冴えカノを読んで

冴えない彼女の育て方』が完結した。ハイクを中心に感想を書いてきてはいたけれど、ここでもう少し書き殴っておきたい。*1 全13巻+αを読み終えて一貫して言えることは、加藤さんが可愛かったということ。加藤さんが可愛いだけの話だったということだった。
ライトノベルではありがちな、というほどライトノベルを読んでいないので正確なところはよう知らんけど、表現が気になるところは多い。文を最後まで言い切らないで、途中で切り上げるものが多い。それは日常的に使うし、間違った日本語というわけでもないんだけど、地の文でやられると違和感がある。いや、俺お前の友だちじゃないんだけど、金払って買って読んでるんだけど、って。
カギ括弧を重ねて多人数の発言だと示すのなんかも、それがダメだとは言わないけれど、やはり古い人間なのでどうしても気になってしまう。漫画の吹きだしでは昔からよく見るので、そんなにおかしいものではないはずではあるんだけど。ああ、吹きだしでなら気にならないみたいに言ったけど、でも共通の吹きだしの中で語尾だけ複数書かれているのは気持ち悪くて仕方ない。その語尾そんなに大事なの? 語尾を変えることで人物を直接描かなくても誰の発言かわかるようにするというのはなかなか素晴らしい発明ではあるんだけど、そちらを貫くとまた別の気持ち悪さが出てしまう。そんなのを気持ち悪いと思うのはもしかすると私だけなのかもしれないけれど。23世紀の古文のテストでは、発言主の明記のない会話文で口調や語尾からその発言主を判断する問題が出されるんだろうかとか妄想しちゃうのはきっと私だけだろう。
それとメタい。いちいちメタい。個人的にはメタなネタは嫌いじゃないんだけど、その出し方ってあるよね。たとえは伊織や詩羽先輩が倫也や本作品をメタな弄り方をする分には全然構わないんだ。でも加藤さんのメタネタはちょっと違う。台詞じゃない地の文に突っ込んでくるのはさすがにどうかと思うんだ。冴えカノでは基本的に主人公の一人称視点で物語が描かれていて、声に出していない倫也の内心が地の文で綴られることも多い。そうしたところに突っ込むのは、声に出さなくても顔に出ているとか、お前の考えていることくらい手に取るようにわかるとか、そういう描写なら理解できる。でも、そうじゃない。彼らの活動の場であるサークルを地の文では「俺が今まで育ててきた『blessing software』」と記したことに加藤さんが「"俺が"?」と突っかかる。これってただの言い方の問題じゃん。たとえ考えていることがお見通しだったとしてもわかり得ないことだよね。これ絶対突っこめないはずだし、突っこんじゃダメなところでしょ。しかもこれに対して、「俺の心中を読まないで欲しい」と書いて、「心中」に「モノローグ」とルビを振る。だからそれはメタ過ぎるし、そのルビの振り方も気に入らない。
私の感覚では、ルビというものはその単語やフレーズの読み方を記すものだったはず。だけど本作ではしばしばそれとはまったく違った使われ方をしている。*2 形式的なことでいえば、章タイトルが注意書きだったり作者コメントだったりして、ちっとも作品のタイトルになっていないのも気に入らない。今回13巻の6章では「注:この章のみ、倫也視点ではなく第三者視点からお送りいたします」とか書いちゃってるのも気に入らない。そんな但し書きいらないでしょ。わざわざ書かなくても視点が変わることくらいよくあるでしょうが。よくあることなんだけど、普通は視点が変わるときって文体も大きく変わるものなんだよね。登場人物の一人称で描かれるときはラフな文体になりがちだし、神視点で描かれるときは固い描写になりがち。それなのに、だ。この作品ではそうした描き分けが一切無い。倫也視点で描かれるのと同じ緩さで、神視点で描かれる。それくらいなろう小説でもなされているのに、どうして商業作品でできないのか。それをやらずに、本来必要ないはずの注意書きを挿入してしまうのかと。そういうところが気に入らないんだ。
という書き方をしていると、加藤さんは可愛いけど、総体的にはダメダメな小説だったんだみたいな感じになってしまうけれど、決してそんなことはない。というかそんなにダメダメだったら10何冊も購入しないよね。良かったんだよ。とても良かった。つまりは、加藤さんの可愛さが、多くの欠点を補って余りあるほど良かったということだよね。
思えばアニメを見て、加藤さんの可愛さに魅了されて、原作の購入に至ったわけだ。1巻では、文章の構成もグダグダで、よくこれで出版にGOが出たなというような出来だったけれど、その時から変わらずに加藤さんは可愛い。パッとした印象のない、まさに冴えないヒロインだった加藤さんのキャラは、今では大きく変わってしまったけれど、それでも加藤さんが可愛いという一点だけはブレない。
たとえば13巻でのクライマックスはわりと序盤にあり、倫也の告白で終わった前巻の続きから始まる1章だ。当然にその返答を引っ張るわけだけど、ご都合主義で固められた本作で答えを引っ張ったところでYes以外の可能性なんてないことは読まなくたって誰でもわかる。そんなことは作者だってわかっているから、引っ張るけれど隠さない。もう誰が読んでもOKだとわかる描写ばかり、加藤さんのデレがだだ漏れなんだけど、加藤さん本人は決してそうは言わない。手を握ったままだと指摘されて「おっとぉ」と離す加藤さんとか可愛すぎでしょ。「いや〜、おかしいね〜、これはありえないね〜」と言い訳にもなっていない言い訳を口にする加藤さんに萌えないわけがないでしょ。答えを引っ張ったままなのにキスする前提で歯を磨けだのヒゲを剃れだの、もう何なのこの子?俺を殺す気なの? そんな感じに描かれた後の2章のタイトルが「ここからエピローグと言っても何の支障もありません」って。本当どうかしてる。
というわけで加藤さんの圧倒的可愛さでもっている冴えカノではあるんだけど、幼馴染みヒロインである澤村・スペンサー・英梨々もなかなか素晴らしく描かれている。というか完全に私の偏った趣味ではあるんだけど、不器用な負け犬が大好きなんだよね。FFⅩのジェクトとか、映画『レスラー』とか大好物なので、ヒロインとしての英梨々にはそこまで関心はないけれど、シリアスなシーンで出てくる頑張ってはいるけど全然ダメな英梨々がすごく良い。10年間のいざこざを清算しようとする倫也に何も言えなくなってしまう、それでも必死に強がる英梨々、そして将来を語る姿は明らかに今までよりも大きく成長して強くなっている様子を見ると、もうおじさんの涙腺も限界を迎えますよ。そういえば3巻での英梨々とのケンカでも泣いていた気がする。
というような感じで、要約すると、加藤さん可愛いという話。小説自体は全然人に薦める気にはなれないけれど、アニメ1期はとても良いので全人類が見るべき。

