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見てきた感想

はい。

chikada.hatenablog.com

というわけで早速見てきました。やはり既報で褒められているところは褒められるべきだったし、けなされているところはけなされるべきだった。近年の日本映画を代表する作品かと問われれば首肯しかねるが、最高のB級映画だったとは言っていいと思う。私は好きだ。すごく面白かった。ネタバレになっちゃうけど、ラストでゴジラが親指を立てて溶解炉に沈んでいくシーンは涙無しには見られなかった。
 
ほんとストーリーは糞だった。増田でも既出だけど、一切どんでん返しのないストーリー展開ははすがにどうかと思った。2週間というゴジラの活動停止の長さもあまりにご都合主義が過ぎるように思える。血液を凝固させることで体温の冷却を抑えて活動を停止に追い込む作戦だったはずだけど、凝固させることで温度上昇でなく凍結したのがよくわからなかった。ゴジラの生体リズムまで判明しているのなら、核兵器を利用するよりも、もう1ターン待って矢口プランを確実に成功させるよう各国を説得すべきだし、それは不可能ではなかったんじゃないだろうか。
だけど、その糞ストーリーであっても一切退屈させない緻密な演出プランは素晴らしかった。それは官僚体制や暢気な大衆への皮肉をユーモラスに描いた描写であり、それを象徴的に見せるための過剰なキャラクター設定であり、それを引き立てる大袈裟な演技だ。そうした過剰な演出こそがこの映画の見せ場であって、それゆえ『シンゴジラ』は大作ではなく、B級だと言える。よほどのファンでもなければ、別に映画館で見なければならないような作品ではない。家で寝転がってDVDを見るのでも十分楽しめる。むしろああだこうだ言いながら見るほうが楽しめるのではないか。それができないから、みんなこぞってネットにレビューを書き込んでいるんじゃないかしら。
大作映画だと勘違いするからゴジラの風貌やCGにも違和感が出てくるが、はじめからB級映画なんだと思えば特に気になることもない。しかしどうしてB級映画にこんなに予算が集まったのかという疑問だけはいつまでも残る。

あともはや映画の感想じゃないけど、シンゴジラage「邦画」sageの人はもっと邦画をちゃんと見てほしいなと思う。たぶんTVCMをしているような映画しか見ていないんだと思うんだ。でも私の好きな、そしておそらくは彼らも好きな、邦画はそんな広告予算を持っていない。まずはゲオか、近所のレンタルビデオ屋に向かってほしい。そこで邦画旧作ランキングを見る。知らないタイトルだけど上位にいる作品があったら名作である可能性が高い。それが好きなジャンルであったなら是非一度見てみてほしい。でもその時には、過度に監督で選ばないでもらいたい。たとえば私は行定監督作品が好きなのだが、彼の予算の付いたメジャー作品は概して面白くない。企業もそれなりの思惑があって映画に出資しているのであって、そうした作品では監督の意図に沿った形で映画を作りにくくなってしまっているからではないかと思っている。だから、もし面白くないメジャー作品で監督を評価してしまっているのだとしたらもったいない。もっといい作品がいっぱいある。『シンゴジラ』が面白かったのだって、現代日本社会というコンテキストを共有していたからだと思うんだ。コンテキストが共有できていないと、あのユーモアは伝わらない。私が邦画を好きなのは、海外作品では難しいそうした機微を楽しむことができるからだ。

『シンゴジラ』感想

anond.hatelabo.jp

 

実は私もまだ映画を見てないんだけど、いろんな感想を見るにつれて、だんだんと気になってきている。公開当初はネタバレを忌避するレビューばかりだったので、サスペンス要素の強い作品なのかと思った。だけど、情報が増えるにつれ、どうやらそうではないらしいことがわかってきた。そんなに奇抜なストーリー展開ではないし、その出来を高く評価する声もあまり見ない。では何が良かったのか。それは、官僚制社会の風刺だったり、311の引喩だったり、過去作品のオマージュだったり、そうしたオタク心をくすぐる要素が上手く花開いたんだと思われる。なるほど、これはたしかに気になるが、しかし私に刺さる作品でもなさそうであり、わざわざ劇場で見る必要はないなと悟った。実際シンゴジラを絶讃するのはガルパンおじさんばかりじゃないか。ガルパンも劇場版は未鑑賞だが、テレビ版を見る限りではさほど高評価すべき作品とも思えず、彼らとは趣味が合わないと言わざるを得ない。
しかし、それでも気になる。気になるのは、zeromoon0さんが賞賛していることであり、そして何よりneji-koさんまでもが賛美しているからだ。「シン・ゴジラ」を観に行きました - カリントボンボン この記事で私の中のシンゴジラ像も修正を迫られた。
 

