コミュ障面倒くさい

b.hatena.ne.jp

 

何が面倒くさいって、「コミュ障」の言葉が指すものがあまりに幅広すぎること。

コミュ障って言ったって、ひとつの言葉を紡ぎだすのに1分かかるような重度の人もいれば、人と話すのが苦手だという程度でコミュ障を名乗る人だっている。

人見知り、あがり症、吃音症、人間不信、ぶっきらぼう、話題が無いことなんかもコミュ障を構成する要素だけれども、コミュ障というだけではどれに当てはまるかもわからない。どれにも当てはまらず、ただ人と話すことで極度に疲弊するという人だって、コミュ障じゃないとは言えまい。

方向性もその程度もわからないのに、コミュ障は云々という決めつけは何の意味もない。なのに決めつけて語る人は少なくない。

 

 

anond.hatelabo.jp

 


ブコメにも酷いのが多かったけど、このトラバはいくらなんでも……。

コミュ障である(と自称する)元増田が結婚しているのは美人だからだという謎の断定。しかも元増田は「もう旦那がこのようなイベントに私を誘うことは無さそうで少し安心している」と書いているにも関わらず、「もし本当に変わりたくて、今後もそういう場に行かなきゃいけないなら」と謎のアドバイスを始めだす。いや、お前がモテないのはそういうところだろ。こういうやつがいるから、人と話すのが嫌になるんだよ。

3年目のマストドン雑感

friends.nicoがサービスを終了した。*1 ドワンゴの運営する、日本で3番めに利用者の多いマストドンインスタンスだった。 少し前に、グループの経営がうまくいっておらず刷新していくというようなニュースはあったにせよ、これは驚きだった。その第一報が流れたとき、私はたまたまマストドンを覗いていたのだけれど、タイムラインではニコフレの話題一色となった。 三大インスタンスの中でもっとも経営母体が大きいこともあり、その衝撃は大きく、誰もが明日は我が身を思った。


しかし、どうだ。マストドン以外での反応はどうだったか。
Twitter(というか私のタイムライン)でも、はてなブックマークでも、リアクションはごく限定的だった。 その反応の小ささにまた驚いたものだ。 ネットのすみっこで変なことをしている人たちがいるんだ程度の関心を持って眺められているものかとばかり思っていたけれど、決してそんなことはなかった。ネットに入り浸っている人たちにすら、何の関心も持たれていなかった。世間的には、マストドンは、とっくに終わっていたんだ。


ムーブメントとしてのマストドンは衰亡し、 企業によるインスタンス運営のメリットも見出だせなかった。 しかし、だ。2年前から言い続けているように、マストドンは本来的に大規模インスタンスに適しておらず、中小インスタンスが乱立して然るべきものである。そして、多くの個人運営インスタンスは今も元気だ。当初一年間で多くの小規模インスタンスが立てられては消えていったが、その波を乗り切ったインスタンスは今も変わらず継続しているものが多い。ニコフレの後継鯖も個人有志によって立てられた。*2 今しばらくは中小インスタンスの活躍が続くだろう。マストドンは経済合理性には適わないが、経済的利益を求めないコミュニティにとっては依然有用なサービスなのだ。


個人的には、はてなハイクが終了してから、マストドンの利用が増えた。マストドンインスタンスpawoo*3をメインとしながら、gochisou.photo*4 www.nekotodon.com*5 heislandmine.work*6を利用している。最近ではDiscordのような閉じたチャットサービスの利用も広まっているが、私はwebの古い理念を信奉をしたいので、どうも馴染まない。やはり情報は公開されて、垂れ流されてしかるべきだと思っている。私がネットを見ている分、私も見られなければならないし、さほど有益な情報は提供することもできないけれど、それならなおさら些細なことでも記していくべきなんじゃないかと思っている。

 

chikada.hatenablog.com

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だいたい年に一度くらいは吉祥寺に行っているはずなんだけど、それ以上に久しぶりな感覚があった。いつも慌ただしく訪れるだけだったから、そんなに街を見られていなかったというのもあるだろう。
前に吉祥寺でのんびりしたのはいつだっただろう。当時はまだ伊勢丹が閉まって間もなかったように思う。新しく入居する運営会社は決まったけれどもテナントがなかなかみたいな話があったような、なかったような。現在ではそんな様子もまったく感じさせない。よかったねぇ、と近所のおばちゃんのような感慨を抱く。