*1:冴えカノ - はてなハイク

*2:うむ。f:id:hungchang:20161023110752j - hungchangのコメント / はてなブックマーク

は? なんなの? ↑のリンク先ではてなブックマーク内でのはてな記法のリンクまったく機能してねえじゃねえかよ。この状態のまま何ヶ月放置してんだよ。自社のオリジナルサービスくらいちゃんとサポートしろや糞が。http://f.hatena.ne.jp/hungchang/20161023110752

今日もインターネットは最高だぜ

はてなブックマーク - 互助会ブログのブコメは何であんなに気持ち悪いのか

いわゆる「互助会」批判の増田には「互助会」らしいブックマークコメントを付けることが定番になっている。それが「互助会」を揶揄しているのか、それとも「互助会」批判を嘲笑しているのかはわからない。きっとどちらもあるだろうし、どちらの思想も特に持ち合わせていない場合もあるだろう。「人の嫌がることをすすんでやろう」の精神によるものかもしれない。平たくまとめてしまうと、いろんな人がいるということだ。いろんな人が入り乱れているからインターネットは面白い。
そんな中で「こんなにみんなが互助会を嫌っている」みたいなブコメがあって、さすがにこいつはやべぇなと思った。どうしてそこに付けられたネタブコメの数々がすべて「互助会」を嫌悪してのものだと判断できたんだろう。本当にインターネットにはいろんな人がいて面白いぜ。