私は「好きなもの」を描いた作品が好きだ。たとえば私の好きな映画に『アイデン&ティティ』という作品があるが、そこでは主人公の敬愛するボブディランが、彼の苦悩に対する道しるべとして登場する。彼が困ったときにはディランが現れ、ハーモニカの音を通して彼に語りかける。ディランは必ずしも正解を明かしたりはしないが、彼の悩みに真摯に向き合い、疑問に答え、導こうとする。逆に言えば、彼の目指す道は常にディランであり、ディランとはそれほどまでに大きい存在なのである。その映画を見て感動し、私もディランを聴いてみたが、そちらは私の好みには合わなかった。合わなかったのに、『アヒルと鴨のコインロッカー』を見てはまたディランを漁り、再度撃沈した。
好きなものを描いたものが好きだというのは、私が積極的に『シンゴジラ』のレビューを読んでいる理由でもある。かつてテレビが世に出されたとき、世界の映像がテレビ放送に流されるのでもう旅行に行く必要がなくなると宣伝された。50年後インターネットの出現においても近い文句が叫ばれた。しかし、そうはならなかった。世界各地の情報が飛び交い、容易に集めることが可能となっても、旅行の意義は少しも失われていない。実際に自分の目で実物を見ることと、他の誰かの目を通して、編集を通して見ることはまったく違うことだからだ。それは同時に、編集を通して見ることが、必ずしも実物を見ることの劣化コピーではないことをも意味する。第三者の解釈を経ることで、一人では気付けなかった見方があり、発見があり、感動がある。ときに誇張され、美化され、虚実の入り混じった描写が、その原風景を想像することが、私を楽しませる。
 
『シンゴジラ』の話題に戻ると、ゴジラのSFXについて、立派だ迫力があるという声と、ショボい低予算らしいという相反する声が挙がっているのは気になるところであり、これは近い将来確かめないといけないとは思っている。おそらくは主に海外映画を見る人にはショボく感じられ、普段映画を見なかったり、逆に低予算映画を見漁っている人には立派に見えたのではないかと想像できる。どんなにショボかったとしても、『アイデン&ティティ』のディランほどではあるまい。あるいは、予算を抑えながら迫力を持たせる何らかの工夫された演出がなされたか。もしそうだとしたら、それはかなり気になる。
 

中華鍋が錆びたので、ラーメンを作った話

底が丸くなっていないので中華鍋と呼ぶことが本当に正しいのかよくわからないけど、面倒くさいので便宜的に中華鍋と呼ぶ。
そいつが最近錆びついてしまっているんだ。麺を茹でるのにしか使っておらず、油も通していなかったんだから仕方ない。よし、それじゃあ油を使おう、ということでまず鶏皮から油を絞り出した。適当に刻んだ鶏皮を中華鍋で炒める。もっと放置ゲーなのかと思ったけど、意外と鍋にくっつくので箸で炒め続ける。本当はもっとカリカリになるまで出し尽くすんだろうが、面倒くさくなったので鶏皮を取り出して、今度は細切りにした長ネギを入れる。こちらはすぐにしんなりとし、やがて色が変わってきたので、味覇とめんつゆとチューブのにんにくを投入。グツグツしてきたら水で薄めて伸ばす。これをラーメンのスープとする。
両手鍋にお湯を沸かす。コンロが一口しかないので同時並行ができない。沸くまでの間に鶏ハムに限りなく近い何かを切る。最近は鶏に塩を揉み込んだりそれを洗い流したりするのが面倒なので、保存バッグでめんつゆに漬け込み、バッグのまま加熱しているので、鶏ハムによく似てしかし少し違う何かになっている。沸いたら麺を茹でる。細麺なので1分で茹で上がると書いてあるが、再沸騰するのに1分じゃすまない。試しに1分くらいで試食してみるが、やっぱりまだっぽい。もう少し大きい鍋がほしいところ。茹で上がった麺をざるにあけ、先ほどのスープを温めなおす。丼に麺を盛り、鶏を乗せ、スープを注いで完成。

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味は間違いないんですよ。味覇とめんつゆっていうもう完成された味に、鶏とネギの旨みが加えられているんだから、美味くないわけがないんですよ。ただ、コンロが一口しかなかったり、丼が小さかったり、それらを見越した調理ができなかったり、もっと具体的に言えば、丼の底で麺がくっついて固まってたのが失敗だった。

 

あと関係ないけど、自炊における最近の気付き。

  • 麺は余熱で茹でれば十分は嘘。とても残念な茹で上がりになった
  • キャベツスライサーはあまり力を入れずに軽く刃に当てれば比較的薄くスライスできる
  • ダイソーの糞でかいザルがあるとキャベツスライスが1000倍捗る
  • ミネラルウォーター買うよりも水道水で麦茶作ったほうが低コストで満足感高い

