久しぶりに食べたけど、やっぱりうまいな、カレギュー。良さしかない。まだ牛がプレミアム化していない店だったけど、カレーをかけるならあれで十分。おかげて料金据え置き並盛り500円。今日日500円で食べられるものの中で一番美味しい食事なんじゃないだろうかカレギューは。しかしまだあったんだな、プレミアムでない牛で出す松屋。ド田舎の店まで行ったならまだしも、首都圏のそこそこの駅なのに。全店を速やかにプレミアム化するつもりなのかと思っていたけど、そうではなかったのかしら。一部店舗を残したりなんかしたら、余計な管理コストがかかりそうなものなのに。それとも高い部位と安い部位をまとめて仕入れて割り振ったほうがコストが抑えられるとかあるのかしら。いや、そんなことよりカレギューだ。それだけでも美味しいカレーに、牛めしの牛まで載せられている。カレーは、カレーそれだけでも十分に美味しいんだけど、だけどどこか物足りない。それは味が均一であることによるものであり、また具が無いので食べ応えに乏しいことによるものである。そこに牛肉が載る。するとどうだろう。カレーとは異なる味が加わる。カレーとは異なる食感が加わる。美味しいカレーに、しかし今まで足りなかった美味しさが加わることになる。これは牛めしの牛でなければなない。たとえばカツカレーという料理がある。カレーにカツを載せるという素晴らしい料理だ。カレーはカレーだけでも美味しく、またカツはカツで美味しい。そのふたつを掛け合わせる。するとどうしたことか、カレーの美味しさとカツの美味しさを合わせたものよりもずっと美味しい何かが生まれる。何かというか、それがカツカレーだ。最初にカレーにカツを載せた人間は天才だ。どうしてこれほどの美味しさが生まれると想像することができただろう。しかし、だ。カツカレーであってもまだカレギューの美味しさには敵わない。何故か。それは牛めしがそれだけで完成した美味しさだからだ。たしかにカツは美味しい。しかしカツを食べるとき、我々はそれをどうやっね食べるだろう。ソースをかけるだろうか。醤油だろうか。マヨネーズかもしれない。いや、タルタルソースだという人もいるだろう。多くの人は何かをかけたりつけたりして食べる。そうすることで塩分や旨味を補充する。カツとはそうして食べる食べ物なのである。一方で牛めしはどうだろう。たしかに牛めしに紅ショウガを載せることもある。玉子を割らなければならないという人もいるかもしれない。しかしそれらはmustではない。牛めし牛めしだけで食べられるものだ。カレーの存在がなくても。対してカツにはカレーが必要だ。カツとカレー、両者の間で美味しさの相乗効果があるとしても、その一部はカツを食べるためのソースとして消費される。しかしカレギューは違う。カレーだけで食べても、混ぜ合わせて食べても、牛だけで食べても美味しい。その割合の違いによって異なる美味しさを味わうことができる。それにカツカレーは高いじゃないか。しかしカレギューは安い。500円だ。たった500円でこんなに美味しい。たった500円なのに、こんなに牛がたくさん入っている。スプーンを口に運んだとき、その2回に1回はスプーンに牛が乗っている。それなのにたった500円で食べられるんだ。やっぱり松屋は最高だぜ。