なんかそれっぽいタイトル

声かけ写真展についてのブログがいくつか盛り上がっていて、私はそんな写真展の存在も知らなかったものだからちょっと覗いてみると、最近では子供に声をかけて写真を撮るなんてできなくなってしまって云々とか書いてあって、まったくその通りだなあと思いながら読み始めた。だけどどうやら様子がおかしい。ロリとか児ポとか、想定していなかった単語が飛び交う。そうしてようやく気づく。これあかんやつや。
作品がどんな意図で製作され、消費されているかということは、本来は当事者以外は知り得ない。だからもっと健全さを装おうとすればできるはずなんだよね。でも彼らはしない。ならば潔く散っていくのかと言えばそれもまた違う。どうしたことか被害者面をしている。曰く、古き良き時代は過ぎ去り、すっかり社会の目が厳しくなってしまった、と。完全にお前らのせいじゃないか。お前らのせいで、我々が写真を撮りにくくなっているんだ。
見知らぬ他人の写真を撮るというのがそもそも褒められた行為ではない。だから写真を撮る権利を声高に叫ぶつもりもない。だけど、やりにくいなあという思いはどうしても出てくる。世知辛い社会になってしまったなあと。俺はそういうのじゃないのにって。なのに"そういうの"側が同じこと言ってるのね。正直腹立たしい。
だけど、外から見ると大差ないのかもしれないな、とも思う。ダンスクラブ規制の件で、クラブミュージックが好きなだけなのにと言う人はこんな気持ちなのかもしれない。内部で自浄作用を働かせよと言われたって、そんなん知らねえよ。だってあいつら関係ねえもん。自浄作用って言うけど、"自"でもなんでもないんだって。同じ趣味でも何でもない。でもそれは外見上わかり得ない。だから被害を防ぐためにはすべて撮影者を疑うしかない。それが合理的判断だろう。つらい。