あの頃の嫌儲

これといって面白いエピソードとかはひとつもないんだけど、増田*1読んで、書いておいたほうがいいのかなって思った。この増田に限らず、嫌儲板が語られるときには何故かいつもそうなんだけど、嫌儲板はまとめサイトへの転載を厭う人たちを隔離するために作られ、それに伴ってもともとのニュース速報板から多くの人が移住したみたいに書かれることが多くて、それは必ずしも間違っているとは言えないけれど、私の知っている嫌儲板がまったく無かったことにされてしまっていることに不快感がある。嫌儲板が立てられてから、多くの人が移住するまでには数年間のブランクがあり、私が嫌儲板に居着いていたのはまさにその間だからだ。

嫌儲板が誕生して、数日の間は各所から新しい板に人が集まり賑わっていた。だけどそれは一週間続いたかどうか。多くの人は元いた板へと帰っていった。過疎だ過疎だと騒ぐ自治スレが一番伸びるような状態が数ヶ月続いたように記憶している。やがて過疎を憂う人も板から去り、自治スレも立たなくなった。現状を受け入れる人だけが残った。スレが100まで伸びることもほとんどない。煽りもなく*2平和なニュース系の板が営まれた。

何度か人口が増えて、トラブルが起こることもあった。ニュース系板のサーバでアクセス規制が起こると、書き込める板を求めて難民が流れてくるからだ。過疎板の住民はみな穏やかだが、大規模板から流れてきた人たちは、少し毛色が違う。来訪者をもてなそうという人もいたが、あまり歓迎していない人のほうが多かったんじゃないだろうか。難民たちが定着して板の人口が増えるようなことはなかった。規制による難民流入という現象は、その後も度々起こるようになった。

決定打となったのが何だったかは記憶が曖昧だ。どこかの実況系の板だったような気がするが定かではない。ある日大量の難民が押し寄せてきた。これまでの難民は、雰囲気の違う過疎板にいくらか遠慮しているところもあったんだろうが、このときの移民たちには容赦がなかった。あらゆるスレに大量のAAが貼られていった。あるいは自分の書きたいものと関連する単語を含んだニュース記事をソースにスレを立てては、アニメの話題や、話題とも言えないコピペが投稿されていった。ニュース記事に対する意見交換をすることができなくなった。それは数日で終わるものではなかった。私が嫌儲板を訪れることは減っていくこととなった。

嫌儲板がニュー速から隔離される形で生まれたことは事実だろうし、移民によって一大勢力に育ったことも間違いとは言えない。だけどその移民は、板の誕生時にニュー速から流れてきた移民ではない。誕生からから数年の過疎期を経て、その後に現れた民によるものだ。とはいえ、その過疎期を経ることで歴史的解釈を変える必要性があるわけでもなく、わかりやすい説明のために省略することにも合理性はある。しかし、省略され続けたまま、無かったことにされてしまっては、それも違う。だから、嫌儲板には過疎期が存在したんだという記録だけは残しておきたい。

インターネットについて考えている

考えているふりをしている。
実際のところ大して考えてなんていない。
ただ残念に思っているだけだ。
はてなブックマークはいつからこんなに残念なことになってしまったんだろう。
最初からこんなんだよ。何も変わってないよ。
数年前の私ならそう答えていただろう。
そう。はてなブックマークは前々から、淀んだ汚い場所だった。
でも、そんな場所が好きだった。
いろんな人がいた。
その大半は役に立たない屑だけど、たまに優れた知見があり、
あるいは役には立たなくても、ハッとさせられる気づきがあったりしたものだ。
もちろん今でも無いわけではない。
たまにはそうした発見もある。
だけど、以前はもっとあった気がしたんだ。
減ってしまったような気がする。
新しい出会いは減り、そのかわりに悪態が増えた。ような気がする。
前からそうだったような気もする。
私の捉え方が変わってしまったのかもしれない。
インターネットの夢から覚めてしまったのかもしれない。

