ミニマルなあれ

近くに用事があったので、涼みがてら竹岡雄二展を見てきた。最近は本さえろくに読んでおらず文化から遠ざかっていたけれど、これで憲法に定められた国民の義務である健康で文化的な最低限度の生活をこの夏もどうにかこなすことができた。どうでもいいけど、「埼玉県立近代美術館」を「MoMAS」って略すのはちょっとどうかと思った。

 

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結論から言えば、最初から最後まで意味がわからなかった。どうやら聞くところによると、台座なのにその上に何も作品が飾られていないというシュールさが笑いどころであり、作品の飾られることのないこれは本当に台座と呼んでいいんだろうかという不条理ギャグが売りらしい。それはちょっとレベル高すぎるだろ……。一緒になったおばちゃんグループなんかは、台座や空っぽのボックスには目もくれずに、作品の構想を描いたスケッチや、美術館備え付けの展示ケースに並んだ竹岡氏所蔵の(作ではない)古い工芸品ばかり見ていたじゃないか。てかスケッチ見たんだったら主たる展示作品がどれなのか気付けよ。
だいたいからして、作品を見せるための台座じゃなくね? なんで台座がオレンジとか金とかなの? 目立ちすぎだろ。お前が主役じゃねえんだよ。壁に吊るされた台座は、台座自体が目線の高さにあって、その上に作品が置かれるとしたら高すぎて見えない。床に並べられた7つの台座は、おそらく人間大の彫像が配置されることが想像できるが、だとすると台座同士が近すぎて大きな像の展覧には窮屈だ。台座それ自体が美術作品だというのならわかる。でもそうじゃないじゃないか。"作品がない"空間を見せること、そこから何か感じ取ることを意図してのものだったはず。"作品がない"ことの違和感を示すためには、"作品がない"こと以外は完璧な状態が築かれているべきじゃないんだろうか。デュシャンの「泉」が美しい工芸品ではなく市販品であったことに意義があるように、台座だって作品があってはじめて成り立つものでないといけないはず。でも展示の意図としてはそうじゃないみたいでよくわからないんだ。

 

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