増田を読んでの推論

読んだ。

anond.hatelabo.jp

消したという元記事、私は読んでいないものかとばかり思っていたけど、どうやら以前にちゃんと読んでいたらしい。既に消されてしまっているとのことだけど、nisattaさんのブックマークコメントに2017/09/24現在閲覧可能な魚拓のリンクが貼られている。
あの増田はかまってもらえなくて駄々こねてるようにしか見えなくてあれなんだけど、そうはいってもヨッピー本に対するガッカリ感はわからなくもない。つまりは、今までは何のしがらみもないwebライターだから好き勝手言えてたけど、本を出すにあたって、出版社の売上を伸ばすための施策の前にはヨッピーも折れざるを得なかったということなんじゃないかと推察できる。実際に本を読んでないから想像でしかないけど、きっと本人が書きたかったのは自分の半生とかライティングの仕事についてとかそういうことだったんじゃないかしら。それが編集の意向で、処世術を目的として、その手段としてのwebライティングという形に落とし込まれたんじゃないかと。もしそうだとしても本人はぜったいにそんなこと言えないだろう。
で、そのせいなのかどうなのかわからないけど、ヨッピーが謎の正義感振りかざしていてなんか痛ましい。

ヨッピーの記事を消した。そしてさよならはてなブックマーク。

処方箋商売なんてやろうと思ってないよ。本の中でも明言してるけど、僕はそもそもファンの人達からお金取る事はなるべぬしないようにしてるし、今回の本の印税も全額何かしらに還元しようと思ってる

2017/09/24 13:09

b.hatena.ne.jp

いや、違うだろ、って。印税は受け取れよ。それは正当な対価だろう。そこを否定したらまるで消費者から代金を取ることが悪どい商売かのようじゃないか。広告ビジネスが尊くて、BtoCが卑しいわけではないはず。もし悪いことがあるのだとしたら、増田の言う「イケダハヤト化」だろう。ヨッピーが印税の還元を謳えば謳うほど、自分でも「イケダハヤト化」を自覚しているんじゃないか、その償いのためなんじゃないかと邪推してしまう。ただまあ彼の場合は、前々から金を稼ぐことにどこか嫌悪感というか後ろめたさみたいなものを抱いている様子は窺えるので、書籍の不本意な方針転換があったことを確信するには至らないわけだけど。どうも彼の考える正義感は、私のそれとはだいぶズレているんだよなあ。

