ピクミンブルームの良さがわからなかった

いつものようにポッドキャストを聞いていて、すると、この歳になると自分の幸せよりも他人の幸せを願うようになるよねみたいな話をしていた。そうだよな、普通はそういうものなんだろうな、と思ってイライラしてきた。昔はもっと大らかな人間性を持っていたように思う。それがいつからか、今の仕事に就いてからか、もしかしたらもっと前からかもしれない。もう、疲れた。他人の幸せを願える程度には満たされた暮らしを送りたい。

 

 

最近はピクミンを連れて歩いていたんだけど、キノコも星3で狩れたし、もういいかな、という気持ち。散歩を利用したゲームなのかと思っていたけど、散歩をゲーミフィケーションしただけなんだよな。その違いが何なのかというのは、私の感覚的なものでしかないんだけど。なんていうか、ゲームのプレイ方法が散歩なのではなく、散歩が目的なんだよな。ゲーム性はそれを促すためのものでしかない。でも、そんなことされなくなって私は勝手に歩くし、歩くことで何かができるならと思ったけどそうではなく、ただ歩くことを推奨するだけの何かなんだよな。Not for me. 

 

 

歳をとれば周りの幸せを願うようになるという言葉、恐らくは歳をとれば地位も所得も向上して、自分自身の願望がある程度満たされるようになり、相対的に周りには満たされていない人が多くなるので、彼らの幸せを願うようになるということなんだろうと思う。だから歳をとることで地位や所得の向上した人にとっては真の命題であっても、私にとっては偽であり、「地位や所得が向上すれば」と言い換える必要がある。そのことは今の環境があるから気づけたことで、幸福な暮らしを送っていれば私も無自覚に「歳をとれば」と言ってしまっていたんだろう。それは嫌だな、とも思うけれど、代償としての今の暮らしを考えるとあまりに釣り合わない。もっと無自覚に残酷な言葉を吐きたい。