テレビは見ないほうがいい、という言説をたまに見かける。
テレビの情報はデタラメばかりだから、見ないほうがいいという。
じゃあテレビを見ないでどうするのか。
まさかインターネットを見ろと言うわけでもあるまい。
インターネットほどデタラメにあふれたメディアなんて他にあるまい。
インターネットの中から真実を見つけ出せる人であれば、マスメディアの欺瞞に騙される心配だっていらないだろう。
でも多くの人はそうではない。
何が本当で何が嘘かなんてわからない。
私だってわからない。
うそはうそであると見抜ける人でないと難しい、という言葉がある。
でも、嘘を見抜ける人なんていない。
人類にとってインターネットの利用とは、それほど難しいものなんじゃないか。

飲食店の営業がわかりにくい件

飲食店の営業「自粛」が増え続ける昨今。
地域で営業している店が減っていき、入ったことのない店にも挑戦する機会が増える。
それ自体はぜんぜん構わない。

問題は、店がやっているのかどうかがわからないことだ。

 

店先に「お持ち帰りできます」とだけ貼っている。
店内飲食ができるのかどうかがわからない。
わからないけど、とりあえずドアを開けてみようとする。
しかし開かない。
鍵がかかっているのだ。
店内飲食どころか営業すらしていないじゃないか。
張り紙はしてあるけれど「お持ち帰り」すらできない。
そんな店が少なくない。

 

営業しているのか
店内飲食ができるのか
テイクアウトができるのか
それがひと目でわかるように示してほしい。

 

テイクアウトしたいときにもやはり困る。
店の外に「テイクアウトできます」とだけ書かれてメニューがないのだ。
店内で食べる場合、メニューを出さなくてもだいたいの相場はわかる。
でもテイクアウトの値段はわからない。
店内と同程度の料金なのか、もっと手頃な「弁当」が用意されているのか、わからないまま買う決断をすることができない。

営業している店舗が少なくなって、今まで利用したことのない店舗を利用しなければならない機会は増えている。
店側にしては、新規客を獲得するチャンスであるはず。
だけど、できない。
はじめて利用してみるには、与えられた情報が少なすぎる。
可能であれば料理見本か写真を提示してほしいところだけど、それは難しくても、せめてどんな持ち帰りメニューがあるのかは示してほしい。

油そばチャレンジ

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職場近くの二郎系の店*1が店内飲食をやめていたので、悲しみとともに油そばをお持ち帰りしてきた。

 

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二郎系というのは、ラーメン二郎をインスパイアした店のことであって、それはラーメンのようでラーメンじゃない。概してそれは餌と言っていい。だけどこの店のそれは十分美味しくて、所謂二郎系とは一線を画す。

 

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なるほど?

 

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麺は3玉、油は2パック、タレは4パック入っていて、配分のすべてが直感に託される。

 

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何故に麺画像だけが横構図なのか。謎は深まる。

 

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麺を茹でている間に湯煎していた油とタレを丼に用意する。

湯煎していた鍋でモヤシを湯がいている画像がありません。

 

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つまりこういうことです。

いつもと同じ味でウケる。少し味が薄いことを除けば。*2

 

*1:そんなに近くもない

*2:まだ2食分残っているので次はうまくやりたい

僕らの先生像

xevra先生って自らの社会正義のために躊躇なく引き金を引くキャラクターだと思っていたのに、つまりはこのご時世で外出するような輩は許さないタイプだと思っていたのに、「正しく外出しよう」とか言ってて意外性を感じた、ということが言いたいだけのエントリー。

 

xevra.hatenablog.com

 

何か悪いものでも食べたんじゃないかと思って前の記事も覗いてみるけど、多少のスタンスの違いはあるけど、大きく矛盾することを言ってはいなくて驚く。
こんなのは僕らのxevra先生ではない。
しかしブログでは3月30日以前に新型ウイルス感染症への言及がない。
仕方がないので、ブックマークも漁ってみる。
するとそこにはちゃんと僕らの知っているxevra先生がいるではないか。

 

西浦・北大教授「助けてほしい」解禁ムードを危惧(m3.com) - Yahoo!ニュース

日本の感染者数の増加は寧ろ悪化の一方なのだから更なる規制強化が必要。自粛疲れとか言ってる場合じゃない。本番はこれからだ。総員衝撃に備えよ!

