。*1 「風が蔑む」という意の歌詞であるとは考えにくいが、「風が驚く」であっても理解が難しい。
もうひとつには、「あざむく」の頁も度々表示される。「欺く」と表記し、ここでは「1 言葉巧みにうそを言って、相手に本当だと思わせる。言いくるめる。だます」など5つの意味が挙げられるが、もっとも興味深いのは「5 詩歌を吟ずる。興をそそられる」であり、用例として「「月にあざけり、風に―・く事たえず」〈後拾遺・序〉」とある。*2 まさにこれではないだろうか。
早速青空文庫を覗いてみるが、なんということか、後拾遺和歌集は上げられていなかった。仕方がないので近所の図書館へ向かう。訳注付きの後拾遺和歌集を手に取る。"序"をのページを開く。
これによりて、近くさぶらひ、遠く聞く人、月にあざけり、風にあざけること絶えず、花をもてあそび、鳥をあはればずということなし
え、違くない? 風にあざむいてないじゃん。
改めてweb検索してみると、辞書類では「風にあざむくこと」とされているものが多いが、そうでない書籍では「風にあざけること」としているものも少なくない。そんなことあるんだ?
せっかく図書館まで来たので、日本国語大辞典にも当たってみる。すると「欺く」は"一"で他動詞として、相手を騙すなどの意味の他に、"二"で自動詞として「吟詠する。興に乗って吟じる」などの意味があるとしている。またこれは他動詞側の意味ではあるが、「思うことをそのまま口に出してあれこれ言う」という意味があり、もしかするとそうした情動的な発言というのが「欺く」の根底にある語義なのかもしれない。
日本国語大辞典では語源の説が複数記載されているが、第一に挙げられているのは「浅」と「向」の複合語だろうとのものであった。ピンと来ない。語源辞典もあたってみたかったが、小辞典サイズの語源辞典には「欺く」の項目はなかった。品詞別に巻の分かれている語源辞典もあったが、なぜか動詞編が置かれていない。見れば他にも、時代別古語辞典も室町時代しか無いし、何らかの辞典も途中の巻までしか扱われていなかった。そんなことあるんだ?
ところで、「あざむく」の用例にある後拾遺和歌集の例がドンピシャだったことから、「風あざみ」は「風に乗せて歌う」の意味で決まりであるかのように進めてきたが、「あざむき」であるところを「あざみ」とするとは考えにくい。また、当初は「風があざみ」の格助詞"が"の省略だろうとして、「風が驚く」の意になる「風浅み」説を捨ててきたが、「風にあざむく」説が許されるのであれば「風に浅む」、つまりは「(冷たくなった)風に驚く」意も十分に可能性が残る。
なお、井上本人はキク科の植物"アザミ"を想定しての造語であると述懐している。*3