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油そばにマヨネーズという大罪

私のような吉祥寺出身者(広義)にとって、油そばとは"ぶぶか"のことだった。つまり、決して美味いものではなかった。学生時代に世間では油そばがブームを迎えていたが、どうしてあんなものを好きこのんで食べるのか私にはまったく理解できなかった。あの頃はただただ"ひごもんず"で大蒜を絞り続けていた。
油そばと再会を果たすのは働くようになってからだ。油そばの美味い店があるからと上司に無理矢理に連れ出されたのが東京油組総本店。上司が嬉しそうに麺にラー油を回しかけているのを冷めた目で見ていた。そんなにいっぱいかけて、どんだけ馬鹿舌なんだよ。そんなふうに考えていた時期が俺にもありました
それからしばらくは毎週のようにどこかしらの油そばを食べていた。やはり"ぶぶか"やそれ以下の店もあるけれど、半数以上の店は十分に美味しい油そばを提供していた。


今ではあの頃ほどには油そばを食べてはいないけど、それでもたまに食べたくなり、ふらっと立ち寄ることがある。そうしてうっかり入ってしまったのが"てつ蔵"だった。
結論から言えばギルティーである。油そばを頼むと、酢とラー油を出してくるところまでは普通だった。しかし、トレンチにはもう一つディスペンサーが載せてある。マヨネーズだ。麺を半分くらいまで食べたところで、私は興味本位でマヨネーズをかけてしまった。完全に私の瑕疵である。油そばにマヨネーズをかけるとどんな悲劇が訪れるか、少し想像してみればわかることだ。ただでさえ油っぽい麺に、さらにゲル状の油が絡む。ここまでくると、もはや食べているのは麺ではなく油である。コレステロールの塊だ。人間の食事ではない。豚の餌だ。こんなものを喜んで食べる奴の気が知れないぶう。マヨネーズなどというトッピングを認めてしまった店の罪は重い。


人間の認知の歪みというものは恐ろしい。油そばにマヨネーズをかけるだなんて想像だにしなかったときにはまったく目に入らなかった東京油組総本店の券売機にあるトッピング「マヨネーズ」のボタンが、一度マヨネーズの罪に気付くと、執拗に目に入るようになる。
わかっている。こいつはギルティーだ。食べなくてもわかる。確信を持っていると言ってもいい。だがしかし、だ。本当に食べずに決めつけてしまってよいのか。食べずに裁くだなんてあまりに傲慢ではないか。もしかすると無謬のマヨネーズもいるかもしれない。たとえマヨネーズの罪が重いとしても、もし正しいマヨネーズが10人いれば私はマヨネーズを許すべきではないか。主は言われた。「その十人のためにわたしは滅ぼさない。」*1 そうして今日も私は善なるマヨネーズを求め、油そばを食べる。

 

*1:創世記18章32節より。しかし結局「正しい人」はアブラハムの他におらずソドムの町は滅ぼされる。