歯石をとった話

昨夏くらいから行けていなかった歯医者に今月からまた通い始めている。差し迫った痛みなどはないけれど、多くの虫歯が放置されたままなのだ。

それで今日は歯科衛生士による歯磨きの指導などが行われる日だった。通っている歯科ではそういう日を設けているのだ。

 

 

「うわーっ。すごい歯石」

しゃがれた声の衛生士さんは、口の中を見るなり素直すぎるリアクションをする。

「衛生士の指導久しぶりですか?」

通院自体が半年以上あいてしまっていたので、だいぶ久しぶりになる。

「あ、本当だ。随分あいてたんだ」

私の顔にはタオルを掛けられているのでわからなかったが、どうやら何かの履歴を見ながらしゃべっているらしい。

「前歯の歯石は取らないでって言ってたんですね」

そう言われて思い出した。前歯は歯茎が死んでいて、歯石を取ってしまうとグラグラと今にも抜けそうになるんだった。10年近く前に、別の歯医者で固定してもらってはいたけれど、それももう十分な強度を保てていない。

「でもこれは取っちゃいたいなあ。歯茎がかわいそう」

かわいそうってなんやねん。この人すごいこと言うなあと、自分のことではあるんだけど、どこか他人事にぼんやり聞いていた。

「このあとまだ時間ありますか? 歯石を取ってしまって、先生にまた固定してもらいましょう。ちょっと待っててくださいね」

えっ、歯科衛生士ってそこまでやるの?

たしかに専門職ではあるんだろうけど、それでも歯科医のサポートというのが私の認識だったので驚く。治療、という言い方をすると違うのかもしれないけど、その方針を歯科医師に提案して、周りを動かすようなことを歯科衛生士がやるとは思っていなかった。それもこんなしゃがれた声の、拙い言葉遣いのお姉さんが、だ。まるでドラマみたいな人だなと私は一人高揚した。

 

 

お姉さんは語彙も独特だった。

「ここ嫌な感じするかもしれません」

「嫌な感じですよね。もうすぐ終わります」

どうやら「痛い」ということを「嫌な感じ」と呼んでいるよう。もしかすると子供を相手にすることが多いことと関係があるのかもしれない。

「あ、沁みますか?」

器具が歯茎に当たって私がピクリとしたことに対して言う。ということはこの「沁みる」も一般的に使われる液体に対する反応ではなく、より直接的な刺激に対して使われていて、やはり「痛い」の言い換えだと考えてよさそう。

「痛い」という言葉を出すことで、ささいな刺激を「痛い」と認知しないようにという意図でもあるんだろうか。そうした知見に基づいた言い換えであるなら院内で共有されていそうではあるが、彼女以外からその言い換えは聞いたことがない。

 

 

「もう終わります。思ったほどグラグラしませんね。これなら先生に頼まなくても私でできそうです」

きっと想定していた固定方法でなくて、もっと簡易的なもので十分だということなんだろう。歯科医に確認してもらっても同じ判断だった。

彼らの想定ほどではなかったかもしれないが、私自身の違和感は大きい。歯石がなくなった、それだけでも違和感が大きいのだが、除去されたその跡、歯茎が姿を現すと思っていたその場所には何もないのだ。歯の根っこが伸びていて、でもそれを歯茎が支えていない。歯茎のあるはずの場所には何もなく、舌で触る限りではただ根が鉄格子のように並んでいるだけだ。

てかさ、あんなに歯石を蓄えていた人間が、こんな凸凹な歯の裏側をきちんと清潔に磨けるわけがなくない? 本当に大丈夫? 私がきちんと歯ミガキをできることを期待しないでいてほしい。

具合

少し前からサプリメントを飲むようになってしまった。マルチビタミン・ミネラル。このところ疲労感と立ちくらみが多くて、きっと鉄分か何か、ミネラルが足りてないんだろうと思った。摂るなら鉄だけでもよかったのかもしれないけれど、それでもせっかくならと思ってマルチで買ってしまった。

