実はまだ近代が終わってなかった

最近気付いた。近代まだ終わってなかった。いい加減終われよ、近代。もう21世紀だぜ。

大戦後間もない頃からポストモダニズムの模索は始まり、70年代にはかなり台頭してきた。新しい音楽が、ファッションが、アートが生まれた。ヒッピーが流行り、キューブリックが活躍し、ジョンレノンが死に、俺が生まれ、ドイツは統一され、ソビエトは解体された。

もう近代は過ぎ去ったものだと思っていた。勝手にそう信じてた。
大量生産大量消費の時代は過ぎ、これからは少量多品種生産の時代なんだ、みんな一緒ではなく、個性の時代になるんだ、ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワンなんだと、そう言われてきた気がする。でも、そんな時代は来ない。ベルリンの壁が壊され20年経っても、WTCビルが壊され10年経っても。



たしかに資本主義と社会主義の対立は終わった。
でも東西対立は東欧を除いた旧陣営そのままに今も変わらず続いている。中東では対ソビエト工作のツケを払い切れないままだ。

大量生産大量消費も変わらない。
Appleも、SAMSUNGも、スケールメリットを活かした大量生産を繰り返す。ロングテールで儲けているのなんてAmazonくらいだ。それも圧倒的な物量があるからこそできるものだ。
誰もがTwitterを、Facebookを、LINEを使って何が個の時代か。巨人の力には誰も敵わない。規模の経済の前に、個人はひれ伏すしかない。

印象主義以降、多くの表現が現れては消えていった。
倫理哲学は功利主義の呪縛の中に留まり続けている。
構造主義を覆すポスト構造主義は未だ定まらない。
至るところに近代が棲んでいる。
マジ近代しぶとい。