久しぶりに食べたけど、やっぱりうまいな、カレギュー。良さしかない。まだ牛がプレミアム化していない店だったけど、カレーをかけるならあれで十分。おかげて料金据え置き並盛り500円。今日日500円で食べられるものの中で一番美味しい食事なんじゃないだろうかカレギューは。しかしまだあったんだな、プレミアムでない牛で出す松屋。ド田舎の店まで行ったならまだしも、首都圏のそこそこの駅なのに。全店を速やかにプレミアム化するつもりなのかと思っていたけど、そうではなかったのかしら。一部店舗を残したりなんかしたら、余計な管理コストがかかりそうなものなのに。それとも高い部位と安い部位をまとめて仕入れて割り振ったほうがコストが抑えられるとかあるのかしら。いや、そんなことよりカレギューだ。それだけでも美味しいカレーに、牛めしの牛まで載せられている。カレーは、カレーそれだけでも十分に美味しいんだけど、だけどどこか物足りない。それは味が均一であることによるものであり、また具が無いので食べ応えに乏しいことによるものである。そこに牛肉が載る。するとどうだろう。カレーとは異なる味が加わる。カレーとは異なる食感が加わる。美味しいカレーに、しかし今まで足りなかった美味しさが加わることになる。これは牛めしの牛でなければなない。たとえばカツカレーという料理がある。カレーにカツを載せるという素晴らしい料理だ。カレーはカレーだけでも美味しく、またカツはカツで美味しい。そのふたつを掛け合わせる。するとどうしたことか、カレーの美味しさとカツの美味しさを合わせたものよりもずっと美味しい何かが生まれる。何かというか、それがカツカレーだ。最初にカレーにカツを載せた人間は天才だ。どうしてこれほどの美味しさが生まれると想像することができただろう。しかし、だ。カツカレーであってもまだカレギューの美味しさには敵わない。何故か。それは牛めしがそれだけで完成した美味しさだからだ。たしかにカツは美味しい。しかしカツを食べるとき、我々はそれをどうやっね食べるだろう。ソースをかけるだろうか。醤油だろうか。マヨネーズかもしれない。いや、タルタルソースだという人もいるだろう。多くの人は何かをかけたりつけたりして食べる。そうすることで塩分や旨味を補充する。カツとはそうして食べる食べ物なのである。一方で牛めしはどうだろう。たしかに牛めしに紅ショウガを載せることもある。玉子を割らなければならないという人もいるかもしれない。しかしそれらはmustではない。牛めし牛めしだけで食べられるものだ。カレーの存在がなくても。対してカツにはカレーが必要だ。カツとカレー、両者の間で美味しさの相乗効果があるとしても、その一部はカツを食べるためのソースとして消費される。しかしカレギューは違う。カレーだけで食べても、混ぜ合わせて食べても、牛だけで食べても美味しい。その割合の違いによって異なる美味しさを味わうことができる。それにカツカレーは高いじゃないか。しかしカレギューは安い。500円だ。たった500円でこんなに美味しい。たった500円なのに、こんなに牛がたくさん入っている。スプーンを口に運んだとき、その2回に1回はスプーンに牛が乗っている。それなのにたった500円で食べられるんだ。やっぱり松屋は最高だぜ。

ブクマページリニューアル雑感

はてなユーザーの驚異的な保守性はいつものことなので、反応を見る限りでは不満しか出ていないようでもあるが、そこまで酷いものとは思っていない。

 

画面が白すぎるというのはたしかにあるけれど、前回のリニューアル時にも文字色が薄くなりすぎて見にくくなったものは、多くの声があがることですぐに改善されたので、「白すぎて見づらい」という声はあげておきたいが、それ自体にはさほど悲観的ではない。

 

PC版とスマホ版のデザインが近づけられたことは歓迎したい。それぞれの使い方を覚えなければならない状況は、どう考えても健全でない。

 

コメント無しのブックマークが表示されなくなったのは、スマホ表示に一定のメリットがあり、それを優先したからであろうことは十分理解でき、一定程度評価したい。一部のハードユーザーよりも、より多くの潜在ユーザー獲得を目指すべき。

 

タグ芸が表示されなくなるのは寂しいけれど、本来的な使い方ではないので、利便性のために廃されるのは仕方なく思える。

 

スパムを通報しにくくなったとの謎の声。おそらくは気に入らないページを無言ブクマするだけでそのアカウントをスパムと断定するユーザーが複数存在していたことは容易に想像がつき、スパムと疑われるアカウントのユーザーページに一旦ジャンプする必要が生じることは、デメリットばかりとも言えない。

 

ブックマークしたユーザーを右カラムに表示させるのは良い。これが無いと我々は今後新たにキュレーターを見つけ出すことができなくなってしまう。マウスオーバーの挙動が必要だったのかは謎。わざわざマウスオーバーを仕込んで、タグを表示させながら、頑なにコメントは表示させない拘りは理解不能。

 

一番の問題はタグ入力のしにくさ。表記ブレを防ぐためにも一覧から選択したい。変換の煩わしさを省くために予め角括弧を打ち込んでから括弧内に文字を入力しようとするともれなく誤反応する。わざわざ別の入力欄に書き込むのも煩わしい。

 

bookmark.hatenastaff.com

意味がわからない話

youtu.be

 

