『シンゴジラ』感想

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実は私もまだ映画を見てないんだけど、いろんな感想を見るにつれて、だんだんと気になってきている。公開当初はネタバレを忌避するレビューばかりだったので、サスペンス要素の強い作品なのかと思った。だけど、情報が増えるにつれ、どうやらそうではないらしいことがわかってきた。そんなに奇抜なストーリー展開ではないし、その出来を高く評価する声もあまり見ない。では何が良かったのか。それは、官僚制社会の風刺だったり、311の引喩だったり、過去作品のオマージュだったり、そうしたオタク心をくすぐる要素が上手く花開いたんだと思われる。なるほど、これはたしかに気になるが、しかし私に刺さる作品でもなさそうであり、わざわざ劇場で見る必要はないなと悟った。実際シンゴジラを絶讃するのはガルパンおじさんばかりじゃないか。ガルパンも劇場版は未鑑賞だが、テレビ版を見る限りではさほど高評価すべき作品とも思えず、彼らとは趣味が合わないと言わざるを得ない。
しかし、それでも気になる。気になるのは、zeromoon0さんが賞賛していることであり、そして何よりneji-koさんまでもが賛美しているからだ。「シン・ゴジラ」を観に行きました - カリントボンボン この記事で私の中のシンゴジラ像も修正を迫られた。
 

私は「好きなもの」を描いた作品が好きだ。たとえば私の好きな映画に『アイデン&ティティ』という作品があるが、そこでは主人公の敬愛するボブディランが、彼の苦悩に対する道しるべとして登場する。彼が困ったときにはディランが現れ、ハーモニカの音を通して彼に語りかける。ディランは必ずしも正解を明かしたりはしないが、彼の悩みに真摯に向き合い、疑問に答え、導こうとする。逆に言えば、彼の目指す道は常にディランであり、ディランとはそれほどまでに大きい存在なのである。その映画を見て感動し、私もディランを聴いてみたが、そちらは私の好みには合わなかった。合わなかったのに、『アヒルと鴨のコインロッカー』を見てはまたディランを漁り、再度撃沈した。
好きなものを描いたものが好きだというのは、私が積極的に『シンゴジラ』のレビューを読んでいる理由でもある。かつてテレビが世に出されたとき、世界の映像がテレビ放送に流されるのでもう旅行に行く必要がなくなると宣伝された。50年後インターネットの出現においても近い文句が叫ばれた。しかし、そうはならなかった。世界各地の情報が飛び交い、容易に集めることが可能となっても、旅行の意義は少しも失われていない。実際に自分の目で実物を見ることと、他の誰かの目を通して、編集を通して見ることはまったく違うことだからだ。それは同時に、編集を通して見ることが、必ずしも実物を見ることの劣化コピーではないことをも意味する。第三者の解釈を経ることで、一人では気付けなかった見方があり、発見があり、感動がある。ときに誇張され、美化され、虚実の入り混じった描写が、その原風景を想像することが、私を楽しませる。
 
『シンゴジラ』の話題に戻ると、ゴジラのSFXについて、立派だ迫力があるという声と、ショボい低予算らしいという相反する声が挙がっているのは気になるところであり、これは近い将来確かめないといけないとは思っている。おそらくは主に海外映画を見る人にはショボく感じられ、普段映画を見なかったり、逆に低予算映画を見漁っている人には立派に見えたのではないかと想像できる。どんなにショボかったとしても、『アイデン&ティティ』のディランほどではあるまい。あるいは、予算を抑えながら迫力を持たせる何らかの工夫された演出がなされたか。もしそうだとしたら、それはかなり気になる。