インターネット全体がまるで2ちゃんねるになってしまった

昨夜は出先でiPhoneをいじっていると、ロッテが今年の干支である「午」を「牛」と間違えていたというとても残念な話題がCrowsnestで流れてきた。
おいおい、あれだけの大企業がそんな馬鹿はしないだろう、と思ってGoogle先生に聞いてみる。すると、出るわ出るわ、いわゆるまとめブログの数々。同じ話題を取り上げているサイトだけで、こんなにもまとめブログが存在するのかと衝撃を受けた。
だけど、信頼できるソースがひとつもない。ロッテサイトへのリンクを踏んでも修正済みだし、修正前の様子は誰が上げたかもわからない画像からしか伺い知れない。きっともっと辛抱強く探せば、魚拓もあったんだろうけど、ロッテにそれほどの興味もなかったので私はブラウザを閉じた。
私が訴えたいのはロッテが馬鹿だということでも、糞アフィブログ死ねということでもない。問題はそれほど熱心に探さないと真偽の判定ができないことだ。
 
うそはうそであると見抜ける人でないと難しい
  
個人メディアが発展して、誰もが情報発信できるようになった。あの頃web2.0の目指した世界だ。
情報量は莫大に増えた。その結果、間違った情報は淘汰され、正しい情報だけが残ったか。いや、勝ち残ったのは消費されやすい情報だ。そこに真偽は関係ない。デマが生まれ、広められていく様子は何度となく見てきた。もちろんそれをたしなめる動きも見られるが、ゴシップ消費の速度にはとても追いつかない。web2.0的なものは、偽情報の淘汰どころか、むしろ拡散に有効にはたらいてきた。
情報の取捨選択は個人の手に委ねられる。選択肢が増えたこと自体は歓迎されることではある。でもそれは取捨選択できる(と自負している)人に限ったメリットだ。その判断ができない人はどうすればいいのか。一生Yahooトピックスを見続けるしかないんだろうか。