本当は1000円くらいの店で済ませたかったんだけど、うっかり入ってしまった。たしかケバブは400円から可能で、その看板を見て、店内を覗いてみたら店員さんと目があってしまったので覚悟を決めた。
店内はさほど広いというわけでもないけど、ゆったりとした作りだった。カウンタに数席と、4人掛けのテーブルが4つ、奥にもうひとつ大きなテーブル席がある。ゼンショーならその倍の席を作っただろう。夕方まだ早い時間だったこともあり、客は他にいなかった。あと、先に書いておくけど、画像は無い。そんなものは店名を検索すれば出てくるはず。店のオフィシャルよりも食べログが上位表示されるのは残念だけれども。そのオフィシャルのページに顔出ししている店員さんに接客される。彼がオーナーなのかしら。キッチンでは別の人が調理している。
彼はいくらか訛りはあるものの、十分に流暢な日本語を話す。私がメニューを開くと、ケバブはビーフとラムが終わってしまってチキンしかないのだと申し訳なさそうに言う。そこらにあるエスニック料理店のいい加減な接客とは一線を画するものだと思えた。それではと、私はチキンケバブと、タマゴサラダに、ドリンクを注文する。すると今度は、タマゴサラダも切らしてると言う。じゃあスモークサーモンサラダでと言うと、それも無いと。昨日パーティーがあり使い切ってしまって、明日は休みなので、と。なるほど、わかるよ。それもわかるんだけどさ、正直に言ってしまうと、店の都合なんて知ったこっちゃねえよって話だよね。今何時だと思ってるんだって。こんな時間から商品切らしてるんだったら店なんて開けてんじゃねえよって。素敵接客じゃなかったらそう思ってるところだった。仕方がないからマッシュルームとなんだかのサラダにした。
まず飲み物が来てから、サラダが出された。サラダは小さめな鉢にこんもりと盛られていた。安くない値段だったけど、十分な量がある。遠目にはグリーンサラダのようでもあるが、口に入れるとマッシュルームの香りが広がる。しっかりとしたマッシュルームが使われているのがわかる。ドレッシングはかけるだけでなく、しっかり和えてあるのも嬉しい。
最後にケバブが提供される。肉を増量で頼んだんだけれど、想像していた以上の肉量で出てきた。大口を開いたピタにはこれでもかというほどの肉が詰め込まれている。ああもうどうやって食べたらいいものやら。包み紙を動かしながら無理やり口にほおばる。今書きながら変換候補に「頬張る」と出て、なるほど「ほおばる」とは「頬張る」なのかと気付く。そうすると「口に頬張る」はいくらかおかしな表現かもしれないななどと考える。ケバブはかなりのボリュームだ。これだけの肉を食べているんだから当たり前だ。チキンだからよかったけれど、これがラムだったらしつこかったかもしれない。逆に言えば、チキンは肉増しでちょうどいいという可能性もある。比較できていないので実際のところはわからない。ひとつわかることは、このケバブはうまい。
特別に秀でているわけではないけれど、エスニック料理の店で、味と、ボリュームと、接客がどれも揃っている店は珍しい。コストパフォーマンスも悪くない。このバランスの良さは貴重だ。一品のボリュームが十分なので、何人かで行って分け合いながら食べるともっといいんだろうな思えた。
店とは関係ないけど最近思うのは、ほおばる、あるいはかじりつくという行為は、満足感に結びつきやすいんじゃないかということ。たとえば、から揚げってすごく美味しいんだけど、所謂フライドチキンであったり、手羽先やチューリップだど、普通のから揚げを食べているときとは違った幸福感が得られるような気がする。チューリップなんてだいたい大してうまくもないのに。それはたぶん、味の好悪とはまた違った何かが、脳に訴えかけてきているんじゃないか。何かわからないけどその何かプラスの信号が我々を幸福感に導く。私がケバブやハンバーガーを好きな理由もそこにあるのではないか。うむ? ケバブやハンバーガーを「私が」好きであり、多くの人がそうではないことを考えると、かじり付くことによる充足感は一般的なものではないということなのかもしれない。ううむ。