消化できないというか、開いてもいない。最近まともにネットを見られていない。増田とPawooばかり見ている気がする。あとはパズドラか。今さらに社内でパズルアンドドラゴンがブームを起している。ほそぼそと続けている人は多かったんだろうけど、それを宣伝する人が出始め、かつてやっていたのを再開する人が現れ、私もこの春に初めてインストールした。なるほど、これは面白い。パズル自体がとても面白いかといえば、決してそれほどではない。ゲーム自体の面白さでは、ゴシックは魔法乙女のほうが優れている。優れてはいるんだけど、育成的な部分が面倒くさい。その面倒くささから、今ではほとんどログインしていない。アプリの動作が重たいことも難点だった。同じ理由でアイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージもアンインストールしてしまった。その点、パズドラは軽くて扱いやすい。スタミナの回復が早い。キャラクターのBOX拡張がしやすい。ガチャが当たりやすい。まったくの初心者を対象とした解説サイトが充実している。などのメリットがあり、ゲーム以外の部分がさほど苦にならずに続けられている。
攻略サイトの解説は本当に素晴らしい。gamewithやgame8などのサイトでは、知りたい情報が逐一丁寧に記されている。わからない用語や、別のキャラクターが出てくるときにはしっかりと、その解説ページへのリンクが貼られている。こうした丁寧な仕事がソシャゲの攻略サイトに費やされてしまっているのが残念に感じられるほどだ。しかしよくよく思い出してみると、あの頃優秀な技術者やその志望者をどこよりも高い報酬を支払い囲い込んだのはソシャゲ業界だった。もはや話題にはならないが、その傾向はきっと今でも続いていることだろう。それだけソーシャルゲームは儲かるということであり、その関連分野で"もっと社会に必要とされていそうな分野"よりも丁寧な記事が作られていても当然なのかもしれない。"もっと社会に必要とされていそうな分野"よりも実際にはソシャゲ解説のほうが社会に必要とされているということだ。資本主義の原理で考えるとそういうことなんだろう。
たとえばハリウッドで大きなお金が動くことにはあまり違和感を抱かない。世界最高峰の技術が集結していることも当たり前のように感じられる。プロスポーツであってもそうだろう。行政はスポーツ振興にもっと予算を注ぎ込むべきだという意見を見ることさえある。しかし、ゲームは違う。同じエンターテイメント産業でありながら、どうしたわけか受け取るイメージが大きく違ってくる。ゲームは害悪だとされることまである。ただ観賞するだけの映画やスポーツと比べると、自ら考えて操作するゲームはよほど能動的・創造的であるのに。さらにはゲームの中でもソーシャルゲーム、モバイルゲームの立ち位置はさらに低いところにありそうだ。そういうデータがあるわけではないけど、そんなイメージがある。どうしてソシャゲの社会的評価はこうも低いんだろう。「どうして〇〇だろう」と書くと、あたかも「なぜならば~と続きそうなものだけど、そんな答えは持ち合わせていない。個人の日記レベルではない。個人の日記なのだ。
もう少し日記らしいことを書くと、鶏をカレー味で煮たものが美味しい。材料は、鶏もも肉、粉末のカレールウ、偽味覇のみ。結局カレー味には敵わないのかという悔しさはあるけれど、しかしこれは旨みが凝縮されて、下手なカレーよりよほどウマイ。皿に盛った上に刻みネギを散らすとそれだけで格別である。スライサーで長ネギを散らすとすごく手軽に料理らしさが出るので最近のマイブームになっている。