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サンロードはすべてが変わっていた。もちろんすべてがすべてではないにしても、変わらず続いている店のほうが少ないくらいだった。三浦屋は伊勢丹跡に移り、あそこ服屋の名前も出てこないけどけっこう好きだったのにまさか中古PC店に変わってしまっているとは思わなかった。バウスシアターがなくなったことは知っていたけれども、その跡にラウンドワンが入っているとは思いもしなかった。西友だけは変わっていなかった。


ハーモニカ横丁は案外に変化が小さい。一般的なテナントと比べて、入出店に伴う作業がやりにくそうではある。スパ吉の内装は大きく変わっていたけれど、営業は相変わらず続いていたので、久しぶりにカルボナーラを食べた。

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パルコは大きく変わったわけではない、と思う。だけど、なんだろう。もう少し何かが違ったような気がする。その違和感に気づけないままエスカレーターを上り、ビレッジバンガードに入ってようやく気づいた。サブカルと呼ぶには少し薄く、わざと外したラインナップと、こっぱずかしいポップが並ぶ。そうだ、この店は何も変わっちゃいない。私が変わったんだ。もうビレバンに、パルコに来るような歳じゃなかったんだ。

 

インターネットラジオ

MusicHyperMarketが終わった。*1 J-waveが運営する、18年間続いたネットラジオ番組だ。CMが入るわけでもなく、放送番組の宣伝さえ入らない、100%赤字企画なので、逆によくもまあこれまで続いてきたなあというところでもある。

 

ラジオNIKKEI聴く日経*2はこの冬から無料公開を廃止し、完全に有料制となった。ただの娯楽であったMusicHyperMarketとは違い、とても便利な情報源だったためなんとも惜しいところではあるが、幸いにも金さえ払えば引き続き聞くことはできる。しかし1タイトルで540円というのは、ううむ、なかなか踏ん切りがつかないままでいる。

 

TBSラジオのsession-22*3の配信は相変わらず続いているが、こちらは数年前にRSSでの配信が終わってからあまり聞いていなかった。聴く日経の無料配信が終わったのを機に、また聞こうかと思い立った。
しかし、使いにくい。TBSラジオの配信公式アプリであるラジオクラウドの使い勝手が悪い。アプリを立ち上げてから番組再生に至る動線の長さも気に入らないし、何より1番組がいくつもに切り分けられてしまって連続再生できないことが不便で仕方ない。画面操作ができないからこそ音声メディアを欲しているのに、それがぶつ切りされ操作が必要になるようでは意味がないじゃないか。

 

移動中や、あるいは他の作業をしながらでも聴取できる音声メディアはとても便利だ。どうしてもっと普及しないんだろう。
いや、似たような言説を目にし、私もオーディオブックを試してみたけどたしかにあれはダメだった。文字メディアを音声化したところで、それではあまりに冗長となってしまう。1時間で読み終わるような新書本であってもその何倍もの時間再生し続けなければ読み終われない。小説ともなればさらに多くの時間が必要となる。そんな時間が取れないから音声で聞きたいと思ったのに。本末転倒だ。
しかしラジオプログラムの配信は違う。音声で聴くことを前提として作られたものなので、過度に冗長にもならず、また内容も平易なので前章を参照しながらでないと読み進められないようなこともない。気軽に聴取しやすく構成されている。だから移動しながらでも、他のサイトを見ながらでも、家事をしながらでも聞くことができる。これが便利なのだ。
それなのにだ。やれIoTだウェアラブルだと言われながら、どうしてかポッドキャストが、音声メディアが先細っているように思える。というかまあ、どうしてか、なんて言うまでもなく収益が得られないからであることは明白で、webメディアの強みであるクリック課金広告は不可能だし、1コンテンツごとの販売というのも難しく、多くのオーディオブックサービスがそうであるようにサブスクリプションとするか、あるいはradikoのように既存コンテンツを既存広告込みで配信するかしかなく、前者は新規加入の獲得が難しいにもかかわらずヘビーユーザーによる利用ばかりが増えて採算が立ちにくく、後者はそもそも新しい収入がほとんど見込めないまま管理費ばかりがかさんでいく。だからせめて利用者がもっと増えてくれれば広告収入でいくらかペイしやすくなるはずなのに、しかしどうもその様子もない寂しさ。

 

最近ではラジオクラウドはもう諦めて、アプリ自体がより重たくもっさりしているけれど、1番組の連続再生が可能であるradikoのタイムフリーを利用するようになった。radikoは必ずしも素晴らしいとは言い難いが、とても頑張っている感はある。

