何食べるか考えるの面倒くさい

無駄なエネルギーを消費しているような気がする。

たしかスティーブ・ジョブズだった思うんだけど、何着るか考えるの無駄だから同じ服めっちゃ買い揃えて毎日同じ服着てるとか言ってた。
私の場合は、服はどうせ持っているものの組み合わせにしかならないし、それも気候に合ったもので、洗濯あがっているものに限られるので、結果として選択肢は少なく、そう思い悩むこともない。

しかし、食事はそうではない。
家に無ければ、買うことができるのだ。
最悪、外で食べるという可能性もあるので、選択肢は無限にあると言っていい。
とはいえ、寿司が食べたいと思っても、久兵衛や次郎に行けるわけではない。
ヤオコーで見切り品のカツオやイワシを買ってくるのがせいぜいだろう。

そのギャップだ。
選択肢は無限に有りながら、その実選べるものは限られる。不可能ではないが、非現実的なのだ。2000万が貯まらないのではなく、給料日まで生活費が残らないのだ。やりがいなんてなくても月給30万が欲しいのである。
つまりだ。食べたいものを考えるとき、様々な可能性が浮かぶものの、その多くは実現困難なために却下される。そのたびに小さな失望に襲われる。少しずつ、フラストレーションが溜まっていくのである。

思えばカレーだけを食べ続けていたときは楽だった。
そこに選択肢はカレーか、それ以外かの二択しかなかった。カレー以外は、ほぼ間違いなくラーメンだ。
しかし今、この時期のカレーは危険だ。
一日放置しようものならあっという間にカビが生える。
我が家に強大な冷凍庫でもあれば話は違ってくるんだろうが、そんな持ち合わせもない。
なので考えなければならない。
選ばなければならない。
悩みながら、苦しみながら、生きていかなければならない。
傷つけながら、傷つきながら、それでも生きていかなければならない。
どうして。