そうして数週間飲み続けているが、あまり効果は感じられない。飲み忘れる日も少なくないが、栄養補助食品であり、普段の食事からの栄養摂取もあるのだから、そこまで厳密に管理する必要もなかろう。

そういえば、ミネラル類はサプリメントで摂っても、人体に吸収されやすい化合になっていないから、食物から摂取したようには作用しないという話を聞いたことがあるなと思い出す。でもそれももう20年くらい前の話。さすがにもうきちんと吸収される組成を作れているだろうとは思うんだけれど、そんな理屈はともかく、今のところ効果は見られない。だから今あるものを飲みきったらもう買うことはないかな。私が飲み忘れているのも一因かもしれないけれど、だとしても効果がないなら買う意味がないという点においては同じことなのだ。

 

 

 

栄養摂取ではないとすると、きっとすべての原因は睡眠の質が悪いことに依るものだ。ベッドを変えてから悪いのだ。

ということでマットレスを買った。イオンの安いやつ。ある程度薄い必要があって、でもスポンジのは信用ならないからコイルがよくて、柔らかいよりかはかたいのが好みで、だからそんなものなかなかなくて、予算もないので大して探してもいなかったけど、イオンにあった展示品がどんぴしゃで、しかもお値段も安かったので買ってしまった。

展示品はけっこうかたい印象だったけど、実際に家で寝てみると、思っていたより柔らかい。とはいえ不安になるほどの柔らかさでもない。寝心地に問題はない。ちょっと寝てみた限りでは問題はないけれども、私が認識できる心地良さと、無意識下で身体が得るものとは必ずしも一致しないので、もうしばらく様子をみていきたい。

パンセ

現場を見守る仕事を託され、すると何もすることがなく、何もできないのに居続けなければならないのでしんどい。何がしんどいって、暇になるといろいろと思い悩まずにはいられないことだ。自分の半生を、現在を顧みては鬱になる。余暇に使えるでもない暇な時間なんて本当何の役にも立たない。時間を持て余しているから思い悩んでなんてしまうんだ、もっと働け、とパスカルも言っていた。でもそんなこと言われたって、これも仕事なんだ。

 

 

帰りには駅、というかデパートの前でチョコレートの催事が行われていた。値が張るにもかかわらず、試食もないので、まったく知らない店に手を出すこともできず、かと言ってあまりありふれたものを買うのも気が引ける。適当なチョコレートを買ってきたが、すると家に美味しそうなチョコレートがあるのに、しかし食べてはいけないという状況に陥り、これもなかなかメンタルに響く。

ポッドキャストアプリは、Pocket Castsが良いよみたいなブログを見つけて、使ってみたら良かったので使い続けている。*1 *2アイコンのサイズも選べるし、並び順もソートできる。一度聞いたエピソードが一覧から消されるのはいくらか気に入らないが、それだって表示するように設定変更することができる。特別に重たくもないし、変なエラーもない。再生直後のコンマ数秒の音が出ない現象は起こる。問題はそれくらい。Pocket Castsを紹介していたブログでは、それがごりゅごcasrで紹介されていたと書かれていて、ごりゅごcastはいつも聞いているポッドキャストなのに、ぜんぜん思い出せなくて少し悔しかった。

 

 

コテンラジオ樋口氏が個人のポッドキャストで、マルクスエンゲルスの回の収録を終えて云々と喋っていたのを聞いて、楽しみにしていたけれども、資本主義の思想史みたいなのをちょっと扱っただけで終わってしまった。なんてことだと一人嘆いていたけれど、どうやらこの後にちゃんとマルクスエンゲルスの回は存在するんだということを、ちょうど今Twitterスペースで聞いて安心した。

