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痩せたソクラテスよりも肥えた豚を選ぶ「文化」

元記事にも、ブコメにも、目から鱗だった。

 

「リード」をつけられて歩く子どもをはじめて見た - lessorの日記

 

子供をハーネスでつなぐ親を見て、強い違和感を抱いたけど、その理由がわからないという話。

まるでペットのように見えてしまうけど、手を繋ぐのと何が違うんだろう。どうして子供が可哀想に思えてしまうんだろう、と。

 

私が初めて見たのは、たぶん3〜4年くらい前だったと思う。

その時に私が感じたのは、違和感とかいうかわいいものではなかった。嫌悪とか、憎悪とか、殺意とか、そうしたもっとまがまがしい感情だった。

お前の子供はお前の奴隷じゃねえ、と俺の怒りは有頂天だった。

何故かその時は、ペットではなく、奴隷を連想していた。動物を飼ったことがなく、ペットが身近でなかったのはあるが、奴隷はもっとずっと縁遠いものだったのに。

どうにしろ、その時は愛玩的な意味合いを見出すことさえもできなかった。

死ねばいいと思った。

 

はてダを読んだ時は、もう少しは冷静になれていた。

書き手が冷静に俯瞰していた影響が大きいと思う。

なるほど子供を動物のように扱うことは決して少ないことではない。そのうち何が人間的で何が動物的と感じるかは文化によるものだ。それは決して普遍的なものではない、と。

たしかに自分ではそれが常識だと思っていたものが、世間一般では必ずしも認知されていないということは少なくない。

でも、

それは「文化の違い」というよりも、単に無知によるものじゃないかと思えた。

だって、紐でつなぐっていうんだ。

それは家畜とか、奴隷とか、人外に対する行為じゃないか。

利点があるとかないとかいうレベルじゃない。

人間の尊厳の問題だ。

紐でつなぐという行為は、あまりに象徴的すぎる。

そうした教養の欠如を「文化の違い」で片付けていいのか。

 

そして、はてなブックマークに付けられたコメントでは、まさにその「文化の違い」を知らしめられた。

多くのブックマーカーがハーネスの意義を説いていた。

手をつなぐよりも子供の自由度は増している、実際に子供が手をつなぐよりもハーネスを望んでいる、子供の安全のためには不可欠だ、という。

えっ!?なんなのこれ?俺がおかしいの?

たしかに子育てとかしたことない。その大変さがわからないんだと言われたら返す言葉もない。

でも、だからって子供の人権を踏みにじっていいものだろうか。

もしかして俺の考えは、親学のそれとかわらないのか?

そう考えると、ハーネスを嫌悪するのは迷信じみているかもしれない。

たしかに繋がれることに実害はない。子供も嫌がっていないし、親に悪意もない。利用したほうが合理的だ。

 

なんだか人間とか文化とかわからなくなった。もとからわかっていたわけじゃないけど。