ミニマルなあれ

近くに用事があったので、涼みがてら竹岡雄二展を見てきた。最近は本さえろくに読んでおらず文化から遠ざかっていたけれど、これで憲法に定められた国民の義務である健康で文化的な最低限度の生活をこの夏もどうにかこなすことができた。どうでもいいけど、「埼玉県立近代美術館」を「MoMAS」って略すのはちょっとどうかと思った。

 

youtu.be

 

結論から言えば、最初から最後まで意味がわからなかった。どうやら聞くところによると、台座なのにその上に何も作品が飾られていないというシュールさが笑いどころであり、作品の飾られることのないこれは本当に台座と呼んでいいんだろうかという不条理ギャグが売りらしい。それはちょっとレベル高すぎるだろ……。一緒になったおばちゃんグループなんかは、台座や空っぽのボックスには目もくれずに、作品の構想を描いたスケッチや、美術館備え付けの展示ケースに並んだ竹岡氏所蔵の(作ではない)古い工芸品ばかり見ていたじゃないか。てかスケッチ見たんだったら主たる展示作品がどれなのか気付けよ。
だいたいからして、作品を見せるための台座じゃなくね? なんで台座がオレンジとか金とかなの? 目立ちすぎだろ。お前が主役じゃねえんだよ。壁に吊るされた台座は、台座自体が目線の高さにあって、その上に作品が置かれるとしたら高すぎて見えない。床に並べられた7つの台座は、おそらく人間大の彫像が配置されることが想像できるが、だとすると台座同士が近すぎて大きな像の展覧には窮屈だ。台座それ自体が美術作品だというのならわかる。でもそうじゃないじゃないか。"作品がない"空間を見せること、そこから何か感じ取ることを意図してのものだったはず。"作品がない"ことの違和感を示すためには、"作品がない"こと以外は完璧な状態が築かれているべきじゃないんだろうか。デュシャンの「泉」が美しい工芸品ではなく市販品であったことに意義があるように、台座だって作品があってはじめて成り立つものでないといけないはず。でも展示の意図としてはそうじゃないみたいでよくわからないんだ。

 

www.pref.spec.ed.jp

融合望む大チェッカーかっぇ地位ダム園烏合湯(回文)

feedlyを整理していて、そういえばはてなの作るRSSリーダーである大チェッカーが、はてなブックマークと融合した云々みたいな話があったなあと思い出したので、ほしい機能を書いてみる。大チェッカー使っていないので、既に実装済みだったらごめんなさい。私の中で大チェッカーは、RSSを吐いていないサイトでも使えることと、作ったリストを公開して共有することがてきることくらいが目立った特徴という印象。



まず欲しいのは、○users以上のブックマークが付いたものだけを吸い上げる機能。たとえばニュースサイトとか、匿名ダイアリーでもいいけど、一日に膨大なページを更新するサイトを全件読み込んでいたら、フィードが溢れてしまって読み切れない。タイトルを見て気になったものだけ読もうとしても、読みたかった他のブログのフィードを見落としてしまいがち。タグを使ったり、複数のリストを使い分けたりすればいいのかもしれないけど、一括管理できたらそのほうが便利。現状としては、サイトではなくはてブの吐き出すRSSを利用することで、同じことはできているんだけど、それだと元ページのフィードは読み込まれないので、もう1クリックして元ページを開かなければならない。それに、RSSリーダーの機能で搭載されれば、閾値の変更がずっと楽になってくる。たとえばサイトのブクマ数が増えてきたから閾値をあげたり、来週はゆとりがあるから閾値を下げてたくさん読んだりとかも簡単にできるようになる。

もうひとつ欲しいのが、未読ブックマークをRSSリーダーに送る機能。よく知らないけど、大チェッカーで読んだフィードをはてなブックマークにアウトプットする機能はきっと既にあるものだと信じている。そうじゃなくて、逆の機能。ソーシャルブックマークは、実際の使われ方はさておき、webページをストックすることに優れている。RSSリーダーは反対で、今この時の情報を読むためのツールだ。ならば未読ページは、ブックマークで保存するよりも、リーダーに読み込ませるべきではないか。ブックマークではわざわざ「あとで読む」タグを開かないと未読ページを読むことはできないが、RSSリーダーでなら、他のフィードを読むのと同じ流れで読むことができる。必ずしも「あとで読む」と連動させなくても、リーダーにアウトプットする機能があればそれでいい。読んでいないぞと勝手なタイミングで通知が届くよりも、こちらの読みたいときに他の読みたいフィードと一緒に並んでいるほうが、ずっと気分よく未読を消化することができると思うんだ。
今日思い付いたのはこれくらいかしら。