マルクスについて決して詳しい、あるいは大好きだというわけではない。だけども、過激な主張をしていた『共産党宣言』の頃から、年代を重ね、知識を重ねていって、『資本論』では暴力革命の主張をひそめ、共産主義を「生産手段の社会的所有」と再定義するに至るには何があったのかということに興味がある。そもそも「生産手段の社会的所有」、つまりは企業の所有権を人々で分け合うという意味では、株式会社も共産主義的であるという観念は、マルクスの解釈においてある程度共有されているものなのか、それともそれを教えた教授独自の発想なのかを知りたいというのもある。一般書ではそんな見解を見たことはないし、かといって専門書を読み込むほど強い関心があるわけでもないのだ。

 

 

コテンラジオでは樋口氏が聞き手になって、理解の薄いリスナーの意見を代弁したリアクションをしてくれるので小難しい話も聞きやすい。今聞いているTwitterスペースでもそうした話が出てきた。樋口氏は歴史知識には疎くても、トークやエンターテインメントには長けているので、きちんとリスナーの理解を促すリアクションをとってくれてありがたい。

他方、ゆる言語学ラジオでは、聞き手である堀元氏の理解が良すぎて、ちょくちょくついていけないことがあって、ということを書こうと思ったけれど、両者を比較して一方を持ち上げてはもう一方をけなすの良くないなと思い、でも結局書いてしまう。

 

*1:使っていたGooglePodcastaのエラーが酷いので、乗り換えたApplePodcastも使い勝手が悪かった。ポッドキャストアプリがクソい - 殴る壁

*2:紹介していたのがどこのブログだったかもはや見つからない。

Chromebookを約半年使った感想

価格を考えるとすべて許せてしまうというのが正直なところだけれど、やっぱり不便はちらほらあるなあ、というのが結論。

 

まず、ブラウジングはPCと何も変わらず行える。Chromeブラウザを使っていたなら、違いはひとつもないと言ってもいいくらい。右クリックの様子がちょくちょくおかしいというくらい。大した問題ではない。

文字入力はちょっとイラッとする。キーボードのキーがクソというのもなくはないが、それは筐体によるので、気になる人はもっと良いキーボードを選べばいいだけのことではある。より強く問題に感じるのは変換キー、無変換キーがないこと。間違えて"かな"とか英数とか押してしまってとんでもない挙動をする。辞書登録もできないわけではないらしいけど、わざわざ設定画面を開いて云々しないといけないそうで、面倒くさくてできていない。

設定変更が面倒くさかったり、できなかったりするのも厄介だ。なんだっけな。今思い出せないけど、何かを変更しようと思ったけどどうやらできないらしくてイライラした。

Androidアプリを使うことができるのではあるが、それが使えるメリットは少ない。多くの場合、スマホ画面用に作られたアプリは、より画面の大きいノート型で使うには不便が大きい。ブラウザで代用できるものであれば、ブラウザで済ませたほうがいい。AndroidアプリよりもWindowsアプリが使えたほうがずっと良い。

あと、もう全然Chromebookに限ったことではないんだけど、うっかりDVDを借りてきたんだけど、そんなドライブは無かった。今どき光学メディアドライブが無いことなんて珍しくもない。仕方なく、壊れかけのWindowsPCを久しぶりに立ち上げようと思ったけれど、全然まったく立ち上がらない。壊れかけかと思っていたけど、もう完全に壊れていた。だからひとつも見られないままDVDを返却しなければならない問題。

 

といった様々なデメリットがあるんだけど、価格の安さを考えるとすべてを許せてしまう。逆にいえば、Chromebookの最大の魅力は価格の安さであって、高性能Chromebookというものの存在には疑問しかない。

 

 

chikada.hatenablog.com

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ポッドキャストアプリがクソい

何年か前に5〜6くらいPodcastアプリを試して、GooglePodcastsが一番使い勝手が良かったからずっと使ってきたんだけど、去年くらいからいろいろと酷い。

 

 

さすがにもう耐えられなくなったので、ApplePodcastアプリを使うことにした。登録しているチャンネルもそう多くないので、乗り換えること自体はそう面倒なことでもない。だけどやっぱり使い勝手が悪いのだ。以前にもアプリを試してみて使い勝手が悪いから、GooglePodcastaを使うようになったのだから、当たり前のことではあるのだけれども。