ラーメンを食べていた

家系だとスープと油が分離している店が多くて、私はそれがあまり好きではないのだけれど、この店はスープに油がしっかりと溶け込んでいて、わりと好きな味だった。しかし店名に「家」が入っていないけれど、この店は本当に家系でいいんだろうか。醤油豚骨に極太麺で、好みが選べる仕組みになっているのでまず間違いなく家系だとは思うんだけど、今は亡きraf00氏の定義だと*1家系とは言えないななどと考えていた。

 

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raf00氏は所謂はてな村人たちとも親交を持ち、村忌憚にも出演し、おそらく古参勢なんだろうけど、所謂はてな村人とは少しイメージが違った。決してレッテルを貼ることなく、必ず一度は耳を傾ける姿勢を取る。叩かれがちな糞サイトにもあらわれ、内容に応じた是々非々なコメントを残している印象が強い。極端を唱えるはてサ勢に異を唱えている姿もたびたび見かけた。私は個人的にやりとりをしたことは一切ないけれど、勝手に親近感を抱いていた。

*1:焼豚が不味いことが家系の定義だみたいなことをTwitterで言っていたような記憶

*2:今気づいたが、丼に「横浜家系」と書いてあった

広告を観に行く

昨日は恵比寿で仕事があって、それでガーデンプレイスプロジェクションマッピングなるものをやっていたので初めて見た。
私が見たことがあるのはこれだけだから、もしかすると一般論としては当てはまらないのかもしれないけど、思ったことを書いてみる。

 

 

 

まず驚くのは、全然大したことないな、ということだった。映像で見るとさほど気にならないんだけど、実際に間近で見ると、背景の建物がはっきりと見えていて、映像の投影に違和感がある。人間の目は、カメラのセンサーよりもずっと高精度だから、見えなくていいはずの実際の建物のデザインがはっきり見えてしまう。
逆に言うと、動画撮影に最適化している。SNS映えし過ぎているとも言える。それを目的に行っているんじゃないかとさえ思えてくる。
プロジェクションマッピングを行うことで、多くの人がそれをSNSに投稿すれば、さらに多くの人が見ることになる。宣伝広告としては悪くない。とはいえ実際にはどれだけのコストがかかっているのかわからないので、何とも言えないところではある。
対コスト比がわからないところではあるけれども、宣伝広告を来場者が勝手にSNSでシェアしてくれるというのは、素晴らしい仕組みだなとは思える。広告をわざわざ見に来る人がいて、それをわざわざ拡散してくれる。これは便利だ。
こうしたコンテンツ性の高い広告が広がってくれればいいと思う。しかし、プロジェクションマッピングが広がっても、それがありふれたものになってしまうと、わざわざ見に来るひともいなくなるし、SNSに上げる人もいなくなる。それでは困る。常に新しい、珍しい、エンターテイメント的な広告を見出し続けなければならないのだ。これはつらい。

何年ぶりかわからない。以前に何度か来たことのある店にハンバーガーを食べに来た。もっと高級店ではわからないが、私の知る限り一番ハンバーガーの美味しい店だ。しかし、以前はこんな元気な店だっただろうか。もっとサブカル感ある雰囲気だった気がしたが。気のせいかもしれない。当時のハンバーガー店は多くがサブカル感を滲ませていた。
10年近く、随分と久しぶりに来た。こんな垢抜けた店だったっけなあという思いが強い。音楽が大音量でかかり、客層も若い。客が若いのは、今が春休みだからというのもあるかもしれないし、単に私が年をとったせいで周りが若く見えるだけかもしれない。

 

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チリチーズバーガー。
味は間違いがない。肉はよく焼かれ、表面はカリカリさえしているが、決して焦げたりはしていない。噛めば口の中に牛の味が広がり、かといって脂っこくなりすぎることもない。辛みはあるけど、辛いだけじゃないチリソース。豆が、トマトが、レタスが、バンズまでもがしっかりと味を出している。こんなに個性の強い食材を揃えながら、ちゃんとパンの味がするのだ。それぞれがしっかりと主張しながら、きちんと調和している。1300円もするだけのことはある。いや、たった1300円でこれほどの満足感を与えてくれる店なんて滅多にない。
窓の外には行列ができている。こんな時間なのに、1000円以上も払ってハンバーガーを食べたい人がこんなにいる。とんだ人気店だ。だから10年も店が続いているのでもあるのだが。この10年ほどの間に、多くのハンバーガー店が消えていった。まだ残っている、こんなに美味しいハンバーガーを提供し続けてくれていることにもっと感謝すべきなのかもしれない。そう考えると、いつまでも居座り続けるわけにもいくまい。せっかく時間が空いたからのんびりしたいと思って足を運んではみたものの、そううまくはいかないらしい。