寝て起きたらまたお仕事めう

ちょっと前からひなビタの過去ログ*1を追いかけていたんだけど、さすがに疲れたし、もういいかなと思っている。ひなビタとは日向美ビタースイーツ♪とそれを取り巻くプロジェクトのことで、単に「日向美」と「鄙びた」のもじりだと思ったけど、「日向美ビタースイーツ♪」の略称でもあったことに気付くのにはかなり時間がかかった。

 
ことの起こりとしては、まずはてな匿名ダイアリーちくわ生産における疑問を投げかけた記事が書かれる。それに対してブックマークコメントでは多くの知見が集まった。さらにはてなハイクでは考察が進められ議論が深まっ太郎。そんな中で詠まれたハイクだった。
zeromoon0

zeromoon0 主催者 CommentsAdd Starkirte (green)hungchang (green)taihec_shiikahungchang

ちくわと言えばちくパに決まってるめう

はいはい、萌え萌え。めうってあれでしょ?騙されて社畜ってるかわいそうな子でしょ?知ってる知ってる*2と思っていたけど、人違い、そうじゃないよ、いきなり恋してしまったよ、夏の日の君に。*3
再生して気付くのは、圧倒的な頭のおかしさ。もちろんタイトルの時点でおかしくて、その通り頭のおかしい歌詞が連なるんだけど、問題はそこじゃないんだ。これ、曲がおかしいよね。私が音楽に詳しくないから上手く表現することができないんだけど、メロディーがどこ行ってんのかもよくわからないし、拍なんか完全に行方不明だよね。それがこの勢いで進行していくとか、いくら何でもレベル高すぎるだろ。この歌が好きとか嫌いとかそういう問題じゃなくて、"なんだか得体の知れないすごいものを聞いてしまった"という感覚。これほどまでに良い意味でぶっ飛んだ曲に、良くも悪くも頭おかしい歌詞が付いちゃっていいものなのか。こんな狂った歌のために、これほどの才能が使われてるってすごいことじゃないか。そういう感動があったわけで。
それでひなビタを多少漁ってみたんだけど、当然あそこまでとち狂った曲はなかなか無かったという話。あんなのがゴロゴロ出てきても困るんだけど。基本的にめうの曲はほどよく電波で良い感じではある。

批判面倒くさい

すべて間違いが反駁されるべきかといえば、決してそんなことはない。そんなことはないんだけど、ほとんどが好意的なブックマークコメントで占められているとやはりもやもやする。お前ら疑似科学には大喜びで石を投げるのに、デタラメな日本語解説は放置するんだな。まあ、放置するというよりも、わからないんだろうな。本当かどうか知らんが、はてなユーザーには理系が多いらしい。疑似科学の誤りには気付くことができても、文法の誤りには気付けない。そういうことなのかもしれない。
 
じゃあお前が指摘しろよという話なんだろうけど、正直面倒くさい。別に俺も日本語とか詳しくないし。いちいち調べて根拠を示すだなんてやってられないわけですよ。前に書いた「過去形」批判くらいだったら調べずにも書けるけど、あの程度のことでも何もわかってない馬鹿がいちゃもん付けにやってきた。たしかに助動詞「た」が「過去」ではなく「確認」の意味で使われていると断定したのは私の言い過ぎだった。もしかすると「過去」の意味で使っていた可能性もある。その点だけは私の瑕疵だった。だとしてもだ。日本語の活用に「過去形」が存在しないことは明確な事実で、たとえ「た」が過去の意味だったとしても、あれは連体形である。過去形ではない。そんなのは中学国語の範疇だ。頼むからそれくらいのことわかってくれよ。忘れていても、指摘されたら理解してくれよ。元素記号とか三角関数がわからないというのと同程度じゃないか。
 
そう考えるとNATROMさんとか本当すごいよ。あの人どんだけ丁寧に説明し続けているんだよ。俺程度の教養しか持ち合わせていない人間にも十分理解できるように、しっかりと論拠を提示しながら解説してくれるんだから素晴らしい。どれだけ馬鹿に嘲笑されても、力強く語り続ける姿勢は本当に頭が下がる。俺でも十分理解できているというのは少し話を盛ってしまったところがあるかもしれない。本当はちょくちょくわからないところもある。
よくよく思えば、疑似科学だってきっちりと論理立てて批判しているのはごく少数の人たちだな。大半の人たちは、ただ文句を言い、嘲笑するだけで、理解しているのかどうかも定かでないイナゴに過ぎない。デタラメな日本語解説が跋扈するのも困るが、かといってイナゴが飛び交い田畑を荒らすのも考えものだ。モヒカン族の再興が待たれる。