企業の社会的責任とは

カネカの件、最初にみたときに思ったのは、なんで懲罰人事であることが確定事項として話が進んでいるんだろうということだった。違うことが確定しているわけでもないし、他の様々な時事と比べて重大な問題とも思えなかったので、特に言及することもなかった。
私には特に重大な問題とは思えなかったけれど、ネットの暇人たちにはそうではなかったようで、カネカの話題はとどまることなく、燃やされ続けていく。私にはそれが不思議だった。
徳力氏の記事を読んで少しだけわかった。法的責任は問われない対応だったけれども、社会的責任を追及されてしまっている、と。
そして、そのブックマークコメントを読んでわかってしまった。これは社会様がお怒りなんだと。

 

CSR、つまりは企業の社会的責任という概念がある。企業は、その財産権は株主にあるかもしれないが、顧客や取引先、従業員や社会全体に対しても密に関わるものであり、責任ある態度を示さなければならないという。それ自体はまったくもって正しいだろう。
だからといって、正しいことがすべてではない。
ネットの暇人に正義なんて与えてはいけなかったんだ。

 

だいたいからして、CSRは奉仕活動ではない。それは、世のため人のための活動ではなく、情けは人のためならずである。社会にステークホルダーが満ちているから行うものだ。
じゃあお前らはどれだけステークをホルドしてるのかと。社会に属しているというだけだろう。それなのに何だ。自分は当事者だぞ、社会様だぞと言わんばかりだ。
300円の牛丼を一杯食べて、それだけで一流ホテルのような応対を求めて騒ぐクレーマーがいたら、頭がおかしいと思うだろう。それだけのサービスを求めるなら、相応の対価を支払うべきだ。客ならなんでも許されるわけではない。

 

当事者でないと口を出してはいけないというわけではない。いったいどんな立場からものを言ってるんだということであり、企業はそこまで社会に奉仕する必要はないということだ。
もちろん多くの企業に、もっと社会を慮って振る舞ってほしいところではあるが、それをネットの暇人どもがやれ自分は当事者だ被害者だと騒ぎ立てるのが醜悪だ。企業の社会的責任というのは、そうではないのだ。
社会という曖昧な存在をステークホルダーとみなしてしまったCSRの概念が、人類には早すぎたのかもしれない。彼らに正義なんて与えるべきではなかったんだ。