とりあえず叩ければなんでもいいイナゴたちが論点をゴチャゴチャにしてしまっている印象もある。
わかるよ。言いたいことはわかる。たしかに家族を摩耗させてしまうのはDVとかわらない。
でも、それは例えだし、想像だし、枝葉末節だ。
実業家としての渡邉氏が非難されるのは、徹頭徹尾労務問題なんだ。
ワタミは従業員に相応の給与を与えず、「幸せ」とか「ありがとう」とかを与えているという。
たしかに私はそんな会社では働きたくない。
だけど、そんな会社があったっていいんじゃないかと思う。
「人はパンのみにて生きるにあらず」とはいうが、仕事の報酬は必ずしも給与だけではない。福利厚生もそうだし、仕事のやりがいを挙げる人も少なくない。
そのひとつに「幸せ」や「ありがとう」があったっていいはずだ。
そうしたものが報酬として成り立つかどうかは市場が決める。労働市場に支持されているのなら、ワタミが責められるべきではない。
それでもワタミが責められるのは、あくまで支払われる賃金が法に準拠していないからだ。
ワタミは宗教だとも言われる。
たしかに経済的なことより、道徳的なことを多く説く彼の姿は宗教家のものと重なる。
しかし、それならば尚更のこと彼の信条は保障されなければならない。
企業がどんな理念を持とうが、従業員が何を期待して働こうが、それは個人の自由だ。入社前に何度となく気持ち悪いビデオを見せられて、こんな宗教的だなんて知らなかったということもないだろう。
また、デフレ企業だとして非難されているのも見る。
ワタミの低価格商品が、低い給与水準がデフレ不況に拍車をかけているという。フォードが、GEが国民所得を押し上げたように、企業は従業員に給与で報いなければならないという。
でも営利活動を行う企業として他社との競争に勝利するため、商品価格を下げるのは当然のこと。給与を抑えて支出を減らすなんて当たり前のこと。
それがデフレを生むのは合成の誤謬であり、責任は企業でなく、政府こそが負うべき問題。
だから、経営者としての渡邉氏の負うべき責任は、労務問題に尽きる。
それも本人は認めず、行政の訴追などもない現状では疑惑に過ぎない。
で、だ。
一私人としての彼の責任はそれでいい。
だが彼が参院選に立候補し、政治家になるとなると話が違う。政治家に求められる責任は法令遵守では済まない。
彼が独自の哲学思想を持っていること自体は問題ない。
ただ彼の思想を国民に強要されるようでは困る。
それが一企業の理念に過ぎないのなら、嫌なら就職しなければいい、利用しなければいいという理屈も通る。
ところが一国の政治となればそうはいかない。
もし学校教育に導入されたらそれに抗うことはできない。インターナショナルスクールやフリースクールに通わせるというのはあまりに非現実的だ。
もし彼の経営哲学を推奨するような会社法や労働法が作られたらどうだろう。嫌でも他に行く先はもうない。
だから、彼が議員に立候補するという前提に立てば、説得力を帯びる批判も多くなる。
だけどその混同がチラホラ見えるのが気になる。
誰かワタミ問題の論点をわかりやすく整理してくれないかしら。