2020/03/24 15:00

b.hatena.ne.jp

知事 感染者急増で緊急記者会見|NHK 首都圏のニュース

ロックダウン‼️ロックダウン‼️ 今すぐ外出禁止令を‼️ 東京終わるぞ‼️

2020/03/25 21:04

b.hatena.ne.jp *1

 

うむ。安心感がある。
やはりxevra先生はこうでなくては。

*1:この日同じコメントを6回している

何かしたい

特に休業になったわけでもリモート勤務になったわけでもないけど、なにせ仕事が無い。
時間にゆとりができるようになったので、やりたいことはたくさんあるんだけれど、なかなか思うようにはいかない。
部屋を片付けて、机と椅子も新調*1したから、それで良しとしようという低い意識が顔を覗かせる。
まあ、それも一理ある。
気張ったところで何が変わるわけでもないのだ。
ケセラセラと笑っていられる情勢でもない。
だからといって何かできるわけでもない。
本当は何かできるといいんだけど、何もしてこなかった人間が急に何かできるわけがないのだ。
何かできるようになるために何かしたい。

*1:リサイクルショップでの購入は「新調」と呼べるのだろうか

5000兆円欲しい

俺は10万円欲しいし、なんだったら布マスクもお肉券もお魚券も欲しいけどまあそれはいいとして、だからってそんなに10万円を配ることが必要なのか、喜ばしいのかという思いがある。
もちろんやらないよりはやったほうがいいし、じゃあどれくらいいいのかというのを定量化することは難しいからどうにも実のない話にはなってしまうんだけど、それほどなのかという気持ちがある。
そもそもなんで一律給付が望ましかったのかいうと、手っ取り早いからだったはずじゃないか。
配る基準を定めて、当てはまる人が手続きをして、それを精査してからの給付になるのでは、困っている人に現金が渡るまでに時間がかかるからだったはずじゃないか。
だけどもう基準はだいたい固まって、細かい調整はあるにしてもだいたい決まったからこれから法制化しようってところになって今からひっくり返して一律給付に変えるんだなんて言われたって、それはだいたい定まってた枠組みで配るよりも早く行き渡らせることができるの? できなくね?
しかも収入が激減して困っている人は、一律給付になることによって受け取れる給付金が30万から10万に減るわけだ。困窮している人のためだっていう大義名分には無理があるよね。
いや、そうじゃなくて、という人もいる。感染リスクのある中で働き続けている医療関係者に給付金を行き渡らせなくてはならないという。
医療関係だけじゃなくて、物流とか、スーパー・コンビニとか、なんかいろいろ挙げられているけど、彼らは所得が減ったわけではないけれども、その分リスクを冒して働いているんだから給付されるべきなんだという。
であるならば彼らには事業主を通して給付する形にすれば、さほど複雑な手続きを経ずに行き渡らせることができる。事業者がどんな事業を行っているかは行政が把握できているし、事業者は国民の数よりはるかに少ないからだ。
だけどネット世論に望まれているのはそうではなくて、一律給付に固執するというのが納得いかない。
現金給付の総額を増やすことに意義があるんだという人もいる。私にはこれを否定できる根拠がなくて、だからこれが一番正当性をもった理屈じゃないかと思ってはいる。
でも、それにしたって、多くの経済活動の止められた社会の下で現金を配ることが、経済を動かすことに有益なのかというのが疑問として残る。
生活に困窮しているでもない人に今現金を渡したところで、使える先は限られている。それで経済が活性化されるものなんだろうか。
もちろん何もしないよりかは現金給付したほうが経済は回るだろうけど、それは今やるべきことなのかという疑問。
つまりは、経済活動を無理やり止めているところで現金を配っても波及効果は乏しいんじゃないかということであり、一部の業種だけは潤うけれど現状として困窮している業種にはやはり金は回ってこないだろうということであり、経済活動を活性化させることができたとしてそれは感染拡大防止に反することにはならないだろうかということだ。
だけれども、財政出動は速いほど効果が高く、遅くなるとより多くのコストがかかるというのはセオリーであって、それならば今回も、たとえ経済活動が事実上制限されている中であっても早急に配る必要があるのかもしれなくて、そのあたり私には知見が不足していてわからない。
だからマクロ経済に長けている人が経済を守るために財政出動が必要なのだと訴えているのを見ると、納得できない部分もあるけれど、それなりの理解を向けることはできる。
だけど、困っている人に早急に配るために一律給付が必要だとか、現環境で働き続けている人に配るために一律給付なんだとか、そういうもっともらしい綺麗事がどうしても気に入らないというだけの話。