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いつなったら脳にプラグ直結できるんだ

私は昔から文章の読み書きが苦手だった。授業時間内に作文を書き終えたことはなかった。二度受けたセンター試験では、二度とも国語が最低点だった。メールのやりとりは今でも苦手だ。メールするくらいなら電話したいし、電話するよりも会って話したい。対面で話せば、言葉以外でのコミュニケーションも可能になる。相手の反応を見れば、自分の言葉が伝わっているのかどうか確認が取れるし、メールや電話ほど明確なターン制が敷かれていないのも話しやすい。だけど、やはり話すこと自体が得意でない。言語を扱うことに苦手意識がある。脳にケーブルを直結するコミュニケーション技術が早く整えばいいと思っている。直結といっても、攻殻機動隊ではかなりの精度の情報を一瞬にして送ることができているが、アクセルワールドでは相変わらず言語を媒体としてのコミュニケーションであり普通の会話とほとんど変わらない。私が望むのは攻殻の方だ。我々はいつまで言語などという欠落だらけのメディアを使い続けるのか。しかし残念ながら現状として使い続ける以外の道はない。

 
言語を用いてコミュニケーションを取る限り、あるいは言語以外でも私たちの取り得るコミュニケーション手段はどれも同じだが、伝達に齟齬は避けられない。対象を抽象化したものである言語は、たとえば「リンゴ」という言葉がどんなものを想起するかは人によって違う。それは赤いかもしれないし、緑色か、黄色いかもしれない。皮をむいてあるかもしれない。ぐるぐると丸いリンゴを回しながらむいているかもしれないし、8つに切り分けてからむいているかもしれない。ウサギの耳が付いているかもしれないし、そうすると塩水に漬けられて少し塩っぱいかもしれない。まさかリンゴスターを思い浮かべる人はいないだろうけど、椎名林檎が浮かんでくる人ならいるなもしれない。こちらが知恵の実のことに言及しているのに、真田東女子の生徒会長のことだと勘違いされたらもう話が180度変わってしまう。
 
多くの言葉を重ねれば誤解を防ぐことはできるだろう。リンゴと言うから伝わらないけど、11月の山形県で収穫された大玉のサンふじだと言えば誤解は減るだろう。しかし減るだろうけど、多くの人にとってそれが山形県産か長野県産かなどどうでもいい情報だし、ふじとサンふじの違いがわかる人だって少ないだろう。そんなどうでもいい情報を付加したところで、ある程度の誤解を回避することはできるかもしれないが、決してゼロにはできない。ただ冗長になっただけだ。会話にはリズムやタイミングが求められるものであり、付加価値の乏しい冗長な言い回しは嫌われる。だから私たちは、11月の山形県で収穫された大玉のサンふじを八つ切りにして皮をむいたものを右手の親指と人差し指と中指の三本で掴んでおよそ三分の一を口に含んでかじり12回咀嚼してから飲み込んだなどとは言わずに、ただリンゴを食べたと言う。それが普通のコミュニケーションだ。
 
普通のコミュニケーションでは冗長な表現は避けられる。相手を拘束し、時間を奪い、リアクションを強要することになってしまうからだ。相手に何かを伝えたいと思いながら、そのことで相手にストレスを与えてはいけない。話のうまい人、コミュニケーションに長けた人なら、苦も無く最適な言葉を紡ぎ出すのかもしれないが、どうも私はそれが苦手だ。うまい言葉が見つからず、ただ押し黙ってしまう。いや、黙ってはいけない。何か喋らなくては。何を言えばいいんだろう。何の話をしていたんだっけ。もう何でもいいや。もうどうでもいいや。コミュニケーションなんて嫌いだ。
 
対面での会話や、電話やメールでも手紙でもそうだけど、自分の話を聞くことを相手に求めてしまうので、それが伝わるように、苦痛にならないように、言葉を選んで伝えることがある程度求められる。だけど、相手に話を聞くことを求めないコミュニケーションならどうだろう。こっちは勝手に言いたいことを言う。うまい表現は見つからなくても、その分好きなだけ言葉を尽くして伝えることができる。いくらでも、どれだけだって喋り続けることができる。5000字でも、1万字でも、100万字書いたっていい。読まれるかどうかはわからない。誰にも読むことを強要できない。だからどれだけだって書くことができる。それがブログのメリットだと思う。読まれるか読まれないかはわからない。こちらでそれを決めることはできない。ただ書くことしかできない。その替わり、いくらでも書くことができる。いくらでも際限なく書くとこができる。逆に書かないことだってできる。100文字の投稿だってできるし、何も投稿しないでいることだってできる。その自由がブログにはある。本当に、自由だと思う。私は週に1度にも満たない更新ペースだけれど、これがすごく心地好い。そんなことをぐるりみちを読んでいて思った。
スタンプが簡単に伝わりやすいんだけど、解釈に幅があって間違って伝わることも多いっていうのが、鉛筆デッサンみたい、っていうのは適当な線をいくつも重ねることで、その中で一番もっともらしい線を脳が勝手に解釈して上手い絵であるかのような錯覚しがちっていうはなしがあって、それに似ていて面白いなあとか思ったんだけど、いざ書き出してみるとその話をはさむところがなかったから最後に無理やり付け足してみる。