解釈するしかない

世の中だいぶ涼しくなり、過ごしやすい日々がやってきた。これなら歩くどころか、走ることだってできそうなものだけれども。でもいつ雨が降り出してもおかしくない天気だし……。

 

欧米各地でcovid-19の感染の再拡大が起こっていて、仏では規制を強めたりという動きもあるようだけれど、英米などでは消極的な印象が強い。もう都市封鎖なんてしたくないという強い意志を感じる。気持ちはわかる。

欧米がその様子なら、我が国がそれに続かないはずがない。なにせ我が国は先進国では有数のレベルで感染を押さえ込むことに成功しているのだ。*1 欧米よりも厳しい措置を執る理由がない。

 

おそらくは、今春の措置は大袈裟だったということなんだろう。たしかにそういう部分はあったとも思える。我々は未知の感染症に対して、リスクを過剰に見積もっていたのかもしれない。あるいはリスクがどの程度であるかもわからないままではリスク評価もできないので最悪のシナリオを想定せざるを得なかったが、リスクを数字で把握できるようになり、リスク評価が可能になった、と言ったほうがより正確なのかもしれない。死亡率数パーセント以下で、それも医療によってある程度抑えられる感染症に対して、数千万人の自粛を求める必要があったのか。なかった、と言えるほどに明らかになっていない事実は多く、また仮にすべてが解明されたとして明確な解答は存在し得ない。*2 だけれども、過剰だったという意見が出てくることそれ自体は自然なことだと思える。

けれども誰も言わない。春の対応は過剰だったと誰も言ってくれない。「誰も」というのは大袈裟で、そう言っている人もゼロではないけれども、「コロナなんてただの風邪」と言っていた人たちくらいなものだ。あるいは、「コロナはもう終わった」という人なら少なくない。もう安全なんだと、よくわからない主張をする。この無根拠な主張は本当に怖い。これなら無視すべき低リスクだと主張し続けてきた人たちのほうがよほどまともに思える。

 

私が欲しいのは為政者による説明だ。何故感染拡大を促すような施策を進めるのか。それは今必要な措置なのか。我々はまだ怖がり過ぎているのか。それとも本当にコロナ禍は過去のものなのか。そういう話が聞きたい。

とはいえ実際のところ、そんなことを言おうものなら命の軽視だなんだと叩かれることは目に見えている。曖昧にしておけばそれで済むことを、明言しては文句を言われるとわかっていることを、それでもわざわざ明言する人なんていないだろう。

そういうところだけは菅直人が評価できた。彼も結局は言わなくてもいいことを言って、不当に叩かれて沈んだ。不当な批判は少なくない。でも何が正当で何が不当かもまた主観でしかない。直観が欲しい。

*1:先進国は欧州に偏在しており、アジアでは標準的な死亡者数(人口あたり)

*2:健康(あるいは人命)と経済(こちらも人命に係わり得る)という異なるものを天秤にかけるので、答えが定まることはない。