この前、Twitterでも書いた件。
ネットにたったひとつデマがあると、それを見た人が「本当はそうだった」と思い込んでしまい、何故か根拠のない説が広まる問題ある。
— 近田(うし) (@chikada06) 2019年12月17日
「夜爪を切ると親の死に目に会えない」っていう昔からの言い伝えみたいなものがあって、ここで「親の死に目に会えない」というのは、ただ臨終に立ち会えないというだけではなく、親よりも先に死んでしまうからという意味だというツイートがあった。ネットで調べて知ったという。*1
そんなことあるか?と思うわけで、ググってみる。
まず、「死に目」。
コトバンクはデジタル大辞泉と大辞林による意味が掲載されていて、どちらも「死に際。臨終」とされている。*2 表記ブレはあるが、どちらも「親の死に目に会えない」を用例としている。用例としながら、「親よりも先に死ぬことを示す」というような解説は記されていない。
デジタル大辞泉では、「夜に爪を切ること。親の死に目に会えないとして忌む俗信がある」とされる。死に目に会えないの解釈に関する記述は無い。
大辞林の記載は、「夜に爪を切ること。親の死に目に会えないなどといって忌まれる」となっている。やはり注釈などは無い。
精選版 日本国語大辞典の掲載もあり、「夜、爪を切ること。「世を詰める」として、これを忌みきらう俗信があり、親の死に目に会えないなどという」と記されるが、ここでも親より先に死ぬなどの記述は見られない。
ではインターネットで調べたという「自分が親より先に死んでしまう」の意味はどこで見られるのか。
「死に目に会えない 意味」でググると出てきた。
「死に目に会えない 意味」でググるとGoogle先生が出すのが過ちの原因かと思われる。そのページでは、インターネットで調べてわかったと書いてあるが、その出典は記されていない。https://t.co/MpxJbpHYM1 pic.twitter.com/gA3RZp6yec
— 近田(うし) (@chikada06) 2019年12月17日
ずっと「親の死に目に会えない」という言葉は、「そんなことをしていたら親の死に目に会えないぞ」と言って、人を戒める言葉だと思っていた。つまり、親が「臨終の時=息を引き取る瞬間」に立ち会えないことだと…。
ところが、調べてみるとそうではなくて「親より先に死んでしまう」という意味だった。インターネット環境が進歩して、家でも職場でも常にネットにつながる生活なので、疑問に思った瞬間に調べることができるので、そういう覚え間違いというか、勘違いに気づくことが最近はよくある
このブログ記事は、自分が親の臨終に立ち会った経験を描いたものであり、「親の死に目に会えない」という日本語表現が主題ではないようで、「親の死に目に会えない」に関する記述は上記部分のみ。根拠となるリンクや出典は皆無だ。ブログ記事の書かれた2012年8月以前にはインターネット上に何らかの情報源が既にあったということだけがわかる。
同じく2012年の別のブログ記事にはこんなものもあった。
この「夜中に爪を切ると親の死に目に会えない」の由来にはいろいろな説があります。
Wikipediaによると、"様々な諸説があり、はっきりとはしていない"としていますが、「夜爪→世詰(世を詰める)」という言葉遊び(?)的なものという説が書かれています。
おせち料理の意味 ~海老、昆布、栗きんとんなど24種~でたくさん紹介しましたけど、昔の日本人は言葉遊びというか、ダジャレというか、ゲン担ぎみたいなものが好きでしたし、私はこれが最有力だと思っていました。
あと、この「親の死に目に会えない」はそのまんま親の臨終に立ち会えないという意味だと昔は思っていたのですけど、自分が先に死ぬから死に目に会うのは不可能って意味だったんですよね。世詰説を聞くまでは勘違いしていました。Wikipediaによれば「夜中に爪を切ると早死にする」というバリエーションもあるそうで、こちらはそのものズバリです
ここにきて納得が得られた。やっぱりまたWikipediaかと。
Wikipediaの迷信の頁には、「夜に爪を切ると親の死に目に会えない(夜に爪を切ると「夜爪(世詰め)」といって早死にする)」という記述があり、これは2006年5月に記されてから2019年12月現在まで編集されることなく残り続けている。*4 *5
ではこのWikipediaの記述がデタラメで、それがあたかも真実かのように広まってしまったのか、と言えば必ずしもそうとも言い切れないから面倒くさい。
この「夜に爪を切ると親の死に目に会えない(夜に爪を切ると「夜爪(世詰め)」といって早死にする)」という記述、ふつうに読めば、括弧の中は「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」の言い換えだと思うだろう。
だけど括弧の意味するものが対比であれば間違いとは言えない。
『故事・俗信 ことわざ大辞典』(小学館 1982)p.1207に、「夜、爪を切ってはいけない」は“各地で言う”とあり、他に、夜に爪を切ると「親の死に目に会えない(各地で言う)」、「牛の爪になる(和歌山県)」、「思う事が叶わない(山梨県)」、「怪我をする(青森県)」、「盗賊が入る(千葉県上総地方)」、「長病気する(石川県)」、「早死にする(福島県)」「夜道が怖い(京都府)」など地域によって異なる俗信として多数列挙されている
夜爪は各地に伝わる伝承であって、そのバリエーションは様々ある。
Wikipediaの記述も「夜に爪を切ると親の死に目に会えない、または「世詰め」といって早死する」という意味だと読むこともできる。
最もメジャーな伝承を記したところに、それとは少し異なるものも括弧書きしたとして、それは必ずしも間違いではない。
そしてその記述を対比でなく言い換えだと受け取っても、それを責めることは自体はなかなか難しいが、
しかし「死に目に会えない」とは本来「親よりも先に死んでしまう」という意味であっただとか、「死に目に会えない」のは親より先に死んでしまうからだとするのは、やはりどう考えても間違いだ。*6
どうやら我々の脳は、既知の情報を一旦共有した上で、それは実はこうこうなのであるという情報の上書きに対して、あまりに脆弱なようである。
Wikipediaがデマの温床となりがちなのはある程度仕方がない部分はあるにせよ、今回はWikipediaに当たってさえいないままに、素朴に信じている人が多そうなのも怖いところ。
医療などの分野に関しては、命の危険につながることもあり、インターネット上での誤った記述に関して度々反駁がなされているけれども、人文科学分野に関しては稀だ。
たしかに民間伝承がどのような意味を持つかなんて間違って伝わったところでただちに影響はない。
だけれども言語や伝承、生活様式などの分野の厄介なところは、多くの人が間違った情報を信じて、それを使い続けると、かつて間違いであったもののほうが新しい真実に変わってしまうことだ。
多くのビジネスマナーがここ10数年で捏造され、江戸しぐさなんて文科省が採用するに至った。
我々の知性はいったいいつまで敗北し続けるのか。
*1:マルキン on Twitter: "爪を切っててふと「夜爪を切ると親の死に目に会えない」の迷信を思い出しネットで調べてたんだけど、その理由はともかく後半の「親の死に目に会えない」というのは「親が死ぬ時に自分が立ち会えなくなる」ではなくて「自分が親より先に死んでしまう」って意味だったのね。ずっと勘違いしてた。"
*6:私が知らない、見つけることもできないだけで、「死に目に会えない」という言葉が「親より先に死んでしまう」意を持っていることを100%否定できる証拠があるわけではない。現状として間違いだとしか考えられないに過ぎない。