まず、画像が大きく、画面内に表示される情報量が少ないことが気に入らない。ポッドキャストでチャンネルのアイコン画像なんて大きく表示したところで得られるものなど何もない。なのに何故。

連続再生を前提とした(としか思えない)設計なのも気に入らない。1コンテンツを聞き終えたときに次のコンテンツが自動再生されるのは、設定で変更することができた。けれど、そもそもからして自動再生を前提としているので、聞き終えたときに次のコンテンツを選び出すことが不便で仕方ないのだ。前述のとおり画像が大きいことも一因だし、チャンネルから各コンテンツへという階層分けがなされていないのも見づらさにつながっている。

だから、ひとつのチャンネルのコンテンツを古いものから順番に聞いていく、ということが本当にやりにくい。でも、今からまたいろんなアプリを落として、片っ端から試していくのも面倒くさいんだよなあ。

乾燥

乾燥している。ただでさえ太平洋側の冬は空気が乾燥しているものなのに、暖房をつけることで室温が上がり、つまりは飽和水蒸気量が増すのに実際の水蒸気量は変わらないので相対湿度は一層低下する。だから加湿器を買おうと思った。

超音波型の安い加湿器を買おうかと思ったけれど、しかし肺炎になるぞと言われてしまい、もっと呼吸器に悪いものなんていくらでもあるだろうに加湿器ごときにそんな力はないだろと思いながら、されど加湿器がどうしても欲しかったわけでもないし、量販店を見てみても思っていたほど安くなかったのもあり、結局加湿器は買わないことにした。

加湿器は買わずにダイソーでL字の棚受けを買った。 壁にL字を2本取り付け、家で余っていた突っ張り棒を引っ掛ける。すると壁から少し離れたことろに濡れタオルをかけられるようになる。濡れタオルをかけることで、一回の給水量が少ないという問題はあるにせよ、加湿器としての役割はまあだいたい果たせる。

 

 

最近はゆる言語学ラジオを見漁っている。You Tubeでリコメンドされたのを見たら、面白かったからだ。しかしYou Tubeは、ダラダラと見続けるには最適なフォーマットかもしれないが、ひとつのチャンネルを漏れなく見ていくには不便を感じる。できなくはないけど、不便。それにはPodcastのほうが向いている。ゆる言語学ラジオはPodcast配信もしているのだ。しかし今度は、Podcastでは字幕が出ない。ゆる言語学ラジオではわりと小難しい話をするので、字幕の有無はその理解に大きく関わる。特に漢字や、あるいはアルファベット表記でも、その表示が無いと理解が追いつかないことがある。聞き手である堀元氏の理解力が高すぎるのだ。もっと程よいバカを隣に置いて「え、それどういうこと?」って言わせろ。

それで結局のところ、You Tubeでは最新動画と、リコメンドされる人気動画を見て、それ以外の過去作はPodcastで追いかけていくという運用をとるようになった。You Tubeで見たところをPodcastでもう一度聞く回も出てくるが、それでも新しい気付きがあったりして面白い。

本当はそうした気付きごとに感想を残すべきなんだろうけど、どうしてなかなかそううまくもいかない。うまくいかないというか、単に怠惰なだけではあるが。

 

 

怠惰なだけ、ではないかもしれない。臆病だというのもあるかもしれない。

私は日本語を母語とし、それなりに長い年月を過ごしてきた。それなりに文法規則も学んできた。そうした経験から、配信を見て違和感を覚えることもある。だけども学問として言語学を学んだことはないのだ。だから、「そうなのだ」と言われると「そういうものなのか」と思ってしまうところがある。違うんじゃないかとどこかで思っていても、それを書き込むほどの自信がない。You Tubeにコメントしたり、あるいはSNSでメンションするでもないのだから、間違ったことを書いたからといってどうってことはないのに、ビビっている。思考を文字化することこそが大事であるはずなのに。