いや、この動画の感想いろいろ見てたらね、「意味不明」とか「何が言いたいのかさっぱりわからん」みたいな言い方がけっこう目につくんですよね。で、僕、このCMの出来上がりの擁護はしないんですけど、意味はわかるだろ、と思うんですよね。その価値観に賛同するしないと意味わかるわからんって全然別じゃないですか。
牛乳石鹸のCMが炎上してるやつの雑感 - ←ズイショ→

 

そんなこと言われたって、わかんないものはわかんないよね。そりゃあ俺だって、電話を無視して酒飲んでけしからん夫だとかそれくらいのことはわかるよ。でもなんで無視したか、というかなんで無視させたのか、その演出の意図がさっぱりわからない。そうすることで何が描きたかったの?
「家族思いの優しいパパ」であるべきだということに疑問を投げかけているのはわかるよ。でも、息子の誕生日に家族へ連絡もせず電話にも出ないで部下だか後輩だかと酒を飲むことが「家族思いの優しいパパ」と天秤にかけるに値するもうひとつの目指すべき父親像なのかっていう話だよ。ぜったい違うでしょ。じゃあ違うんだったらこのシーン何なの? 意味わからなくね?*1
これ途中だからわからないんじゃなくて、最後まで見てもわからないんだよ。反抗期の中学生みたいに自宅に帰ってお母さんに叱られるんだよ。何も答えないまま風呂に入って、自分の父親のことを思い起こして。ここで家父長的な強い父親像に目覚めるんだったらまだわかるんだよ。でも違う。風呂から上がると謝っちゃうんだよ。ここで謝るんだったらさっきの回想の入り方おかしくね? 謝るんだったら入るべき回想は、自分の父親にされて嫌だったシーンか、自分の父親がしたことと今日の自分がしたことの違いが引き立つシーンであるべきだよね。まったく関係ない古き良き父親像の回想が入られても、謝る理由になってないよね。結局今日彼がしてきたことは間違いだったというだけなの? 「家族思いの優しいパパ」に疑問をはさむことは間違っているということなの? たぶんそうじゃないよね。じゃあ何を描きたかったの? 本当意味わかんない。*2

これをきれいに解釈するには「描写が不適切である」ということを確定させないといけない。倫理的にではなく、論理的に不適切。でも普通はそんなこと確信持って言えないよね。もしかすると自分に何か見落としがあるのかもしれない。大企業が大金出して作ったものが、そんな初歩的なところで間違っているわけがない。今までの経験からしても、国語の問題が間違っているという奴は、だいたいそう言う奴のほうが間違っていた。それにこんな気持ち悪いCMのために、どこがおかしいのか自分が考えるのも馬鹿らしい。こんな動画の評価は「意味不明」で十分だ。むしろこれの意味がわかるって奴はどれだけ自分の解釈に自信があるんだよ。本当意味わかんないわ。



*1:厄介なことには、息子の誕生日に家族へ連絡もせず電話にも出ないで部下だか後輩だかと酒を飲むことが「家族思いの優しいパパ」と天秤にかけるに値するもうひとつの目指すべき父親像だとして描いている可能性もゼロではない。

*2:厄介なことには、「家族思いの優しいパパ」に疑問をはさむことは間違っているということを描いている可能性もゼロではない。

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香水とタバコの煙じゃ臭いといっても性質が違うから比べられないよねっていうのはまったくそのとおりなんだけど、受動喫煙のリスクって言葉ばかりが独り歩きしているけど実際のリスクは無視できるほど小さいよねって書いているところに、さらに小さいリスクである「三次喫煙」なるものへのリスクを謳うリンク*1を貼ってくるのは流石に脳がどうかしているだろ。しかもそのリンク先も相当頭がおかしい。1~2段落で三次喫煙なるものの概念を説明して、3段落目と図表でそのリスクの根拠を示そうとしているんだけど、「受動喫煙・三次喫煙」と全面禁煙化後の入院リスクにはまったく関係がないよね。参照元*2には数値の出し方が書かれていないから比較のしようもないけど、日本でも心疾患の全体の患者数で減少傾向にある*3し、高齢化の影響を受けない一人あたりのリスクで言えばさらに大きく下がることが推察される。本当に嫌煙厨には論理的思考など求めるべくもないんだなと。